暘州通信

日本の山車

◆00432 大子十二所神社祭

2011年12月15日 | 日本の山車
◆00432 大子十二所神社祭
□社名 大子十二所神社
□所在地 茨城県久慈郡大子町大子
□祭神
天神七坐
クニトコタチノミコト 国常立尊
トヨクモヌノミコト 豊斟純尊
ウヒジニノミコト 泥土煮尊
ツヌグイノミコト 角材尊
イシグイノミコト 活材尊
オオトジノミコト 大戸道尊
オモダルノミコト 面足尊
カシコネノミコト 惶根尊
イザナギノミコト 伊弉諾尊
イザナミノミコト 伊弉冉命
地神五坐
アマタレスオオミカミ
オシホジノミコト 忍穂耳尊
ニニギノミコト 瓊々杵尊
ヒコホホデミノミコト 彦火火出見尊
ウガヤフキアエズノミコト 草葺不合尊
境内社
愛宕大神 
カグツチノミコト (軻遇突智尊)
三峯神社
イザナギノミコト 伊弉諾尊
イザナミノミコト 伊弉冉尊
蒟蒻神社
ナカジマトウザウェモン 中島藤ヱ門大人命
□祭は五月上旬(四年毎)。
□山車
山車
・近町
・愛宕町
・栄町
・泉町
・本町
・金町
・小久慈
(順不同)
□汎論
 大子十二所神社の創祀は不明。一説に創祀は天平時代の神亀四年(七二七)というが詳細不明。古い神々が祀られ、大和朝廷成立以前の神の名を含めた、祭神十二神の名が上げられるのが社名の由来である。これらの神々は近隣に祀られていた神が合祀されたと伝えられる。
 蒟蒻神社は、ナカジマトウザウェモン(中島藤ヱ門)の霊を祀る神社。当地の農産物である蒟蒻(こんにゃく)の製法に取り組み、こんにゃく粉の開発に成功した功労者で、その徳を讃え、山方町諸沢地区にある山尊神社より分祀を受けて当社に祀ることとなった。

◆05105 東金砂神社祭

2011年12月15日 | 日本の山車
◆05105 東金砂神社祭
□社名 東金砂神社
□所在地 常陸太田市(旧水府村)天下野町
□祭神
オオヤマクイノミコト(大山咋命)
□祭は十二月中旬。
□山車
風流物。
□汎論
 東金砂神社の創祀は、社記を参考にすると、大同元年(八〇六)、天台宗の僧侶寶珠上人と伝わり、比叡山の日吉権現であるオオヤマクイノカミ(大山咋命)を勧請したと見える。その後、嘉承二年(八四九)に慈覚大師円仁が比叡山より、二十一社を勧請して祀ったとある。神社は東金砂山頂近くにある。東金砂山は西金砂神社とおなじように、いわゆる御神体山たる神奈備山と推察される。
 その成立は旧金砂郷町現常陸太田市の西金砂神社とほぼ同じで、
創祀の時期、近江坂本(滋賀県)の日枝大社から分祀を受けて祀られた神社である。東金砂山は、西金砂山はともに定源寺、東清寺とともに修験の山だった長い歴史があり、東金砂山、西金砂山、竪破山、真弓山、花園山を常陸天台五山とよんでいる。
 七十二年に一度の大祭礼もおなじで、同じ年に東にある水木浜まで延べ一〇日をかけて往復するのが通例である。水木浜への渡御は、金砂の神は、是浜磯おおしまというところより現れたとの伝承にちなむ。御神幸の行程は両社とも、中染祭場、和田祭場、馬場八幡宮祭場、水木浜祭場、上河内祭場までは同じであり、西金砂神社がさきに出立し、三日後に東金砂神社が発たれる。還御の行程は、両社で若干異なる。