湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

ついでに一昨年の9月の話

2006年09月19日 | 自転車生活
昨日のエントリーで去年の9月のことに触れたあと、そういえば一昨年の9月もえらい目にあったのだということを思い出した。



一昨年の9月1日、僕は小淵沢駅から塩山を目指してキャノンデールで走り出した。まずは八ヶ岳横断道路を野辺山まで走り、信州峠・木賊峠・乙女高原・焼山峠を越えて塩山まで走ろうと思っていたのだ。久し振りの走り応えのある峠越えツーリングということで少し緊張したけれど、申し分のない快晴の空の下、高揚した気分で走りだしたことを覚えている。

小淵沢駅からほんの数キロでいきなり八ヶ岳横断道路のきついアップがはじまった。ギアをすぐに39×23のインナー・ローに落とす。いま思うとこのコースを走るのにこのギアでは相当無理があったのだと思う。確か10%を越えるところはよろよろと蛇行しながら上ったんじゃないかと思う。でもそれでもつらくて、少しでも楽に上れないかと何度か自転車から降りてサドルの高さを調節してみた(こうしてみると僕はやたらとサドルの高さを調節していることに気づく)。で、そんなサドルの上げ下げを繰り返していたところ、まだ走りはじめて5~6kmのところだったのだと思うのだけれども、あろうことかなんとシートクランプのボルトが切れてしまった!ひ、ひぇ~、とこれには慌てた。予備のボルトなんて持っているわけがないから。

そこでまず考えたのは、その場所でツーリングを中止して引き揚げること。でもさすがにそれはできなかった。せっかくわざわざ信州まで走りに来たのだ。引き返すのはあまりに悔しく感じられた。となると、この先全行程をスタンディングで走りきらなければならない。果たしてそんなことが可能なのだろうか?それでなくたって厳しいコースなのに。

いろいろ考えたあげく、僕は結局「走れるところまで走る」という単純な結論を出した。途中で無理を感じたらそこから最寄の駅にエスケープすればいいではないかと。

と潔い気持ちで走り出しはしたんですが、サドルに座れないのってほんとうにつらいんです。最初のうちはそういう類稀な状況を楽しむ余裕もあったんですけど、やっぱそれは最初だけでした。それでも野辺山を抜けて、



八ヶ岳の山容を眺めながら川上村まで走り、そこから信州峠を目指しました。峠へ続く一直線の上りがきつくてきつくて、とてもではありませんが景色など楽しむ余裕はありません。もう絶対に信州峠を越えたら最寄の駅に下ろうと思いました。

・・・でも喉元過ぎればなんとやら、なんですよね。ついさっきまで苦しみの渦中にあったのにもかかわらず、苦しみから解放されるとつい調子に乗ってしまいます。そんなわけで信州峠を越えてからもすぐにはエスケープせずにもう少し予定のコースを走ってみることにしました。



がしかし、みずがき山荘までの上りで今度はほんとに打ちのめされました。スタンディング状態で走り続けるストレスと上りのきつさに頭はぶちきれそうになり、体力は風前の灯でした。みずがき山荘に着いたときは「もう絶対にここでやめる!」と自転車を放り出しそうな勢いでした。山荘では疲労と怒りからジュースを一気に3本くらい飲んだことを覚えています。

みずがき山荘で長めの休憩をとり、今度こそ絶対にエスケープするつもりで木賊峠へ続く釜瀬林道との分岐まで到着しました。で情けないことにここでまた悩んじゃうんですよね。いままでの道も確かに気持ちの良い道だったのだけれども、



この釜瀬林道はさらに僕好みの気持ち良さそうな道だったのです。ただ釜瀬林道を進んで行ってしまうと簡単にエスケープするのが困難になります。なのでかなり悩みました。で、結局ふらふらと釜瀬林道に入っていってしまったわけですけど、さすがにこれはもう無理でした。勾配も結構あるし、これ以上はまずい、という自分の体の声に耳を傾けて1kmも走らないうちに引き返してきました。仕方のないこととはいえ、なんだかとっても無念でした。

結局分岐地点から増富鉱泉への道を下り、あとは国道を甲府まで走りました。甲府の手前にも駅はたくさんあったのだけれども、無念な怒りが結局僕を甲府まで走らせたようです。小淵沢から甲府までの距離99.92km、そのうち90km以上を結局スタンディングで走りました。なんの自慢にもならぬ苦行でした。とはいえ、そんな状態でも100km近い距離を走りきったことに関しては自分を誉めてあげたい気持ちもちょこっとありました。いやいや、いま思い返してもよく頑張ったと思います。あらためて2年前の自分にお疲れさまと言ってあげたい。

こんなひどい目にあったにもかかわらずいまでも僕が自転車に乗っているのは、決していつかまたこういった種類のきつさと対峙したいと思っているからではなく、ただ単純に自転車が好きだからだと思う。自転車で味わうきつさには、またいつか対峙したいと思う種類のものと、もうコリゴリという種類のものがあるのである。