暘州通信

日本の山車

00449 二荒山神社祭

2007年01月12日 | 日本の山車
00449 二荒山神社祭
栃木県宇都宮市市宮町
二荒山神社
祭は10月下旬
山車二臺、屋臺四臺を曳く。

□山車(屋臺)
・本郷町
弘化二年(1845)の建造。
本座人形は神功皇后、応神天皇、武内宿禰。
原舟月明治14年の作。

・上四条会
彫刻屋台。昭和三十三年(1958)7月の建造。彫師は阿久津陽山。

・伝馬町
嘉永6年(1852)の建造。

・蓬莱町
彩色彫刻屋台。弘化二年(1845)の建造。工匠は高田仲右衛門。彫刻は高田慎吾。

・大工町
素木造彫刻屋台。昭和29年(1954)の建造。彫刻は、千葉市行徳の後藤直光

・大黒町
花屋臺。明治三十四年(1959)。旧山車を改造して完成した。

・鉄砲町
一部を残して罹災し、現在は飾臺となっている。

□汎論
寛文十二年(1672)頃にはすでに山車、屋臺が作られ、およそ四〇年後の享保四年(1719)には城下三十九町の屋臺が完成したといわれる。

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03638 大江秋祭

2007年01月11日 | 日本の山車
03638 大江秋祭
山形県西村山郡大江町左沢
左沢八幡神社
祭は9月中旬
囃子屋臺が二臺曳かれる。
□山車(屋臺)

□左沢は、ひだりさわではなく、あてらざわとよむという。これも難読地名である。
江戸期に造られた二臺の囃子屋臺が曳かれる。山車(屋臺)は江戸期の作といい、3層になっており、中臺前部に囃子方が座わって囃子を演奏する。上臺はひろい欄間状で透かし彫りとなっている。四隅の柱は下臺から上臺までを通し柱としている。

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●973 スゲ属(Calex)植物図譜

2007年01月11日 | 岐阜県植物誌
●973 スゲ属(Calex)植物図譜
スゲ属(Calex)植物図譜3巻、は吉川純幹の著で、たしか金沢大学理学部に所属する
北陸植物の会から刊行されたはずである。
名古屋の小物学者で著名だった井波一雄氏(故人)が、その描画を「まさに神業」と評され、入手の機会が得られないのを残念がっておられたことを思い出す。
昭和50年代に古書店ですでに60万円あまりの値段がついたことがあるが、ほしい方が入手できたか、否か?
金沢市のT氏とは永年の交流だったが、あるときこの、スゲ属(Calex)植物図譜が送られてきた。添えられた手紙に謹呈とあった。正直、嬉しさと困惑があった。早速手紙を出してその気持ちを伝えたのだが帰ってきた返事は意外なものだった。
T氏は糖尿病の持病に長年悩まされてきたのだが、病状は悪化。ついに失明にいたったということで、かねてから希求していたあなたに(筆者のこと)役立てていただければ幸いです。ということで、忝く頂戴したのだった。
まもなくT氏は逝去された。その後なんどとなく本をひらくのだが、T氏の好意に報いられないのは遺憾のきわみである。
一緒に卯辰山の植物観察をしたのがきのうのことのように思い出される。もし、病気にかからなければ、いまもよき交流が続いているはずだと思うと残念だ。

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10588 「暘州」とは?

2007年01月10日 | 日本の山車
「暘州」とは?

