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カクレマショウ

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地名で見る世界史 #08 イスタンブール

2004-11-25 | └地名で見る世界史
人口約600万人を数えるトルコ最大の都市イスタンブールIstanbul。

黒海とマルマラ海を結ぶボスポラス海峡に面し、マルマラ海からはダーダネルス海峡を通ってエーゲ海と結ばれているため、古くから交通の要衝として栄え、ヨーロッパとアジアの接点とか、「文明の十字路」とも形容される都市です。

イスタンブールには、15年ほど前に行ったことがあります。アヤ・ソフィア、ブルー・モスク、トプカピ宮殿、グランドバザールと、一通りの観光地には足を運びましたが、なんだか不思議な感じのする町でした。国民のほぼ100%近くをイスラム教徒が占める割りには、歩いている人の多くが西洋風の顔立ちをしているのが、自分が勝手に想像していたイスラム世界と違っていたことも印象に残っています。

この町は、過去に2つの名前で呼ばれていました。最初がビザンティウムBizantium。前658年、古代ギリシアのビザスByzasという男がこの地に入植し、自分の名前にちなんでビザンティオンBizantionと命名したと言われています。「ビザンティウム」はそのラテン語読みです。

その後ギリシア植民市として約850年。そのため、今でもギリシア風の地名が残っています。たとえば「ボスポラス海峡」。「雌牛の渡し場」という意味で、これは、ゼウスが妻ヘラの嫉妬から逃がすために、恋人のイオを雌牛に変身させてこの海峡を渡らせた、というギリシア神話に基づいています。

2世紀末、ローマ帝国の支配がこの地にも及び、330年にはローマ皇帝コンスタンティヌス帝がビザンティウムを新都と定めます。当時の帝国はその広さゆえに四分統治が行われていました。コンスタンティヌス帝は、ローマにおいて初めてキリスト教を公認した皇帝としても知られていますが、それは、増大する一方のキリスト教徒を懐柔し、帝国の再統一に向けた精神的柱にしようとした、多分に政治的意図が働いたものでした。また彼がローマを離れ、当方のビザンティウムを都と定めたのも、オリエント風の専制政治をこの地に実現しようとしたものでした。

遷都以来、この町はコンスタンティノポリス Constantinopolis、つまり「コンスタンティヌス帝の都市」と呼ばれるようになります。権力を握った者が自分の名前を都市につけるというのはヨーロッパ系の国ではよく見られますが、中国や日本ではあまり例がないように思います(日本では「藤原京」というのがありますが)。何か理由がありそうですね。

コンスタンティヌス帝の努力にもかかわらず、その死後50年足らずでローマ帝国は東西に分裂してしまいます(395年)。西ローマ帝国は、前後して始まったゲルマン民族の大移動の中で滅亡しますが、東ローマ帝国は、コンスタンティノープルを首都として、1100年以上「ビザンツ帝国」として存続します。そして、ローマ皇帝にちなんだ名前を持つ都市で「ビザンツ文化」が栄えることになるわけです。

1453年、トルコ人の建てたイスラム王朝、オスマン帝国が難攻不落と言われたこの町を攻め落とし、ビザンツ帝国は滅び去りました。オスマン朝のもとで、この町のトルコ化、イスラム化が急速に始まります。キリスト教会はその多くが破壊され、その上にモスクが建てられていきました。

ただ一つ、例外があります。それが「アヤ・ソフィア」(セント・ソフィア大聖堂)です。6世紀にユスティニアヌス帝によって建立されたギリシア正教の教会ですが、そのドームのあまりの壮大さに、トルコ人は破壊をすることなく、建物自体を残したままイスラム教のモスクに改装してしまうのです。まさに東西文明の十字路であるこの町を象徴するような建物です。

なお、町の名前としてのコンスタンティノープルは、あまりに長く使われたせいでしょうか、対外的には通称としてその後も使われ続けました。「イスタンブール」の由来については、トルコ側に記録が残っていないためはっきりしないようですが、いくつかの説があるようです。たとえば、トルコ語の「イスラム」と「ブル bul=町」が合成されて「イスタンブール=イスラム教徒の町」となったという説。

また、ギリシア語の「アイス・テン・ポリン eis ten polin=都市へ」という語句がトルコ風に読まれてイスタンブールになったという説もあります。この場合は、本来はイスタンブール市内にいる時には使えず、どこか別のところから「イスタンブールへ」行く、といったような使われ方がされていたようです。

なお、「イスタンブール」が正式名称となったのは、オスマン帝国が滅んだ後、1930年からです。

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