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しばらくお休みになっている島の山に行くことにした。今日の行き先は青島である。
伊予灘にポカンと浮かんでいる実家の目の前にあるこの島は、自分にとってどのような位置付けになるんだろう。小学2年生の夏休み、対岸側からこの島めがけて初めて1m泳ぐことが出来た。冬の寒い日は、青島が浮いている姿を眺めることが出来た。いわゆる冷たい空気と温かい海水温度の差による浮島現象。小学3年生の時には、担任の先生の指導により共同研究と称してグループで日の入りの場所と時間をノートに書き写し、少しづつ夕陽の落ちる時間と場所が変る様子をノートに書き写す作業は、常に青島が中心であった。また嫌なことがあったり嬉しい時にも浜に出てこの島を眺めた。高校生になり夕方汽車から眺めた、青島に落ちる夕陽は、いつも言葉を飲み込むほどであった。また、前職の出版社を辞める時にも、会社の休暇を取り、実家に帰りこの島を眺めて、自分の解答を待った。つまり、いつも青島を遠望しながら何かしら考える習慣があったのだ。
現在島に住む人は、14世帯18人だと老婆が言った。昭和30年代の始めころには、このごくごく小さな島に800人が住んでいたという。しかし今は、昔日の面影はなく、船が接岸して真っ先にお迎えに来たのは、住人より数の多い猫である。
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島には道路がない。家と家を結ぶ通路が中心、そこを老婆に教えられた通り中島神社を迂回して上がり行くと元学校跡であることがわかる、野口英世像をそのまま鎮座した中島公民館があった。像に並ぶように88ヶ所の石像が南向きに並べられている。しばらくコンクリートで固められた幅50センチの小道を孫の手を引くようなゆっくり歩きをすること30分で島の西で灯台のある最も高い地点に到達した。
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どこの島でもそうであるように、最高点からの展望は藪・雑木にさえぎられてまったく景色見えない。波が岩に砕け散る音、やかましい漁船のエンジン音が耳に入ることと、時にトンビがキュ~ルキュリキュルと青空低く飛んでいる姿が目に入るだけ。
今朝自宅を出たのが5時10分、長浜港に6時10分に着き、小さな青島行き定期船・青島丸の出港が7時、青島港着が7時45分。島の最高点到達が9時前であった。でも帰ろうにも帰ることが出来ない。帰りの船の出発時間が16時10分だからそれまで待たなくてはならない。自販機もお店もない島、もちろん車もない信号などなく30分もあれば西から東まで歩けそうな島である。
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だから、出港までの7時間ばかり、島の東端・弁天ヶ崎に移動し、実家のある向こう岸のふるさとを飽きずに眺めることとなった。ただただ何もせずぼんやりと眺める。そして、今住んでいる自宅の方角を確かめることとなった。考えたことは、こんなところで自分が育ち、今こんなに見えるところに住んでいるけれど、自分の知っているところは、ごくわずか、針で刺した一点で長く生活していて、自分の生活している周りは、青空高く、ほとんど山が海岸まで迫ったところでシコシコと今まで生きてきた実感である。なんと自分は大空の下の黒い大地の隅っこの小さなところで、なんと小さなつまらないことに悶々と日々過ごしているんだろうか・・・と待ってもなかなかこない定期船を待ちながら考えた。