暘州通信

日本の山車

◆32558 稲作と祭祀 一

2011年12月17日 | 日本の山車
◆32558 稲作と祭祀 一
 これは仮説である。
 日本人は米を主食とする民族である。その歴史は農耕の遺跡が発掘され、科学の検証があって、おぼろげながら歴史をさかのぼって検証される時代になった。その結果は驚くべきもので、断定困難とはいえ、いずれ、およそ紀元前二十五世紀ころまでも遡るような結果が出てきそうである。これは仮定であり、もしかすると、実証されうるさらに古い事実が導き出されるかもしれない。
 ここでは、仮説として、一応紀元前二十五世紀から紀元五世紀にいたる三千年を前期、紀元五世紀から二十一世紀を後期と分け、先史時代の稲作と祭祀について模索する。
□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/
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http://hiyou.easy-magic.com/

◇大阪都構想の裏には何があるのか
2011/12/16(金) 午後 0:37
... 度重なる軍事攻撃を受けた結果、先に北朝イスラエル王国が完全に征服 ... 神武天皇の生存期間(紀元前711年~紀元前585年)が、古代のイスラエル王国がアッシリア帝国に侵略され始めた時代から最終的に南朝ユダ王国が消滅した年代が符合するのである。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/beautyhappinesshide/61615190.html

◇日本周遊紀行(190)大山  「伯耆の国」
2011/12/16(金) 午後 0:01
... 太伯は呉(中国南部に位置した紀元前5世紀から6世紀頃の国で、中国・春秋時代に存在した君国の一つ。三国時代の呉・蜀・魏とは異なる)の祖とされる人物である。 ... 早くから稲作が行なわれていたという結果もある。 南方の米を主食とし ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/orimasa2007/36435888.html

◇古代中国双耳壺…『東日本大震災義援広場Ⅱ』
2011/12/11(日) 午後 3:19
... 「中国古代=紀元前」ですので、 この壺が焼かれた頃、まだ日本は縄文か弥生と呼ばれる時代でした。 そんな時代に、「人の手によって形成された品」が手元にあり、 しかも、それを気軽に手触る事が出来る ... 検索の結果、以下が参考になるかも?です。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/siro2410/33347374.html

◇『紀元前1万年』 (2008年・アメリカ)
2008/11/10(月) 午前 7:23
... その結果が偶然によるものだったことから槍 ... 紀元前1万年の世界を見事な映像技術で再現されている上、話の筋はわかりやすく、とても楽しめましたよ。 たしかに時代設定が紀元前1万年である必要はなく、ただ単にマンモスなどをCGで見せ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/osue0127/58890785.html

◆01611 花室神社祭

2011年12月17日 | 日本の山車
◆01611 花室神社祭
□社名 花室神社
□所在地 茨城県久慈郡大子町佐貫
□祭神
□祭は四月。
□山車
屋臺
・小久慈町
・本町
・近町
・金町
・泉町
・栄町
(順不同)
□汎論
□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
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◇私が行った日本三大春祭り(四月~六月)
2010/7/30(金) 午前 6:36
私が行った日本三大春祭り(四月~六月) 江戸神田祭、神田神社(東京都)5月15日に近い土日 日本三大祭り 江戸三大祭り 昔は山車が中心の祭りだったようだが 路面電車の普及と関東大震災 第二次世界大戦で焼失 今は神輿中心の祭りに変貌 秋葉原のお祭り ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/mimatyu2000/60144312.html

◆01558 小生瀬諏訪神社祭

2011年12月17日 | 日本の山車
◆01558 小生瀬諏訪神社祭
□社名 諏訪神社
□所在地 茨城県久慈郡大子町小生瀬
□祭神
□祭は秋季(四年毎)。
□山車
山車を曳く。
□汎論
 小生瀬にある諏訪神社の鳥居は神明型であるのが珍しい。石段を上ると平坦で広い境内には長い参道がある。拝殿の向拝柱には異型の注連縄(しめなわ)がかかる。注連縄は七五三縄とかかれる例があり、いろいろの態様があるが、正面から見ると、その綯い目(ないめ)が、左上部から右下部へと右下がりになるようにかけれるのが一般的であるが、例外がある。滋賀県各地には【勧請縄(かんじょうなわ)】とよばれるさまざまな注連縄がかかる。
 注連縄の多くは稲藁であるがそのかたちは、縄状に綯う部分は雲、白い紙の幣は稲妻、垂れ下がる藁稈(茎)は雨をあらわしていると説明したものがある。福島県東白川郡棚倉町にある都都古別神社は奥州一ノ宮の額がかかる、延喜式神名帳記載の神社であるが、 注連縄を中央で切断して端口をそろえて下向きにさげる。全体のかたちがV字型になる。小生瀬諏訪神社の注連縄とよく似ている。