花見スポットの越前大野城から隣の勝山市の「平泉寺白山神社」へ回り久しぶりに鬱蒼とした杉木立と苔生す境内の散策路を巡ってきました。
「白山平泉寺旧境内」は、国の史跡に指定されており、「美しい日本の歴史的風土百選」にも選ばれており、歴史的遺産としてその価値も高く見どころ一杯でした。
参道を進むと、大きな常夜灯が屋根には緑の苔が生えて樹木もしっかりと根を張っていましたが、平泉寺の象徴的な姿でした。
一の鳥居までの精進坂はなだらかな石段が続き、神々しい神の世界に入るような神聖な雰囲気を感じました。
白山信仰の修行僧が修行の道のスタート地点だったのでしょう。
道の端には、芭蕉も通ったのでしょうか、「うらやまし 浮世の北の山桜」の古い歌碑が立っており、俗世界を離れる心境のようですね・・・・
一の鳥居を過ぎてすぐ参道の左側には、「御手洗池(ミタラシイケ)」があり、創建者の泰澄大師が白山に登ろうとして開いたところで、池の傍らで祈っていた時に白山の女神が現れたそうで、この池を「平清水」・「平泉」と呼ばれるようになり、池を中心に修行僧のために宿坊や拝殿、寺院が出来て白山への「禅定道」が開かれて、平泉寺の発祥の地となったそうです。
小さな池でしたが、清水が満たされており今も女神が隠れ住んでいるような池でした。
参道を進み二の鳥居までくると、両部鳥居で扁額には「白山三所大権現」と書かれており扁額には屋根が付いている、大変珍しい鳥居ですね。神仏習合の名残だそうです。
二の鳥居の先に拝殿があり、その後ろに立つ本殿に参拝していたが、扁額には「白山妙理大権現」と書かれており、本殿の回りには貴重な龍などの彫が施されています。
拝殿の前の広場には、大きな石を積み上げた忠魂碑が建てられていますが、その由来は不明でした。
広場の苔の上には杉の葉が沢山積もっていましたが、訪れた日の週末には地域の皆さんやボランテイアが総出で落ち葉を集める境内の定例清掃日になっているそうで、瑞々しい美しさが戻ってくるようです。
境内を後にして常夜灯の前には開祖の「泰澄大師廟」がありますが、中には五輪塔が立つ隠れた名所となっており、故郷ふくい出身の偉業を振り返る機会となりました。
歴史探遊館まほろばに戻ると、周辺には「東尋坊跡」なる石碑が立っていますが、説明文によると、東尋坊という乱暴で悪名高い僧が居て現在の三国の東尋坊に突き落とされたそうです。
その周辺には、先日の雪の吹き溜まりが残っており、やはり大雪で有名な勝山ですね。
「白山平泉寺旧境内」は、国の史跡に指定されており、「美しい日本の歴史的風土百選」にも選ばれており、歴史的遺産としてその価値も高く見どころ一杯でした。
参道を進むと、大きな常夜灯が屋根には緑の苔が生えて樹木もしっかりと根を張っていましたが、平泉寺の象徴的な姿でした。
一の鳥居までの精進坂はなだらかな石段が続き、神々しい神の世界に入るような神聖な雰囲気を感じました。
白山信仰の修行僧が修行の道のスタート地点だったのでしょう。
道の端には、芭蕉も通ったのでしょうか、「うらやまし 浮世の北の山桜」の古い歌碑が立っており、俗世界を離れる心境のようですね・・・・
一の鳥居を過ぎてすぐ参道の左側には、「御手洗池(ミタラシイケ)」があり、創建者の泰澄大師が白山に登ろうとして開いたところで、池の傍らで祈っていた時に白山の女神が現れたそうで、この池を「平清水」・「平泉」と呼ばれるようになり、池を中心に修行僧のために宿坊や拝殿、寺院が出来て白山への「禅定道」が開かれて、平泉寺の発祥の地となったそうです。
小さな池でしたが、清水が満たされており今も女神が隠れ住んでいるような池でした。
参道を進み二の鳥居までくると、両部鳥居で扁額には「白山三所大権現」と書かれており扁額には屋根が付いている、大変珍しい鳥居ですね。神仏習合の名残だそうです。
二の鳥居の先に拝殿があり、その後ろに立つ本殿に参拝していたが、扁額には「白山妙理大権現」と書かれており、本殿の回りには貴重な龍などの彫が施されています。
拝殿の前の広場には、大きな石を積み上げた忠魂碑が建てられていますが、その由来は不明でした。
広場の苔の上には杉の葉が沢山積もっていましたが、訪れた日の週末には地域の皆さんやボランテイアが総出で落ち葉を集める境内の定例清掃日になっているそうで、瑞々しい美しさが戻ってくるようです。
境内を後にして常夜灯の前には開祖の「泰澄大師廟」がありますが、中には五輪塔が立つ隠れた名所となっており、故郷ふくい出身の偉業を振り返る機会となりました。
歴史探遊館まほろばに戻ると、周辺には「東尋坊跡」なる石碑が立っていますが、説明文によると、東尋坊という乱暴で悪名高い僧が居て現在の三国の東尋坊に突き落とされたそうです。
その周辺には、先日の雪の吹き溜まりが残っており、やはり大雪で有名な勝山ですね。