年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

すがもり越えの鐘

2008-04-28 21:35:26 | Weblog
 鐘について考えてみる。鐘には、幸せの鐘、自由の鐘、愛の鐘などとたくさんの名称がつけられている。教会にも鐘がある。鐘を突くときなぜか一瞬の間をおいて心に決めて撞くわずかな時間が自分達にあるようだ。なぜか祈りを乗せた音がするから不思議なものだ。始まりと終わりを告げる合図だけでは決してない感じがする。不安や迷いをスパッと断ち切ってくれる効用もある。案外自分が自分に対して撞いている鐘が多いのではないかとも思う。
 このすがもり越えの近くには立ち入り禁止の硫黄山がありいつも白い煙を上げている。その麓の北千里で昭和37年に吹雪による数人の遭難死があったことを聞いた。私も経験があるけれどここで霧に巻かれると方向感覚を失う。どこを歩いてもゴロゴロの石ばかりが続きぐるぐる回り彷徨ってしまった時に遠くから聞こえるこの鐘の音で判断しながらすがもり小屋に行き着いたことがあった。鐘の音は方向を教えてくれた。晴天の見渡せる時は何も用はないが足元の見えない不安な時はこれらの鐘は勇気を与えてくれる。このすがもり越の愛の鐘は三俣山と硫黄山の鞍部にあり以前家族できた時にあった小屋はなくなり鐘だけは当時のままあった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