たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

猿田彦その 16 大宮諏訪神社

2021-12-25 18:12:25 | 歴史
猿田彦シリーズ、停止状態です・・・

なかなか難問です。数年前にはかなりの所を訪問しましたけど、はっきりしたことが分からず。

なので、ここにもあまり多くは書いていません。

と言うよりほとんど書いてないのかな?

今までの流れで、気になるところが「大宮諏訪神社」( 長野県飯田市宮の前4164−1)です。



天竜川から、直線で約4km弱あります。この距離に頭を悩ませていました。

でもすぐ近くを、「野底川」が流れていますので、天竜川から移動することは可能でしょう。

ここの、標高は、約 540mです。野底川を下り天竜川に出たところの標高は、390m。

150mの差があります。

訪問したことはあるのでつたない記憶をたどると、

ここの周りはかなり見晴らしの良い所だったと記憶しています。

神社の由緒によると

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
建御名方神が信濃に入り諏訪を統合する途中、当地に立ち寄られたのでこの地に祀られたとされる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これが気になるのです。

まず、タケミナカタが諏訪に行く途中この地によられたということは、おいらの言っている

砥鹿神社から天竜川に向かい、その後,諏訪に行ったことの裏付けになると思います。

出雲から糸魚川経由で諏訪に行くとなると、ここは通らないでしょう。

それと「大宮諏訪神社」と言う呼び名です。

長野県北安曇郡小谷村にも「大宮諏訪神社」があります。

薙鎌打ち神事で、有名のようです。

この「薙鎌」と、猿投神社の「左鎌」とは、関係があると思います。

それと、もう一つ気になる事は、時間の事。

そのころ、彦坐王はもう50歳を越えているくらいの年齢です。

すでに亡くなっていたのかもしれません。だから、崇神天皇は、伊勢に攻め入り

伊勢津彦を追い出したのではないでしょうか?

伊勢津彦も大きな戦いもせず、わりとすんなりと伊勢から追放されているようです。

父親の後ろ盾がなかったことが理由かもしれません。


そしてさらに、サタヒコの姉のヒバスヒメが、垂仁天皇の妻になっています。

これはどう見ても、人質に取られたと思うのです。

なぜか理由を考えました。美人だから・・・たぶんそれもあるでしょう!

それとついでに、「伊勢と奈良の間の交通網の確保のために妻(人質)にした」という意味が大きいかと推測します。














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