このごろ「暘州」とは? との質問をよく受ける。
飛騨は「ひだ」の音に文字をあてたに過ぎず、斐太、悲陀、飛弾などとも書かれるが「ひだ」の音に文字をあてたに過ぎず、その語義にはとくに意味がない。
かって国名はすべて一字であらわされており、のちに二字になった。
飛騨地方は「暘=ひ」の国・太陽の国すなわち暘州といわれてきた。だから、暘州(ようしゅう)は飛州とも同義である。
関東各地に見られる氷川神社の起源は出雲とする説があるが、島根県の簸川、広島県の比婆など古代の出雲文化の流入であろう。
茨城県の常陸(日立)、宮崎県の日向、大分県豊前日田などは、飛騨とおなじく「暘」の国かもしれない。
春分・秋分の日に常陸に昇った太陽は黄道をたどると、信州諏訪を経て飛騨高山乗鞍岳(奥の院)、位山(本宮)、水無神社にいたるといわれる。
高山市の東部にある上野平(うわのだいら)は広大な台地であるが巨大な建築物(大神殿)があったと推定する。
松森以外は木がない。戦前地元の女性操縦士が着陸したことがある。
上野平は縄文遺跡の宝庫で、おびただしい事物を出土し、おおきな人面石(太陽神の象徴ともいう)があった。その後の耕地整理、土地改良事業が繰り返され、いずこかへ消えてしまった。
東部の旧丹生川村(現、高山市)には日抱宮、日輪社(神社)、日面などがあり、太陽信仰の面影をとどめている。江戸時代お伊勢さんが飛騨にお移りになったといわれ、街道は大賑わいしたという。日面は両面宿儺ゆかりの地でもある。
旗鉾の地名は、三韓征伐から帰った神功皇后が陣中で用いた旗と鉾を奉納して、三韓征伐の祈願が成就したことを感謝したことに因むといわれる。
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●965 安曇氏と穂高

2007年01月10日 | 日本の山車
安曇氏と穂高

安曇氏は海人族にあてられ、ワダツミ(綿津見)の系譜に配されており、滋賀県の安曇川、安土は古代に安曇氏の定着した場所とされる。
では、長野県の安曇氏はどこから移入したか?
この謎解きには宗像三神とのかかわりを省くわけにはいかない。
宗像大社は福岡県宗像市田島2331に鎮座する。
宗像大神を祀る神社は全国に六千あまり社あるといわれるその総本宮である。
玄界灘に三島があり、沖ノ島には、沖津宮のタゴリヒメノカミ(田心姫神)を祀る。
島からは、鏡、勾玉、金製の指輪など、約十二万点の貴重な遺物がみつかり辺津宮神宝館に所蔵、展示され一般に公開されている。許可なく島には上がれないが、特に女性はこの島に渡るのを禁じられている。
中津宮にはタギツヒメノカミ(湍津姫神)を祀る。
辺津の宮にはイチキシマノカミ(市杵島姫神)を祀り、三宮の総社とされている。この三宮を総称して宗像大社という。
辺津宮には、宗像大神が降臨したと伝えられる「高宮祭場」があり、神籠(ひもろぎ)、あるいは磐境(いわさか)といい、祭の原点とされている。
宗像大社は、「ミチヌシノムチ(道主貴)」ともいい、 交通安全のためにお供えされた、人形、馬形、舟形という石製の形代(かたしろ)が国宝として保存されている。 古代より、道の神様としての篤い信仰を集めていたことを表しており、遣唐使も交通安全のために必ず参拝をしている。
長野県への移入経路は伊勢湾から、木曽川を遡上してきたものと推定する。
松本市の須々木水神社のおそらくすすき氏? は和歌山の出自だろう。五十猛を祀る
伊太祁曾神社も和歌山県に本宮がある。岐阜県高山市(旧丹生川村)、飛騨市(旧神岡町)には伊太祁曾神社が数社あり、乗鞍岳山頂にも祀られるが、これも、紀伊から伊勢湾をを経て信州安曇野にはいり、北アルプスを越えて飛騨に入ったものだろう。
飛騨地方の伊太祁曾神社と道祖神、庚申の分布はほぼ一致する。
そうすると、住吉神、熊野神、諏訪神とはどのように折り合いがついたのか? という疑問が起きてくる。

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02397 島田髷祭

2007年01月08日 | 日本の山車
02397 島田髷祭
静岡県島田市
祭は9月中旬
およそ50人ほどの女性が髪を島田に結い祭行列に加わって流し踊りを披露する島田髷道中があり、鵜田寺では髪供養感謝祭も行われる。
島田市は、文金高島田発祥の地といい、最初に考案したのが同地出身の遊女、虎御前だったという。

