年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

施設内教育のこと

2017-11-02 19:57:59 | Weblog
 協力雇用事業主さんから刑務所ではどんな教育をやってるんじゃ のお叱りを受けることがある。それというのも、ジツワ私たちの就労支援スタッフが求職者である身柄を、本人の良心に添い社会復帰に向ける手始めとして釈放前の採用内定を取ったうえで釈放後にその会社に就労したものの、イザ満期を迎えたある日を境に刑期終了した途端に手のひらを返したようにヒトが変わり会社側の人たちが手を焼くことがある。
 そのようになるのは、就労支援側の生ぬるい対応や教育があるのだろうとのお叱りや相談事である。出所者には生活のこと、自立すべく暮らしを立てることを優先させる。いきおい経済的な生活が送れるように支援することになる。出所すればだれか家族が一時面倒を見てくれるだろう・・の個としての豊かなつながりは数少ない。家族との円満な関係を結んでいないような親子関係であったり夫婦関係であったりする。豊かな家族関係を持つものなど一握りくらいだろうか。

 窃盗をはじめとする財産犯はなぜ起きるのか、薬物や覚せい剤関係は、ギャンブル依存にアルコール依存にかかわる犯罪は、ましてや増えている知能犯に性犯や風俗関係、なぜ・・・などと背景を追いかけるより先に法によって犯罪により刑名と刑期が決まる。その後は理由ありなしに関わらず口答えを許すことなく、自由意思を削ぎ落しての受刑生活が送られる。だから塀の中ではノ~と言う言葉がない。ハイ以外の言葉がない世界となる。そこで分類部門のなかに教育担当の部署がある。小学生レベルの国語や算数の教育から教誨師などの仏教や神教などまでの諭しがある。

 入所前までの身柄の個人的な成育環境のことをふまえ、施設内では何をするにしても職員の許可を得た後に行う決まりになっており、面会、手紙、生活必需品などの私物購入にいたるまで願せんを出す必要があり、塀の中では自分の決断実行が許されないエリアでの環境を経て、再び塀からでることによって新たな問題も出てくる。

「ハイ」「イエス」と言わなければなならない期間が過ぎればやっと自由意思が芽生えるというもの。つまり刑期が終了して晴れて満期を迎えた翌日から、アレッと思えるほどに人間は変わり生身の自分が露出してしまうことで、生まれ変わる姿が人に受け入れる姿であればいいが、今迄の受刑生活を終えると従順であったそれまでとは人が変わったように周りの人とのいざこざが現れ軋轢を生むことになるんだろう。就労支援室の面接では素直な良い人であったものが、刑期を終了すると突然別な人になるようなことになると雇い入れた事業主さんも相談する相手を探すのに苦労する。

 このような新たな問題は、突然始まったことではない。社会復帰した後の就労の現場で突然ヒトが変わるようなことのなきよう教育のあり方を学ぶために、出張を命じられた。行先はPFI(private finance initiative)の矯正施設。なんだか出張が続いている。次週は高松の管区で就労に関する会議もある。そろそろ手を引かねばと・・考えている矢先に次々と・・・。

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