たまにはぼそっと

ふと思いついたことをボソッと書いてみます。

伊賀八幡宮

2012-01-30 06:27:44 | Weblog
先週行った、大樹寺の少し南にあります

国道1号線から248号線に入り10分くらいです


これが、山門

やはり、ここもきれいです

本殿です


伊賀八幡宮は、もともと松平家(徳川将軍家の祖)の氏神ですね

三代将軍となった家光公が、ここに、祖父徳川家康を祀ったということのようです

せっかくだから、大樹寺にも立ち寄って、山門から、岡崎城を覗いてみました



見えましたよ。。。

もうひとつの門があり、そのなかに岡崎城らしき?建物が見えます

条例で、この間はこの景色が見られなくなるような高い建物はできないそうです


すこし、桶狭間の戦のことを調べました

今川義元が、桶狭間で信長の奇襲を受け首をはねられたあと、その翌日の夕方にようやく

その知らせが、大高城の家康に届いたそうです

が、すぐには撤退はせず、まず兵を把握、そして情報の確認をしています

すぐに、伯父の水野信元の使者がきて、義元の敗北を告げた

しかし、水野義元は敵である信長方に属していたため、

信用できないと動かなかったとされています

最後に、家康譜代の老臣、鳥居忠吉の使者が持ってきた、忠吉の書面で決断して

その夜遅く、ひそかに城を出た。

城には旗を立て、火をたき篭城していると見せかけての撤退だそうです

その後、大樹寺に行くのですが、岡崎城には今川の武将がいて、

しきりに家康の入城を進めたとされています

でも、入らない。

資料では、筋目を通して今川からの命令を待っていたとされています

さて、どうだろう?

その後、今川の武将は逃げるように岡崎城を捨て東に逃げ帰ったそうです

そうして、家康は空っぽになった岡崎城にようやく、13年ぶりに帰ったそうです




コメント
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