年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

歩く歩く

2014-04-08 19:27:07 | Weblog
 午後になるとぐんぐん気温も上がってきた。こんな日はやっぱり外に出るに限る。
 小学校近くを通ると新1年生がお母さんやお父さんの手に引かれておおぜい校門に向かっていた。今日が入学式である。後姿を目で追いながら、どうか健やかに怪我や病気のなきよう、楽しい学びが成就できますように、と祈る。
  イカリ草咲く。
 毎日お昼ご飯はお弁当である。ほとんど冷蔵庫にある残り物を詰め合わせているみたいではあるが・・・いつもの公園へ。せっかくだから桜の木の下で食べよう・・と。桜も風に吹かれて花びらが舞っている。ご飯と一緒に花びらが口に入ってくる。
 
 食後はコレもいつものように歩くことになる。 

 今日の午前中の相談者の問題は、願望や欲望、もしくは希望であったものが、いつのまにか、自分に都合の良いように、それができたかのように思い込んでしまっている。幻想が自分の中で真であるように錯覚しているような曖昧さが残る人である。つまり溺れる者、藁をもすがる、ってことを気づいてもらう相談内容である。
 満期にて釈放されれば以前から世話になっている知人の会社に就職することが決まっている、と述べた。よくよく聞いておれば、何も雇用契約があるわけでもなく、単に知人の会社に仕事を回す、自分が営業をしてお客さんを知人の会社に売る、そのような構造になっている様子。住む家もない、自動車運転免許もない、仕事の道具も何もない、あるのは逮捕される前まで自営でやっていた仕事の経験のみ、カラ自信に見える口先だけの営業力である。そこに踏み込んで質問を投げかけると、あっさり白状した。知人の会社から給料をもらうものではない・・などと。会社に就職したとは言えないよ、と説明をする。このような例は一般的に数多くみられる。強い願望がいつの間にか変化し、願望がすでに達成したかのようにふるまう人は、追い込まれた人に見つけることができる。齟齬が生じると思う。

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