カクレマショウ

やっぴBLOG

なつかしの南部鉄道。そして新幹線開業へ。

2010-10-14 | ■青森県
今、五戸町立図書館で「なつかしの南部鉄道展」が開催されています。

南部鉄道というのは、かつて尻内(現・八戸駅)と五戸町を結んでいた全長12.3km、総駅数8の小さな電気鉄道です。その一部(尻内~志度岸)が開業したのは、1929(昭和4)年。翌年には五戸まで全線が開業しています。



五戸は、古くは馬の産地として知られ、この地域の人や物の集散地として栄えた町です。それまで主だった交通機関のなかった八戸とを結ぶ大動脈として、南部鉄道は1940年代頃には年間の輸送人員も80万人まで伸びるなど、まさに「夢」を運ぶ鉄道だったのです。戦後には、尻内から八戸市内を経由して鮫、種差海岸まで延伸する計画もあったといいます。さらには、五戸からは十和田湖を経由して秋田県まで結ぶという太平洋側と日本海側を結ぶという壮大な計画もあったそうです。

ところが、そんな「夢」をもろくも打ち砕いたのが、1968(昭和43)年5月16日に起きた十勝沖地震でした。南部鉄道はその被害をもろに受け、全線休業。結局、復旧の目処が立たないということで、翌年には廃止されてしまったのです。当時の写真を見ると、うねった地面の上で、無惨にもぐにゃりと折れ曲がった線路は宙づりになり、駅舎もほぼ倒壊している様子がわかります。これじゃ、復旧できなかったのも無理はないかなあと思う。



私は、幼い頃の記憶として、ぼんやりと南部鉄道の思い出が残っています。五戸には親戚もいたので、たぶん実際に乗ったことがあるのだと思います。あるいはそれが初めての「電車」体験だったのかもしれません。十勝沖地震で電車がなくなったということもおぼろげに覚えています。

鉄道路線が廃止されたあと、ほぼ同じルートをバスが通うようになりますが、電車とバスじゃ、乗り物としては同じですが、感覚は全然違う。だいたい、バスは道路と停留所さえあれば走れますが、電車を走らせるためには、レールを敷いて、駅を建てて、踏切や鉄橋もつくり、山があればトンネルも掘らなくちゃいけない。鉄道を敷くというのは莫大な費用がかかる大変なことで、でも、そのぶん、輸送力や安全性、あるいはスピード、時間の正確さという意味でも、完全にバスをしのいでいます。

だから、鉄道がなくなるということは、沿線の人々にとってはいかに衝撃が大きかったことかと思う。「レールバス」の愛称で知られる南部縦貫鉄道のように、乗客が減って採算が取れなくなって廃止されるならまだわかりますが、自然災害のせいで突然生活の足がなくなってしまうなんて、あきらめもつかないのではないかと思います。今回の展示でも、労働組合が最後まで廃止に反対したという記録を見ることができましたが、当時はいかんともし難かったようですね。

今回の展示は、たまたま昨年夏に南部鉄道跡に建つ南部バスの社屋や倉庫を取り壊すことになり、そこに保管されていたという1,000点以上もの膨大な資料をもとに行われたものです。現在、実際の鉄道跡はほとんど残っていないのですが、当時の写真や地図、図面、時刻表、経営に関わる資料などから、私たちは南部鉄道の足跡を改めてたどることができます。



生活の足だった鉄道が消えるという悲しい記憶を胸にとどめる一方で、私たちは、もうすぐ新しい鉄道を青森に迎えることになります。12月4日、東北新幹線の全線開業。その開業もまた、80年前の南部鉄道の開業と同じように、明るい未来を私たちに見せてくれるのでしょうか。



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