たまにはぼそっと

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扇谷遣跡

2022-10-05 05:14:55 | 猿田彦
扇谷遣跡は、弥生時代前期末から中期前葉にかけての、丹後地域を代表する環濠集落とのこと。

弥生前期末ころにここではすでに砂鉄を用いて鉄が鋳られていたかも知れないという場所です。


この年表で見ると、BC 150~50年になります。

彦坐王の率いる製鉄の技術者たちの先祖と考えて間違いないでしょう。

彼らの系図をみてみましょうか
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一御子・天香語山命
二御子・天村雲命
三御子・天忍人命
四御子・天戸目命
五御子・建斗米命
六御子・建田背命 
七御子・建諸隅命 (川上摩須)   
八御子・倭得玉彦命   (サタヒコの母親の兄と推測)
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262年にサタヒコの母親は彦坐王の所に嫁いでいます。

一御子・天香語山命の先代が、天火明命(あめのほあかりのみこと)と言われますので

乱暴なやり方ですけど、一代20年とすると、160年ぐらい前の存在になります。

すると、天火明命はAD 100年頃の存在と言うことになります。

と言うことは、扇谷遣跡で製鉄を行っていた人たちは、それ以前の人たちと言うことになります。








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