たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

倭姫命伊勢に行く その 14 倭姫は出雲に行ったのでしょうか

2021-10-29 14:00:23 | レイライン
おいらは、まだ出雲には行ったことがありません。

遠いもんね・・・

それを思うと、サホヒコやサタヒコはすごいですね。

あの時代に、美濃、尾張、諏訪、越、丹波、出雲、四国、さらに九州にも行っているだろうし

ひょっとすると韓国にも渡っているかもしれない。

すごい人たちだと思います。

さて、以前書きましたけど、八咫鏡に大国主の御霊を移す、つまり、御霊のコピーペーストですね。

これを行いに、出雲に行ったと考えることが適当でしょう。

足跡があるのだろうか?

さがしてみると、出雲大社のHPの「境内のご案内」のなかの摂末社と言う所に、境外の摂末社として

「下宮(しものみや)」と言う所があります。出雲大社のHPより、画像を拝借


ここが、倭姫を祀ったものではないだろうか? 

祭神は、天照大神ですけど、それが下宮となるのは不自然と思います。

倭姫の、父親である垂仁天皇は伊勢津彦(=サホヒコ=大国主)を伊勢から追い出した崇神天皇の子ですけど

母親は、サタヒコの姉と言う立場です。

境外の摂末社の一番末と言う立場でも、おかしくはないでしょう。

地図を出雲大社のHPからお借りします


左端にあるところですね。



そこを、右に出雲大社の方に行くと、すぐに「上宮(仮宮)かみのみや」があります。

御祭神は、素戔鳴尊(すさのおのみこと)と、 御祭神八百萬神(やおよろづのかみ)です。

素戔鳴尊は、他に「素鵞社」と言う所にも祀られています。だから仮宮と書いてあるのでしょうか?



さらに進むと、大歳社(おおとしのやしろ) があります

御祭神は、大歳神(おおとしのかみ)

素戔鳴尊(すさのおのみこと)の御子神で、五穀を守護される神です。


ここで気になるのは、「素鵞社」の説明の中に 

素戔鳴尊(すさのおのみこと)は、大国主大神の親神であられ、
大神に国づくりの大任を授けられました。

とあります。おいらは以前丹後半島のレイライン その 28 三種の神器で、スサノヲを「彦坐王」とすると、ヤマタノオロチは、「久我耳三笠」
となり、天叢雲剣が出てきたということは、製鉄が再開されたと置き換えられます。

と書いています。

素戔鳴尊(すさのおのみこと)=彦坐王 とすると

      大国主=サホヒコ=伊勢津彦

      大歳神=サタヒコ=朝廷別王

この関係がピタリと来ます。いかがでしょうか?
(サホヒコと、サタヒコの父親は、彦坐王です。母親は違います。)

倭姫は、出雲に来ていると思います。















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