暘州通信

日本の山車

◆27906 安政の大地震

2009年10月09日 | 日本の山車
◆27906 安政の大地震
『武江年表』、安政三年(一八五六)の記述に、「六月十五日、山王権現祭禮、恒例の通り神輿行列車樂(だし)ばかり御城内へ入る。しかし、附祭の妓踊(おどり)、□物(□文字なし。黎にしんにょう。ねりもの)」、御雇太神楽はでなかった。おなじように独楽廻しも出なかった。午の刻(夕方六時)に驟雨と雷鳴があって、神輿の行列は後に残っていたので雨にあった」とある。
 前年、安政二年(一八五五)は、正月から師走まで大火が重なり、九月十五日、神田明神の祭も終わった、夜七時七分から皆既月食となった。
 十月二日は大地震。武家といわず町屋といわず倒壊し、頽き、御城の石垣は崩壊し、まともな家などない状態で是に加えて火災が頻発した。死者は累々とその数をしらずという大惨事であった。ようやく立ち上がった人々は、道路に畳を敷き四方を焼け残りの建具で囲って生活をはじめたとある。
 本来なら御祭禮どころではない状態だったはずだが、祭はその大災害からの復興の中で執行されたわけである。祭は世直しの最たるものであり、幕府もいかに民衆の活力を重視していたかが知られる。
 たとえば、天保時代は全国的、波状的に大飢饉が頻発し、民衆の生活は困窮をきわめたが、飛騨高山の場合飢饉に加え、大火災が発生し、少なくとも三度の重なる大火で旧町は焦土となった。多くの屋臺(山車)も火災で失われた。春を過ぎても雪が舞い、「野山に青いものを見ず」という状態だったが、町民がまず手をつけたのは屋臺の建造であった。自宅の再建より屋臺の復興のほうが先立ったのである。常識では信じられないことだが、飛騨高山のみならず、この傾向は全国的に見られた風潮であった。
 幕府や各藩はこれをとがめだてせず、将軍は神田祭を上覧している。一見非常識とも見える事態でも、大衆の希望と夢、それを支える娯楽の効用を為政者はよく知っていた。
 時下は百年に一度の大不況のさなかにある。つい先日はオリンピック開催地がリオデジャネイロに決まった。日本、アメリカが選に漏れたにのは残念だったが、シドニー以来、南半球で行われるオリンピックに祝福を送りたい。

□外部リンク
「日本の山車」を執筆している一人閑(ひとりしずか)と申します。早速ですが、貴方のブログ記事を「外部リンク」として紹介させていただきましたのでお知らせします。もしご迷惑でしたらお申し出ください。削除いたします。
  http://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/

◇14、醫學に對する熱心
2009/9/20(日) 午後 0:39
... 安政5年春、江戸神田お玉ヶ池に創立せられたる種痘 ... 其の復興は當分覺束なき状態にありき。  斯くて三宅艮齋及び彼の兄弟子とも云ふべき林洞海等は、折角創設したる種痘館の、一旦の火災に依りて廢滅に歸せんとするを嘆き、熱心に之が再興に奔走し居たり。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/goryoden/1049027.html

◇6月28日(日)
2009/6/28(日) 午前 9:38
... 1859(安政6)年5月28日(新暦6月28日)に、江戸幕府がロシア・イギリス・フランス ... 地元(北陸)関連では・・・ 1948年に福井地震が発生ました。 (地震規模はM7.1、死者3769人、全壊3千6百戸、火災で福井市街が壊滅状態になりました。) 今日のレッスン予定 本日 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/dai06tsuji15kom1975/28256286.html

◇こんな真似をした奴は誰だ!!
2008/8/20(水) 午後 9:52
... 時は安政2年(1855)10月2日夜10時,いわゆる「安政の大地震」が起きました。 この地震により,大火災が起き,江戸は焦土と化します。 このころの左太夫は,林家を辞し,仙台藩邸順造館に住みながら, 江戸で ... 泥酔状態で宿舎に戻ったところこの地震。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/purimahiyadamu/14897646.html

◇今日は何の日? 6月28日
2006/3/7(火) 午前 11:47
... 1859(安政6)年5月28日(新暦6月28日)、江戸幕府がロシア・イギリス・フランス ... 火災で福井市街が潰滅状態に。死者3769人、全潰3千6百戸 1950年 北朝鮮軍がソウルを占領し韓国全土をほぼ制圧 1950年 巨人の藤本英雄投手が日本プロ野球史上初の完全試合を ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/ganbare_boku/27711848.html

◇勇気を持って災害を笑え 1
2005/7/10(日) 午前 5:05
... 安政大地震である。 地震とそれに伴う火災によって、数千とも数万ともいわれる死者とそれ以上の避難民が江戸の町に溢れた。 ... 安政大地震後の鯰絵の大流行は、震災と躁状態との強い親和性を証明しているのではなかろうか。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/variableannuit/6721915.html

◆27907 深川浄心寺の行燈

2009年10月09日 | 日本の山車
◆27907 深川浄心寺の行燈
東京都江東区平野二丁目
浄心寺
□汎論
『武江年表』安政四年(一八五七)の記述に、「七月九日より六十日の間、深川浄心寺において、甲州身延山(山梨県)の祖師である七面宮の開帳があった。多くの参詣者があったが、毎朝未時(御前七時)の開門前にすでに列ができるほどであった。講中のひとたちが神事の萬度(萬燈)に似た思いおもいの行燈をつくり、燈火を燈し、いくつかの群れになり、揃いの衣装で太鼓を打ち、題目を唱えてこれをかついで往来したが絶えることがなかった」とある。