暘州通信

日本の山車

●965 安曇氏と穂高

2007年01月10日 | 日本の山車
安曇氏と穂高

安曇氏は海人族にあてられ、ワダツミ(綿津見)の系譜に配されており、滋賀県の安曇川、安土は古代に安曇氏の定着した場所とされる。
では、長野県の安曇氏はどこから移入したか?
この謎解きには宗像三神とのかかわりを省くわけにはいかない。
宗像大社は福岡県宗像市田島2331に鎮座する。
宗像大神を祀る神社は全国に六千あまり社あるといわれるその総本宮である。
玄界灘に三島があり、沖ノ島には、沖津宮のタゴリヒメノカミ(田心姫神)を祀る。
島からは、鏡、勾玉、金製の指輪など、約十二万点の貴重な遺物がみつかり辺津宮神宝館に所蔵、展示され一般に公開されている。許可なく島には上がれないが、特に女性はこの島に渡るのを禁じられている。
中津宮にはタギツヒメノカミ(湍津姫神)を祀る。
辺津の宮にはイチキシマノカミ(市杵島姫神)を祀り、三宮の総社とされている。この三宮を総称して宗像大社という。
辺津宮には、宗像大神が降臨したと伝えられる「高宮祭場」があり、神籠(ひもろぎ)、あるいは磐境(いわさか)といい、祭の原点とされている。
宗像大社は、「ミチヌシノムチ(道主貴)」ともいい、 交通安全のためにお供えされた、人形、馬形、舟形という石製の形代(かたしろ)が国宝として保存されている。 古代より、道の神様としての篤い信仰を集めていたことを表しており、遣唐使も交通安全のために必ず参拝をしている。
長野県への移入経路は伊勢湾から、木曽川を遡上してきたものと推定する。
松本市の須々木水神社のおそらくすすき氏? は和歌山の出自だろう。五十猛を祀る
伊太祁曾神社も和歌山県に本宮がある。岐阜県高山市(旧丹生川村)、飛騨市(旧神岡町)には伊太祁曾神社が数社あり、乗鞍岳山頂にも祀られるが、これも、紀伊から伊勢湾をを経て信州安曇野にはいり、北アルプスを越えて飛騨に入ったものだろう。
飛騨地方の伊太祁曾神社と道祖神、庚申の分布はほぼ一致する。
そうすると、住吉神、熊野神、諏訪神とはどのように折り合いがついたのか? という疑問が起きてくる。

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