年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

フェルメールからのラブレター

2011-09-30 00:00:00 | Weblog
 
 love letterなどの手紙のやリ取りは、もう使われなくなった旧いダイヤル式の電話機のようなものかもしれない。。今時は、メール交換など絵文字を交えてお互いの感情をやり取りする、少し直接的な言葉ではない方法のクッション部分があって、攻撃もしないしされないし、のようななんだかコミュニケーションが取れているのかどうかさえわからない感じがする。このことを若い人たちに話すと、だから老人の発想になるのだと、返事が返る。でも、ラブレターは言葉による相手への伝達になる。言の葉に魂を入れ込んで相手へ投げ入れる、と同時に文章のあいだあいだに気持ちを伝えるべく、いわば行間を読んでもらうよう文脈を形作る。自分の思いが相手にほとばしるようになるんだと思う。
 
 今日は、京都市美術館で開かれているフェルメールの絵に、つまり、字の如く糸で引かれるよう会いに行く。フェルメールの特長は、日常の生活が普通の生活感覚から(例えば自分の思いをどのように相手に伝えるか、家族の団欒、ありふれた穏やかな日常などを通して)描かれており、その中から絵を通して考えさせられるものがある。同時代の作家の多くが宗教画などであったりするのと比べて圧倒的に、その時代に大切にしている、例えば家族の絆であったり、遠い所に住む近親者からの手紙であったり、手紙を書く少女の表情であったりして、作者がデフォメル化するでもなく、生活全体の優しさを感じさせる絵を画いているのが特長だと思う。相手を思いやる気持ちが溢れている作品は1665年~1670年の≪手紙を書く女≫≪手紙を読む青衣の女≫≪手紙を書く女と召使≫が展示されていた。今回の展覧会のテーマはコミュニケーション、絆である。作品を通して人との温かい交わりについて考える時間を持つことが出来る。
 会期は6月25日から10月16日まで、きっと10月も最終時期に差し掛かると客が殺到しそうだから、休日前の今日、月末多忙な時期にもかかわらず、ヤスミを取り「そうだ・京都いこう」になったワケ。でも、ウィークデーの今日だからゆっくり見ることができるだろうの予測は、はずれた。入館するのに雨の中、1時間近く待たされた。数年前に見た上野・東京都美術館で催された同展の絵とは展示作品が違ったものだから、是非とも見たかった作品であった。感動ものであった。