暘州通信

日本の山車

静岡県の山車 総論

2011年03月02日 | 日本の山車
静岡県の山車 総論
 静岡県は、東部の伊豆國、中部の駿河國、西部の遠江國と旧三國で構成される県である。北部には甲州境に三国一の富士山があり、麓の三保の松原とともに、わが国を代表する屈指の景観として知られる。
 静岡県の文化、人情、山車も旧三國でそれぞれ異なり、東部では、熱海こがし祭のように独特の勇壮な山車祭、富士宮市の江戸の影響を受けた山車祭、伊豆下田市の太鼓臺。中部では、袋井市、磐田市、掛川市には旧態を温存しつつ数で圧倒される山車の数々がある。
 西部では、遠州森には数多くの集落に華麗な山車が数多く曳かれる。浜松の凧揚げ祭は、特定の神社に属さな祭で、山車の濫觴は中島砂丘で競う凧揚げの凧を運ぶ車だったと言われる。工藝の極地を見る優雅な山車(御殿屋臺)は二百数十臺と言う驚くべき数である。祭の前夜は山車に明かりを燈し、山車の後ろには青年男女が肩に手を置いて一列に並び、進軍喇叭を吹き鳴らし、蛇行しながら掛声を上げて行進し、鍛冶町のあたりは大変な混雑になる。風香る皐月の祭の当日には、中島砂丘で凧揚げが行われるが、いわゆる喧嘩凧で、相手を見つけてはお互いの凧糸を絡めて、相手の凧を切り離す荒業で、青年男女が掛け声を掛け合い凧糸を引く、凧は十畳以上もある大きなもので、達者な武者絵などが描かれている。凧足は太い孟宗竹で五間以上(約一〇メートル以上)もある。凧の糸が切れると強い西風に乗ってあっという間に唸りを挙げて舞い上がり歓声が起きる。凧糸が切れた凧は、風に乗って房総半島まで飛んだと言う記録もあるそうである。
 この凧糸には組ごとに秘術があり、ガラスを砕いた粉を練りこんだ糸を作るなど工夫が凝らされたそうであるが、現在は公平を期するために、【凧揚げ会館】に縄を綯う機械を導入し、専門の職員が、直径七、ミリメートルくらいのマニラアサの凧糸を製作している。浜松市の近隣町村には、山車・御殿屋臺の影響を受けた多くの山車が曳かれる。
 天龍川は長野県の諏訪湖を水源とする河川で、かつては、材木を筏(いかだ)に組んで流し、【龍峡小唄】も聞かれた地であった。遠州・信州をむすぶ独特の流域文化が今も残る。
 掛塚は遠州灘に面した天龍川左岸の町で、ここには古い瀟洒な山車がある。名工、左甚五郎、諏訪の立川和四郎の彫刻が見られる見事な古い山車がある。浜松の御殿山車のお手本になっているといっても過言ではないだろう。町内には秋葉さんの参詣道があり、立派な秋葉燈籠が随所に見られる。
 浜名湖には舞阪町から浜名湖を巡る環浜名湖地域には太鼓臺が曳かれる。この太鼓臺は引佐町(いなさちょう)、水窪町(みさくぼちょう)を経て、愛知県の、鳳来寺町から、稲武町に及んでいる。
 太平洋沿海部の相良町から、伊豆半島西部には、御舟祭、御舟山車が見られたが、現在は低調のようである。 
 静岡県には、【駿河に過ぎたものが二つある。富士の山と原(沼津)の白隠だ】と言われてきたが、もうひとつ、山車の数においてはおそらく日本一の県である。

◆16301 猪家神社

2011年03月02日 | 日本の山車
◆16301 猪家神社
□社名 猪家神社(いのえじんじゃ)
□現在の社名 椎ヶ脇神社(しいわきじんじゃ)
□所在地 静岡県天竜市二俣町鹿島
□祭神
クラオカミノミコト 闇淤加美命、
トヨタマヒメノカミ 豐玉比賣神
□祭
□山車
山車は無い。
□汎論
 猪家神社(いのえじんじゃ)は、延喜式神名帳遠江國長下郡(ながのしものこおり)に記載される、遠江國六二座のうちの一社。創祀は坂上田村麿と伝え天竜川の水利つかさどる神として、貴船神のクラオカミノミコト(闇淤加美命)海神族(綿津美氏)のトヨタマヒメノカミ(豐玉比賣神)が祀られる。
 現在は社名が椎ヶ脇神社(しいわきじんじゃ)となっている。