暘州通信

日本の山車

◆03189 渭伊神社祭

2011年03月21日 | 日本の山車
◆03189 渭伊神社祭
論攷 延喜式神名帳
□所在地 静岡県浜松市北区(旧引佐町)引佐町井伊谷
□旧国名 遠江國引佐郡
□現社名 渭伊神社(いいじんじゃ)
□旧社名 渭伊神社
□祭神
タマヨリヒメノミコト 玉依姫命
ホムダワケノミコト 品陀和氣命
オキナガタラシヒメのミコト 息長足姫命
□祭は十月下旬。
□山車
山車(屋臺)一臺を曳く。
・七区 神宮寺
□汎論
 渭伊神社は、延喜式神名帳遠江國引佐郡郡に記載される、遠江國六二座のうちの一座。祭神のタマヨリヒメノミコト(玉依姫命)は賀茂氏所縁の玉依姫命ではなく、海神族(綿津美氏)トヨタマヒメ(豊玉姫)の妹神であるタマヨリヒメノミコト(玉依姫命)で、初代天皇のイワレヒコ(磐余彦)の母であろう。滋賀県の彦根藩の井伊家は渭伊神社を産土神としている。
 創祀年代は不詳。現在の社地は近くにある龍潭寺が旧蹟だとの説がある。龍潭寺は小掘遠州作庭で知られる名勝でもある。
 渭伊神社の西には薬師山とも呼ばれる神南備山があり、巨石を組んだ磐座がある。この古代祭祀處が古代の渭伊神社にあたり、現在の渭伊神社はその里宮であろう。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
◇日本の山車 ブログ

◆04656 息神社祭

2011年03月21日 | 日本の山車
◆04656 息神社祭
論攷 延喜式神名帳
□所在地 静岡県浜松市西区(旧雄踏町雄踏町)宇布見
□旧国名 
□現社名 息神社(おきじんじゃ)
□旧社名 息神社
□祭神
シナツヒコノカミ 志那都比古神
シナツヒメノカミ 志那都比賣神
ウカノミタマノカミ 宇迦之御魂神
サルタヒコノミコト 猿田毘古神
オオミヤヒメノカミ 大宮比賣神
□祭は一〇月中旬。
山車(館車)六臺、大太鼓臺八臺を曳く。
□山車
・浅羽
津島神社。
・西ヶ崎
白山神社。館車は知多様式。明治三〇年代の建造、工匠は愛知県阿久比町横松の江原新助。
・領家 金舘車
天神社。
江戸時代に竜洋町掛塚の元宿・も組(現・本町)で建造されたもの。天竜市二俣町を経て明治二五年に取得。
・中村
金山天神社。
・田端
日吉神社。
・小山
八幡神社。
(順不同)
□汎論
 息神社は、延喜式神名帳遠江國敷智郡に記載される、遠江國六二座のうちの一座。
 創祀は、文武天皇期、慶雲二年(七〇五)に山城の國から稲荷神を勧請したと伝わる。
祭神のシナツヒコノカミ(志那都比古神)、シナツヒメノカミ(志那都比賣神)は夫婦神。シナツヒコノカミ(志那都比古神)は『古事記』では、イザナギノミコトとイザナミノミコトの子とされ、【風の神】だとしている。『日本書紀』では、イザナミノミコトの息からシナトベノミコト(級長戸辺命)が生まれ、別名をシナツヒコノミコト(級長津彦命)だとしている。畿内大和(奈良県)から東国の相模にかけて、両神を祀る古社が点在する。「シナトベ」とは神の「神の呼吸」とする思想がある。呼吸はすなわち息のことで、社名もこれにちなむと考えられる。
 シナツヒコノカミ(志那都比古神)、シナツヒメノカミ(志那都比賣神)を主祭神と
し、「山城国稲荷山の三神を迎え米大明神と称す」とあって、三神が併祀されたのはのちのことと考えられる。
 シナツヒコノカミ(志那都比古神)。シナツヒメノカミ(志那都比賣神)を「神」と記すのは古事記の表記、日本書紀では「命」としている。
 奈良県の龍田大社では祭神が天御柱命と国御柱命となっているが、奉齋の祝詞では天御柱命はシナツヒコノカミ(志那都比売神)、国御柱命はシナツヒメノカミ(志那都比売神)とされていて、アメノミハシラノミコトとシナツヒコノカミ。クニノミハシラノミコトとシナツヒメノミコトはそれぞれ同神とされている。
 伊勢神宮には内宮の別宮に風日祈宮(かざひのみのみや)、外宮の別宮に風宮があり、いずれも級長津彦命と級長戸辺命を祀る。
 息神社には室町時代の尉(じょう)、女(丸、長)、霊、鬼神、抜頭、鼻高など十数面の古面が保存されている。