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00572 島田帯祭

2007年01月08日 | 日本の山車
00572 島田帯祭

静岡県島田市
大井神社

祭は10月中旬。
元禄六年にはじまるといわれる祭で、日本三大奇祭のひとつに数えられる。神幸祭には新しくお輿しいれした花嫁がしたがう風習があったが、観客から冷やかしや卑猥な野次が飛び交い、真っ赤になってたちすくむのをみてやんやと囃す風俗があったが、花嫁がしだいに祭に出るのを渋るようになり、
不良中年が楽しみにした祭だったが、意見も出て、行列の大奴に華やかな帯を託すようになったのだという。
三年に一度、寅、巳、申、亥の歳に行われ、山車が曳かれ屋臺踊、鹿島踊が奉納される。

ここらあたりで昔どおり、花嫁さんが祭行列に加わったらという意見もあるようだ。

島田帯祭の大名行列は静岡県無形民俗文化財に指定されている。

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20011 初詣と氏神

2007年01月07日 | 日本の山車
初詣と氏神

新年を迎えると多くのひとたちは晴れ着で美しく着飾ってお宮さんに初詣にでかける。
婚約のととのった若者、受験生、出産を控えた新婦……。
ふだんはあまりでかけない神社にお参りする。お参りする神社は多くは氏神さま、産土神(うぶすな)、鎮守の神さまである。
なかには学業成就を願って遠く大宰府天満宮、良縁を願って出雲大社にお参りするひとたちもいるだろう。
氏神さま、たとえば八幡神社、諏訪神社、白山神社、住吉神社、日枝神社、春日神社、宗像神社、三島神社、鹿島神社、天満神社など、など(順不同)におまいりし、お札を受け破魔矢をもとめ、お守りを買い、おみくじを引いて一喜一憂する。
氏神とは氏の祖神であり、氏子はその一族である。だから赤ちゃんが生まれるとお宮まいりをし、七・五・三にはわが子のすこやかな成長を祈る。結婚式は神前で行い、新築の地鎮祭でお祓いをうける。
近年はその結びつきや、束縛、支配は受けなくなってきているが、多くのひとが初詣にでかけるというのは氏子の意識が無意識にはたらいているということかもしれない。
日本の総鎮守であるお伊勢さんには全国から多くのひとたちがお参りする。

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27225 巨人伝説と小人伝説

2007年01月06日 | 日本の山車
27225 巨人伝説と小人伝説
各地にある巨人伝説と小人伝説。
巨人伝説に登場するのはダイダラボッチ、デイダラボッチ、鹿児島県、宮崎県には弥五郎どん三兄弟が祀られている。大隅の岩川八幡神社の浜くだり神事には弥五郎どんが曳きだされる。
小人伝説によくでてくるのは少名彦名命(スクナヒコナノミコト)小人ながら常人をはるかにこえた通力で多くの人を救い、各地の神社に祀られる。
飛騨地方の有名な両面宿儺(リョウメンスクナ)はその化身だったという言い伝えがある。
岐阜県山県市(旧高富町)には「ヤングルドン」がでる。弥五郎どんの転訛ではないかと考察されるがずいぶん解釈が異なっているようだ。


03663 苅田山笠

2007年01月06日 | 日本の山車
03663 苅田山笠
福岡県苅田町
宇原神社


□汎論
古い歴史と変遷があり、江戸時代中期には笠鉾がでており、土地の記録によると安政2年(1855)には「鉾山」とよび、
御仮殿、左座 小倉宮神輿、南原鉾山。
御仮殿、右座 宇原宮神輿、雨窪鉾山、馬場鉾山、集鉾山、苅田鉾山、浜町鉾山、提光国鉾山。
とあって、鉾山とよぶ時代があったようである。この鉾山は舁山だったといわれ、大正年間に山車となった。