湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

自転車で歩道を走ること

2006年06月05日 | 自転車生活
体が痛い。で、心もちょっぴり痛い。

工事中の片側交互通行の道路でのこと。往路は車道を走ったのだけれども、思いの他工事区間が長く、また車道が狭かったこともあってしばらくのあいだ僕の後に何台かの車を引き連れる形になってしまった。それがストレスだったので復路は歩道を走ることにした。しかしその歩道で今度は歩行者とぶつかって、コンクリートの歩道に自転車ごと叩きつけられてしまった。

相手は日に焼けたがっしりとした体形のご老人。見通しの良い直線の歩道だったので当然僕には気づいていると思っていたのだけれども、どうやら考え事か何かしていたのかこちらにはまったく注意を払っていなかったようだ。それでもそのまままっすぐ歩いていてくれればぶつかることはなかった。けれども、突然歩く方向を僕のほうへ変えてきたので、よけきれなかった僕は彼の腕に接触してそのまま転倒してしまったのだ。

老人は驚いた感じで倒れた僕のことを見ていた。幸いなことに彼にはほとんどダメージがなかったようだ。彼は倒れている僕にたいして「ごめん、ごめん、ちょっとよそ見していたよ」とだけ言って、その場を立ち去ろうとした。僕はそれはないだろうと思った。僕は血を流して倒れているのだ。それに自転車にだってぱっと見でも損傷がある。いくら自転車と歩行者といっても、そんな対応はないだろうと僕は思ってしまった。そこでちょっとしたやりとりがあった。そのときの相手の対応があまりにもひどかった(と少なくとも僕は感じた)ので、「どうしてそんな対応しかできないんだ!逆の立場だったらどうなんだ!倒れたあなたに何の気遣いもせずに俺が立ち去っていったらどう思うんだ!下手にでているからっていい気になるな!」と怒鳴ってしまった。

けれども怒鳴ったあとに僕はすぐ後悔した。たとえ相手に気遣いのようなものが欠けていたとしても、歩道で自転車と歩行者がぶつかったのならば、余程のことがない限りその責は自転車が負うべきなのだと思った。多分、相手のほうもいい迷惑だと思っただろう。でも声を荒げてしまった手前、僕は相手にそれをうまく伝えることができなかった。僕ができたのは「わかりました。もういいです」と言ってそこを立ち去ることだけだった。その頃には老人もさすがに悪かったと思いはじめたのか、「すみませんでした」と小さな声で僕に謝ってくれた。「いいんです」と僕はこたえて走りだした。

少し走った海岸線の駐車場で、自転車と体のチェックをした。自転車の損傷は幸いなことに最初に気づいた両STIレバーのブラケットカバーの破損だけだった。そこまで走った感じでもとくに違和感はなかったので、フレームやホイールがゆがんだりといったことも多分ないだろう。



ただ体のほうは思ったよりもひどかった。ジャージを着ていたから気づかなかったけれども、右半身の肩や肘や腰、それからくるぶしなどの少し出っ張ったところには打ち身と擦過傷ができていた。左手の親指の皮がやぶけてそこから血がぼたぼたと垂れていた。まぁでも、それでも体も自転車もこの程度で良かったとは思った。

帰りはかなり慎重に江ノ島まで走った。走りながら、今回の場合、倒れたのが僕のほうだったのはまだマシなことだったのだということに気づいた。もしあの老人がコンクリートに叩きつけられていたら、いくら健康そうなご老人だったとはいえ、かなりひどいケガをしていた可能性だってある。それに歩道での歩行者と自転車での事故であれば、僕が相手を倒してしまった場合は「ごめん、ごめん」ではすまなかったはずだ。

とにかく、歩道を走る自転車は歩行者にたいして細心の注意を払うべきだということをあらためて思った。歩道は歩行者が安心して歩ける場所であるべきなのだから。

おじいさん、こちらこそすみませんでした。強い口調で少し文句を言ってしまったけれども、体のほうも自転車のほうも自分で治すので勘弁してください。