暘州通信

日本の山車

34482 日本の稲作文化

2008年08月10日 | 日本の山車
34482 日本の稲作文化
日本に稲作が伝わったのは弥生時代である。弥生時代はいわば稲作と農耕が、土地に定着した生活が確立していった時代ともいえよう。
稲の原産地は東南アジアからヒマラヤの低地にまで広がっているが、長籾と短籾に二大別される。東南アジアには長籾種、ヒマラヤの高地には短籾種がある。
長籾種は、亜熱帯に適応した種で、粘りが少なく、チャーハンやカレーなどには適する反面、おにぎりや寿司を握ることはできない。またその生育地が示すように、寒冷地での栽培はできない。
一方、短籾種は、やや高冷地の栽培が可能で、炊くと強い粘りがでる。
現在は多様種の稲があるが、日本に伝えられた当時の稲は、短籾種と考えられる。
では、その稲と稲作はいかにして日本に伝えられたか。これについては多くの研究があるが、ベトナムあたりから中国南部を経て、台湾、沖縄九州南部にいたる海上の道を経た説。ヒマラヤから中国四川省を経て揚子江をくだり、福建省から大陸に沿って海上を北上し、山東、朝鮮半島を経て日本に渡ったとする説。ヒマラヤから中国北部をまわり、北魏、旧満州、扶余、朝鮮半島を経て日本に渡ったとするが三概略説である。もちろん肯定、否定論はある。
米は農産品であるが、日本には農作物として栽培耕作技術とともに移入されたのは明らかである。
その農業技術とともに短籾種を日本に伝えたのはおそらく朝鮮半島の人たちであっただろう。
百済、新羅、高句麗(高麗)、任那に居住するひとたちが日本に渡来し、稲を作り始め、集団生活を営み、土地に定着する生活範囲を広げていった。それは日本に伝えたのではなく、自らの生活のためであったはずである。
それが次第に定着して、広域の文化圏を広げていったと推定されるが、古代の朝鮮半島の民族は単一ではなく、百済、新羅、高句麗、任那はそれぞれに戦いながら成立し、消えていった歴史がある。
その確執は日本に渡った民族間にも互いの反目となった。弥生時代と一口に言われるが、弥生人にもまた争いがあった。
日本には弥生時代以前には縄文時代があり、かつ、前期、中期、後期と大別される。
歴史上、この縄文時代がおわり弥生文化になったように考えられるのだが、縄文時代の終焉がそのまま弥生時代となったものではない。朝鮮半島にも若干の縄文時代の遺物が出土するといわれる。弥生時代のはじまりは、常識的に通用するよりもはるかに古く始まり、紀元前十八世紀あるいはそれ以上も古くにはじまり、縄文時代は紀元前三世紀くらいまでは続いていたのではないだろうか。
弥生時代は縄文時代と錯綜して同時期に並行して営まれていた可能性がある。


00866 田鶴浜住吉神社祭

2008年08月10日 | 日本の山車
00866 田鶴浜住吉神社祭
石川県七尾市(旧田鶴浜町)田鶴浜
住吉神社
□祭は四月下旬。
山車(曳山)六臺を曳く。
□山車
・東町
船山車。
本座人形は大国。
・西町
本座人形は神功皇后と武内宿禰。
・中町
本座人形は楠正成。
・殿町
本座人形は八幡太郎義家。
・上野ヶ丘
本座人形は桃太郎。
・登町
本座人形は恵比寿。
(順不同)

□汎論
田鶴浜住吉神社祭の祭には二層式の山車が曳かれる。上臺には柱が一本立ち、本座人形が飾られる。富山県高岡市にみられるような花笠が円弧を描いて垂れ下がる。しかし、鉾止めはない。
□問い合わせ
七尾市産業部観光交流課
電話 0767-53-8424

03863 十日町諏訪神社大祭

2008年08月10日 | 日本の山車
03863 十日町諏訪神社大祭
新潟県十日町市
諏訪神社
併祀
御機神社
□汎論
諏訪神社は市街を一望できる高台に祀られる。
諏訪神社大祭は「おおまつり」といい、諏訪神社から八角形の神輿が渡御して、町内をめぐり、御旅所の設けられる御仮屋につき、ここで一泊して還御となる。祭には、民謡流し、明石萬燈、俄(にわか)、花火大会などが行われて、大祭を盛り上げる。
俄(にわか)山車は三臺あり、笛と太鼓で演奏される囃子は京都祇園祭の流れを汲むもので、地方色に練り上げられている。
天神囃子は、地域を代表する祝い唄で、古くから座敷唄として、歌い継がれ、普請や、結婚式など慶事にははじめに歌う唄として伝えられる。
柏崎の三階節は、盆踊り唄として古くから歌い継がれてきた唄であるが、十日町でもよく歌われる。
長野県東部、群馬県などで、一月に行われる「鳥追い祭」がこの地にも伝わり、子どもたちが「ほんやらどう」とよぶ雪洞でで一夜を過ごし、翌日はこの唄を歌いながら回る。
十日町市は「明石ちぢみ」、「十日町お召し」でよく知られる着物の町。五月には「きものまつり」が行われる。
民謡「新保広大寺節(しんぼこうだいじぶし)」は、青森県の「津軽じょんがら節」群馬県の八木節の元唄といわれ、十日町市の無形民俗文化財に指定され保存会によって唄と踊りが継承されている。
赤倉神楽(あかくらかぐら)は古式を伝える神楽で、市の無形民俗文化財に指定され、
九月上旬の夜に赤倉の鎮守社境内で上演される。