年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

88分の4

2009-11-08 21:44:14 | Weblog
 昨夜の空は、星を見つけることが出きなかった。それでも今朝起きてみれば青空が広がっていて、暖かい光があった。・・・ウ~ンどうしようか、行こうかそれとも止めておこうかと逡巡した。とりあえず、ハラちゃんに電話すると、午前中はダメだと言った、次に山仲間県庁の星Iさんに電話すると、今日は兄上様の家壊し手伝いでダメと言った。Sさんは京都奈良に旅行中だしHさんは孫が来ており孫相手に遊ぶために、私とは遊んでくれないだろうし・・・どうしようかと思っていた矢先に、早速妻から、早くケンちゃんを透析に連れて行ってよと催促あり。シャ~ナイ、では病院へ行って参ると返事をした。病院から戻ると9時20分になっていた。どうしようか、今日島に行くのは・・・PCに向かい中島汽船時刻を調べていると、妻がまたまた、NTTの人が電話を調べにもうすぐ来るよ、と言った。先週から家の電話が故障しているので調べに来るらしい。NTTさんがやって来られて電話線やら受話器を調べてみると、2台ある受話器の内、PC脇に置いてある相当古い受話器が故障しているためにもう一つの階下の電話がつながらないのだと説明をしてくれた。結局古い受話器を取り外すと階下の電話機が使えるようになった。終了したのが9時50分である。ヨ~シ・ウンジャ行って参るからおむすび4個作ってよと妻にお願いする。早く行かねば11時10分発の中島汽船・西回り高速船に乗ることが出来ない。天気は上々、波は穏やかそのもの。切符売り場で、フト考えた。さて、今日はどこの島に下りようかと。帰りの時刻を見れば、二神島が適当であろう。船のキャビンのテーブルに地図を広げて二神島の最高峰をチェック。米山・196mとあった。ヨシここに決定。キャリア形成理論では、クランボルツ理論が好きな私は、人生とは計画通りにはいかないもんだ、予期せぬ出来事があるなかで偶然の出来事によってキャリアを決定づけることがある・・・と言っている。だから今日のところは、計画的でなく偶然に乗った船の中で、とりあえず目の前の島に登ることにした。遠くの目標を打ち立てて計画してもうまくいったことがないのだから、とりあえず今できることの最大値を絞ろうと思ったワケ。
 島に上陸するも誰も島人に遭遇しないではないか、とりあえず、妻のこしらえてくれたおむすび弁当を広げた。消波堤に座り静かな海を眺めながら食べているとバァさんがやって来た。手押し車のバァさんに、米山に入る道を教えてもらうことにした。あの山はどこから行けばいいんですか、と訪ねると、80もとっくに越しているようにみえるバァさんが、誰も近頃は登らないよと答えてくれた。そして昔はその谷筋から上がって行ったことがあるけれど、小学校の頃の遠足だった、などと言った。エ~イもう70年も前の話ではないか、70年も経てば小道などは、草や木が生えて自然に帰っているだろう。シャ~ナイ、それではヤブコギしながら登ろうかと腰を上げた。案の定、道などなかったけれど、目指すは、そこに見える山である。普通に歩くことのできる山であれば30分で充分であろうか。しかし潅木の間を右手に柄の長い鎌をもち蔓やとげのある野イバラの蔓を切りながらの歩行につき遅々として進まず。光の通らない急な斜面を歩くことが出そうなルートを探しながらの歩行。それでも50分ばかし登ると古いコンクリート貯水槽まできた。ここは小さな峰上である。そこからはまったく道らしきものが見当たらない。笹が頭の上まで生い茂り、かき分けかき分け登ることになる。20分もするとなんとなく頂上らしい所に出た。木々の隙間から少しだけ海が見える。大きな木の下で休憩。自宅から持ってきた「森の水」のペットボトルを汗を拭き吹き飲む。うまい。今ここで耳に入る音は、漁船のエンジンの音と烏のギャァギャァ泣き叫ぶ音のみ。誰もいない、数年も誰も来てはいないだろうと思うこの場所で1人の時間を持つ。
 帰りは30分もあれば十分だろう、2時40分のフェリーには間に合うだろうと計算するも、やっぱり計画通りにはいかないものだ。下山も同様に道なき道を鎌で草や枝を切り捨てながらの歩行だから、スピードが上がらなかった。港に着くとフェリーが出た後であった。沖合いを既にフェリーが走っていた。次の便まで2時間近くもある。待ち時間の間、集落地を散歩するとジィさんバァさんが家から出てきて道端の消波提に座り込み話の花を咲かせていた。私もそこに参加すると、ものめずらしそうに、アンタは二神の人かと聞かれる始末。二神の昔話を聞いた。ミカンの全盛時だから楽しかった、あの頃は私らも若かったなぁ・・・と話をしてくれたけれど、平均90歳近い人のジィさんバァさんが急に民主党政権に変わって、などと政治の話になったのは、オドロイた。目の前の島を指差しながらあの島の人は気が荒い人が多いとかこの島の人は、なぜか芸能人が出る島だとか歌がうまいとか、あちらの島は頭のよい人が多いとか、そちらの島は後家さんが多いとか解説をしてくれた。そして向こうの三角形の島が柱島です、そこで戦艦陸奥が沈没したと話してくれた。そうだった、ここ、くだこ水道は大きな船の航路である。ここの海域は軍の要衝地域であった。戦艦大和もこの目の前を通ったのを見た、と90を超える元気なジィさんバァさんが愉快に話してくれた。
 自宅着が18時、珍しく日曜日に家にいる妻に、タダイマイキテモドッタよ、と話すと、これまたオーバーに、よくぞ生きて帰られてようございました。などと迎えてくれた。
 夜サッポロから電話あり、お嫁さんと二人で雪のない手稲山に登ったよ、と携帯から聞こえた。

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