ふるさと福井の芦原温泉での同窓会に出席した機会に、湯のまち芦原からレトロな街三国を訪ねてきました。
仲間が寝ている間に抜け出して、朝ジョグで手頃な距離にある三国へ向かったが、坂井平野の田圃みちを行くと、田植えの終わった田圃と黄金色に輝く麦畑が好対照に拡がっており、日本の原風景を見ているようでした。
三国町は、過っては北前船交易で栄えたところで、街中には至る所に当時の面影を残すものがあり、観光の街としても、人気スポットとなっているようです。
三国駅を経てレトロな家並みが並ぶ路地に入ると、三国湊座、旧岸名家、三国湊町家館など廻船問屋が並び昔の豪商の面影を偲ぶものがありました。
また、旧森田銀行は、豪商だった森田家が創設した銀行だったが、今は当時を偲ぶ資料館となっており、レトロな外観や内部は豪華なデザインの回廊などが残されています。今回は、早朝だったので内部には入れなかったが、数年前に訪問した時にその豪華な漆喰模様や金庫などを拝観しており、貴重な文化遺産となっている。
実は、今回の同窓会も先月開催された三国祭に合わせて企画をスタートさせていたが、余りの人気で芦原温泉の予約を取れずに断念した経緯があったのです。
時間に追われながら、かもめ通りに出てみると、これも懐かしい九頭竜川のゆったりとした河口の風景が拡がっており、朝の静かな港町の光景を望むことができました。
急ぎ芦原へ取って返して、温泉で汗を流して何とか朝食に間に合ったが、朝食後は仲間と再び三国の古刹である「瀧谷寺(たきだんじ)」へ参拝したが、古くは南北朝時代に開山されて戦国大名の朝倉氏や柴田勝家などの名将が祈願に訪れていたとされる名刹である。
境内に入ると、入口には苔むした龍の石像や石仏の出迎えを受けて、鬱蒼とした杉木立の中を長い参道を踏みながら歩むが、笏谷石の参道には滑り止めだろうか?味気ない敷物が敷かれていた。
山門である鐘楼門に着くと、門の上に鐘楼が設置された珍しい門で、柴田勝家が寄進したものだそうです。
本堂から観音堂を巡りその由緒などの案内を聞くが、お堂内部の豪華な天井の花鳥画や欄間の龍の彫り物が実に素晴らしくしばし見惚れていました。
また、観音堂から眺める石庭や開山堂、石仏もその由来は聞き逃したが、古代からの古き歴史を感じていた。
本堂の裏手には、日本名勝庭園である山水庭園があり、新緑艶やかで非常に美しかったが、四季に彩られる美しさも格別なものだろう。
さらに宝物殿へと回ると、唯一の国宝である仏教鳴り器の「金銅毛彫宝相華文磬」や貴重な仏像・仏画などの重文が収蔵されていましたが、何れも撮影が禁止されており、紹介が出来ません。
宝物殿の前庭には、ユキノシタの花の群生が咲き誇っていましたが、よくよく見ると5枚の花弁の2枚と3枚の違いが面白く、その斑点も実に奇妙な色合いで、これまで何となく見過ごしていた雪国のふるさとの美しさに見とれて三国を後にして福井へと戻ってきた。