暘州通信

日本の山車

00138 善光寺奉御開帳奉賛屋臺巡行

2007年02月15日 | 日本の山車
00138 善光寺奉御開帳奉賛屋臺巡行
長野県長野市上西之門町 
弥栄神社
7年ごとの善光寺奉御開帳奉賛として24地区のうちから不定数の山車(屋臺)が曳かれる。
□山車(屋臺)
・権堂町
・大門町
踊屋臺と飾屋臺がある。
本座に飾られた高砂人形がある。
・元善町
床のない底抜屋臺がある
・西後町
明治6年、妻科の山崎儀作の建造。総欅造。
・緑町
昭和27年、鬼無里の松原より譲渡を受けた。江戸期建造と推定。
・南石堂町
踊屋台。
・北石堂町
昭和4年(1929)の建造。二輪車
・南千歳町
昭和5年(1930)の建造。
・上千歳町
踊屋臺。大正年間末期に建造にかかり昭和のはじめに完成。
・桜枝町
明治28年(1895)の建造。総欅造。神武天皇の人形がある。
・横沢町
明治6年の建造。笠鉾とともに長野市立博物館に寄託している。
・西之門町
明治26年(1893)建造の底抜けの踊屋台。
・西町上
寛政5年の建造。長野市立博物館に展示されている。
・栄町
明治36年(1903)の建造。
・東之門
大正末期の建造、二層。
・伊勢町
明治末期制建造の屋臺、踊屋臺、底抜け屋臺が各1臺ある。
・岩石町
踊屋臺。底抜け屋臺。
・東町
明治5年の建造。
・東後町
大正7年の建造、踊屋臺。
・問御所町
明治5年の建造。
・新田町
踊屋臺。
□汎論
横沢町には笠鉾が残り、西町上には寛政5年建造の屋臺、そのほか本座に飾られた人形が残り、山車が曳かれた由緒は古い。長野震災で屋臺、その他多くの記録が失われ、詳細不明の部分が大きい。山車(屋臺)はいずれも組み立て式で祭礼にあたって組み立て、終われば解体して保存される。


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