中国漁船の韓国領海内での暴挙、ここまでやるか、という感じだ。以前から、黄海は中国と韓国でその境界線附近ではいざこざが起きていた。今回の出来事はその中の一部であると同時に、今後の行方を示すものとなりそうだ。そもそも、領海には線が引いてあるが、通常の国境と違って垣根も何もない。そこをどのように守るか、最近のレーダーの性能から見て、自分の舟がどこにいるのか一目瞭然なのである。それが中国では、国境紛争ならぬ、領海紛争を自ら引き起こし、そして強引に侵犯しているのである。領海侵犯は中国では国家が率先して進めている政策であり、一漁船云々の問題ではない。
日本の尖閣諸島近海を侵犯しているのと全く同じ構造である。韓国は強硬政策を取ろうとしているが、中国との間でできるだけ紛争を避けたいという気持ちが働いていて中々強攻策に出られない。中国は、その辺のところをうまく利用して漁船を韓国領海内に送り込み、漁業を強行させているのである。
今回の事件を発端にして、韓国は対中国との関係を見直す可能性が高くなった。茲まで中国漁船の横暴を許していると、そのうちにどんどん朝鮮半島に近いところまで接近してくる可能性があるからだ。韓国としては或程度のところまで強攻策に出る必要性が出てきた。この海域を含め、尖閣諸島、南アジアの紛争、など多くの海域で中国との争いが活発化してきた。あくまでも強攻策を取る中国は、来年政府中枢のトップが入れ替わることで益々強攻になってくるのではないか。
日本や韓国、フィリピン、インドネシア、ベトナム、など多くの国と中国は争い続けるつもりなのか。表面的には「平和外交」という言葉を使っているが、後ろ側には、軍事力を見せ付けることをやっている。強攻策での失敗は絶対に許されないのである。今の中国は、嘗てのナチス・ヒトラーに段々似てきた。領土の拡大はできないが、海域の拡大は可能だと見た。東アジアに君臨している中国にとって、太平洋に出る出口がふさがれていることに苛立ちをもっているに違いない。そこで強攻策をとって、出口を確保しようとしているのであろう。
戦争には発展しないかもしれないが、東アジアの海域での中国との争い毎は、直ぐに解決するというわけには行かない。中国が主張していることに関しては、殆どが根拠のないものであり、自己主張をしているに過ぎない。大中華帝国を実現しよう、などという夢のようなことを考えているのかもしれない。それこそナチス・ヒトラーの描いた夢を追っているとしか思えない。
中国漁船がとっている行動は、総て中国政府のお墨付きを得ているものである。この問題は、アメリカやロシアがうまく介入してこないと解決できないかもしれない。第三国が調停に入ることに中国は猛烈に反対しているが、解決する手段としては良い手など簡単には見つからない。
日本の尖閣諸島近海を侵犯しているのと全く同じ構造である。韓国は強硬政策を取ろうとしているが、中国との間でできるだけ紛争を避けたいという気持ちが働いていて中々強攻策に出られない。中国は、その辺のところをうまく利用して漁船を韓国領海内に送り込み、漁業を強行させているのである。
今回の事件を発端にして、韓国は対中国との関係を見直す可能性が高くなった。茲まで中国漁船の横暴を許していると、そのうちにどんどん朝鮮半島に近いところまで接近してくる可能性があるからだ。韓国としては或程度のところまで強攻策に出る必要性が出てきた。この海域を含め、尖閣諸島、南アジアの紛争、など多くの海域で中国との争いが活発化してきた。あくまでも強攻策を取る中国は、来年政府中枢のトップが入れ替わることで益々強攻になってくるのではないか。
日本や韓国、フィリピン、インドネシア、ベトナム、など多くの国と中国は争い続けるつもりなのか。表面的には「平和外交」という言葉を使っているが、後ろ側には、軍事力を見せ付けることをやっている。強攻策での失敗は絶対に許されないのである。今の中国は、嘗てのナチス・ヒトラーに段々似てきた。領土の拡大はできないが、海域の拡大は可能だと見た。東アジアに君臨している中国にとって、太平洋に出る出口がふさがれていることに苛立ちをもっているに違いない。そこで強攻策をとって、出口を確保しようとしているのであろう。
戦争には発展しないかもしれないが、東アジアの海域での中国との争い毎は、直ぐに解決するというわけには行かない。中国が主張していることに関しては、殆どが根拠のないものであり、自己主張をしているに過ぎない。大中華帝国を実現しよう、などという夢のようなことを考えているのかもしれない。それこそナチス・ヒトラーの描いた夢を追っているとしか思えない。
中国漁船がとっている行動は、総て中国政府のお墨付きを得ているものである。この問題は、アメリカやロシアがうまく介入してこないと解決できないかもしれない。第三国が調停に入ることに中国は猛烈に反対しているが、解決する手段としては良い手など簡単には見つからない。