年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

夢のハネムーン

2017-12-14 00:00:00 | Weblog
 昭和40年代の頃、ここ宮崎はあこがれの地であったそうだ。


 当時宮崎市内に宿泊した新婚さんが37万組だと ・・とすると新婚さんだけで74万人も来てたのか

 この前の日曜日のこと、ここ青島がマラソンの折り返し地点だったそうだ。そこで奥さんは子供二人が走るのを応援しようと待ってたらしい。

 一人であっちこっちうろつく趣味があるのは私も奥さんも似ているようで・・


 さらに妹も毎日安い旅行先を見つけるのが趣味なようで・・母親を病院に送り込みながら、今度行くスイス旅行のことで・・お母さん来月はまだ大丈夫やろね・・などと顔つき見ながら判断し、旅行代金支払ったから私1週間はいないのでその間頑張って生きててよ~などと母親の耳元で喋っておる有様を見ると、、われ遊びほうけて生きンとや・・のフレーズが流れてくる。
  今日は早く職場を出ようと思う。2時過ぎに相談業務を終えスタッフと打ち合わせした後すぐに大学病院へ。すると何事もなかったように妹が説明してくれた。

 ちなみに、11日朝老人ホーム施設長から電話その日に医療センターで受診するもウ~ンと唸る若い医師W先生。福井弁と大阪弁の入り混じってる明瞭な医療方針を考える感じ。点滴のみで処置をしたあと、食道がん手術をした大学病院へ家族からつないでくれと云われる。12日早朝老人ホーム付の医者から、看取りはどうするのか・・と云われる・・ウッ何のこっちゃ・・と再び医療センターに行き点滴受け。医療センターのW医師に大学病院へ連絡するも、当方断られたことを話すと・・若いWD.rはクレームを・・術後管理の責任はどうなるんだと・・大学病院に云い意見書を書いてた。仕方なく医療センターに入院する。喉の狭窄部の拡幅手術は数回やってるから資料が残ってるはずだと大学病院に文句を言うと・・とうとう事務担当⇒ナース⇒いつもの大学病院ID.r先生からすぐ連れて来ての連絡あり。医療センターを14日朝退院として、即大学病院で喉を診てもらう。I先生のお弟子さんのY先生がきれいに異物を大量に取ってくれた。そしてそのまま今度は大学病院に入院となる。I先生に説明すると、ナースセンターから何も知らせてくれなかった。知らなかった。医療センターのDrの意見書を見た後、I先生はこんなこと書類に書かれてたら(こっちはいっぱいで120人待ちですから受け入れできません・・とナースに云われたこと)恥ずかしい・・不手際でスミマセン・・などと云ってた
近い場所だから移動は便利。


 2年前から喉狭窄部の食べかすを取っていないことですっかり溜まってしまった。それで水も通らない食事もできない状態。血液検査をすれば白血球数が異常に高い。あわてた初めての医師は対応に困り、私方に、看取りはどうするかなどと投げたようで・・イヤハヤ。まぁ96才だからいつどのようなことが起きるやもしれないのは当然として、朝っぱらから電話してくる医師は治療行為より前に責任回避のことを優先するように映ったが・・なぁ。根性なしのやつや。

 きれいになったのどで気分良くなったのか腹が減った、何か食べたい・・などと母親は云ってる。しかしここは病院、絶食を言い渡されておる。でも食事再開はすぐできるやろと思う。

真っ白な石鎚


 家に帰ると従妹のH子からプレゼントが届いてた。

 これ・・プレゼント第1号や・・


 受け付けはまだやってるよ!当日消印まで3~4日あるよ。

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