たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

丹後半島の製鉄

2022-10-04 09:49:40 | 猿田彦
おいらの推測では、「天目一箇神」は、サタヒコの母親の兄と思います。

目に障害があるということは、製鉄の時に高温の鉄を見るためと言われます。

つまり、その頃に高い温度が作ることが出来たとするのが適当なのかな?

もしそうなら、その技術の延長がサホヒコの鍛冶の技術と言うことになると思うのです。

彼らの家系図を見てみましょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一御子・天香語山命
二御子・天村雲命
三御子・天忍人命
四御子・天戸目命
五御子・建斗米命
六御子・建田背命 
七御子・建諸隅命 (川上摩須)   
八御子・倭得玉彦命  (日本 得 魂 命)=天之御影神=天目一箇神 
       妹が 川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)ーーーーーーー彦坐王             
                               ↓                 
                             サタヒコ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
天目一箇神(倭得玉彦命)の率いる製鉄技術者の中の何人かが、サタヒコの母親と一緒に

彦坐王のもとにやって来たとすると、美濃ではサホヒコと一緒に暮らしていたことになります。

当然、春日井での製鉄にも関係しています。

サホヒコは、美濃でその技術者たちから、製鉄、鍛冶の技術を学んでいるのでしょう。

ということは、彦坐王は美濃でも製鉄をしていたと考えるのが適当かと思います。

志段味
と言う地名は、もしかすると砂鉄が採れる所という意味があるのかもしれない。
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