暘州通信

日本の山車

30018 銅鏡

2008年08月14日 | 日本の山車
30018 銅鏡
 古代につくられた銅鏡は、中国を起源とする。銅を主原料とし、他の金属の混合がある。おもに錫との合金が多く、その混合率により白銅鏡とよばれるものまである。
その出土状況から分布域は中国、朝鮮、日本。古代エジプトにも出土例がある。
形は円形が主で、表面は磨いて鏡とし、裏面には同心円で囲まれた四、五、六、八などに区切られた内室に、多様の複雑な文様が鋳造されるものが多い、その鋳造文により多様の名称がある。中心部に紐があり、紐を通す穴がある。
 上記は銅鏡の共通点であるが、作られた時代、目的、地理等により、大小がある。
次の四通りに大別できる。
1 舶載鏡。
中国、朝鮮などの外国から渡来したもの。
2 □(=ほう。文字なし。にんべんに方)製鏡。
外国で作られたものをまねて(模倣)し、日本でつくられたもの。倣製鏡といってもよかろう。
3 同□(=はん。文字なし。)
外国製にならい日本において同じ鋳型から鋳造したもの。同じ範疇の意から同範鏡といってもいいだろう。
4 和鏡。
文字通り日本で作られたもの。
鏡の作られた目的は、祭祀、種族の権威と象徴、婦人の化粧のためなどが考えられる。
弥生時代、銅鐸文化は中部、畿内、中国と、銅矛(鉾)、銅戈文化は九州とおおむね分布が独立していることを述べた。「銅鏡・銅鐸文化」といい、「銅鏡・銅矛、銅戈文化」という言葉をきかない。
しかし、銅鏡は、銅鐸と、銅矛、銅戈文化の双方に共通し普遍的である。寡聞だがこれに論及した例を知らない。
銅鏡の多くは古墳から出土する。銅鏡は神社に祀るご神体となっている例が多いことと相俟って、同じ鏡が出土する地方は古代におなじ祖先をもつ同盟国だったと言う推理はなりたたないだろうか。

00774 弘前八幡宮祭

2008年08月14日 | 日本の山車
00774 弘前八幡宮祭
青森県弘前市八幡町一-一-一
弘前八幡宮
□祭は八月中旬
山車があるが久しく曳かれていない。
□山車
・米山 和徳町、
・大根山 茂森町
・布袋山 東長町
・紅葉狩山 紺屋町・浜の町 
・猩々山 土手町
・黄石公張良山 本町
・道明寺山 鍛冶町
□汎論
弘前市は津軽氏の弘前藩の城下町として発達した。弘前城のみごとな桜でもよく知られ、「お城とさくらとりんごのまち」である。
弘前八幡宮は、弘前城の場内にあるが、もとは岩木町内に鎮座していたのを、津軽藩二代目の藩主、信枚が弘前城を築城したとき遷したと伝える。
夏に曳かれる「ねぷた」は、「扇ねぷた」といい、青森市の「人形ねぶた」とは対照的である。
扇ねぷたは基臺のうえに扇の型をした大小さまざまの行燈が載り、後部には見送りとなっている。緻密で精細なねぷた絵が描かれ、宵闇に華やかにうかびあがる。ねぷた囃子にあわせて太鼓が打たれ、巨大な大太鼓にうちまたがり胸まで白晒を巻いたお嬢さんがこれを打つ。ねぷたの行列はしずしずと次第に遠ざかり、ふたたび闇に消えていく有様は現生のものとは思えない華麗さで、感傷的だと笑われそうだが、見ていて目頭が熱くなり、涙ぐみそうになる。
市内に「山唄」というお店があって、ここでは津軽三味線の演奏を聴くことができる。
弘前に行ったときにはかならず寄る「隠れファン」である。