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カクレマショウ

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食育基本法という「法律」

2005-08-14 | ■社会/政治
いきなり解散してしまった先の国会で成立した法案の一つに、「食育基本法」というのがありました。

「食育」というのは、「健全な食生活を実践することができる人間を育てること」だそうです。ということは、今の「食」をめぐる状況は、「健全」ではないという大前提から始まっていることになります。確かに、かつて「健全」だった時代に比べると、日本人の食生活は決していい方向には進んでいないのかもしれません。日本の食料自給率は40%程度まで落ち込んでいるし、食事の形態として「孤食」や「個食」が増えていたり、さらには食品そのものの安全性への不安も高まっています。

「食」は、その国や民族の文化のバロメーターの一つだと思います。歴史的に見ても、「繁栄」した国家や民族は、食生活も豊かでした。食生活が豊かだったから国が栄え、国が栄えたから食生活も豊かになったのです。

「食」の基準は、二つあるような気がします。

一つは、「人間の体にいいか悪いか」という基準です。これには、「誰と食べるか」とか「楽しく食べられるか」という精神的な要素も含まれるでしょう。この基準については、「国家」を「繁栄」させるためにはとても大切なことですので、また、社会や経済の在り方にも関わる問題ですので、国が「体にいいものを国民に食べてもらう」という政策を講ずるのは当然のことです。すなわち、安全な食品を、正当なルートで流通させ、適切な価格で提供するといったしくみを整えることです。

もう一つ、「食」の基準として、「おいしいかおいしくないか」というのもあります。おいしいと感じるか感じないか、これは完全に「個人」のレベルの問題です。したがって、国が「これはおいしいから食べなさい」というのは変な話です。

「食育基本法」は、食育を「生きる上での基本」であり「知育、徳育、体育の基礎となるべきもの」と位置づけ、「国民は、家庭、学校、保育所、地域その他の社会のあらゆる分野において、基本理念にのっとり、生涯にわたり健全な食生活の実現に自ら努めるとともに、食育の推進に寄与するよう努めるものとする」(第十三条)と定めています。

「健全な食生活」を「体にいいものを安全においしく楽しく食べること」ととらえると、「健全な食生活の実現に自ら努める」と言われても、なんだか釈然としないものを感じます。

そもそも、「法律」とは何でしょうか? 社会のルールとして決めておかないと困る決まりごと、ではなかったでしょうか。悪いこと(犯罪)をすれば罰せられるというのは「刑法」に定められた決まり事だし、交通に関する決まり事は「道路交通法」に定められ、守らなければならないことになっています。いわば社会生活を送るうえでの必要最低限のルールが「法律」であると思います。ですから、「普通の」法律には、「努めなければならない」とか「責務」という言葉は出てきません。「努める」とか「責任」という以前に、必ず守らなければならないものだからです。

「食育基本法」に書かれてあることは、「必ず守らなければならない」必要最低限のルール、でしょうか? なんだか、「法律」というより「訓示」のような気がします。「消費者基本法」もそうです。「私たちは、賢い消費者になるよう努めなければならない」。そのとおり、ごもっとも、なんですが、ちょっと「大きなお世話」という気もするのです。「道路交通法」や「刑法」には「大きなお世話」は出てきません。

知っておくことは大事だけれど、別に知らなくても生活するには困らない…。それは「法律」と言えるのでしょうか?

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