カクレマショウ

やっぴBLOG

「地獄の黙示録 特別完全版」─これぞこの物語の真髄。

2007-04-30 | └歴史映画
シネマディクト10周年記念企画。3時間23分という長尺ものは久しぶり。疲れました…。

あの有名な、ワグナーの「ワルキューレの騎行」に乗せてヘリコプターが海岸の村を襲撃するシーンは、やはりスクリーンでこその迫力ですね。鳥肌が立ちます。本当は鳥肌なんて立ってはいけないのだろうけれど、あの高揚感を抑えることはできない。

ただ、その鳥肌も、空中のヘリコプターからの視点で見ているときだけ。カメラの視線が地上に降りた瞬間にすっと消えてしまう。米軍曰く、そこはベトコンの拠点の村。しかしそこには子どもたちもいて学校もある。無差別に上空から爆撃され機銃掃射を受けて倒れていく村人。今度は怒りがふつふつとわき上がってきます。

ベトナム戦争は、基本的にはベトナム統一をめぐる南ベトナムと北ベトナムの戦争です。もともとベトナムは、19世紀以降フランスの植民地でしたが、第二次世界大戦で本国フランスがナチス・ドイツに占領されたため、植民地ベトナムは一時日本の進駐を受けます。1945年、日本が降伏すると、ホー・チ・ミンは共産主義国家をベトナムに建設しました。フランスはこれを認めず、南部に傀儡(かいらい)国家を作ってホー・チ・ミン政権に対抗、第1次インドシナ戦争が起こります。フランスは1954年、ディエン・ビエン・フーの戦いで敗れ、ベトナムは晴れて独立を達成する…はずでした。

ところが、共産主義の拡大を恐れる米国がこれを見過ごすはずがありません。北ベトナムのホー・チ・ミン政権はソ連と中国の支援を受けており、これに対抗する必要がありました。そこで、南ベトナムに今度は米国の傀儡政権が建てられ、これを後押しする形で米国の武力介入が始まったのです。これがいわゆるベトナム戦争(1960年~1975年、宣戦なき戦いのため、国際法上は「ベトナム紛争」)です。北ベトナムにとっては、独立をめざして戦う相手がフランスから米国に代わった、というだけで、ベトナム国土は再び戦火にさらされることになりました。

米国が最も苦しめられたのは、いわゆる「ベトコン」です。南ベトナム解放民族戦線、つまり、北ベトナムによる南ベトナム「解放」のためのゲリラ。ジャングルに潜み、地下に通路をこしらえては神出鬼没して米国軍を悩ませました。

ベトコンは、Viet Cong=越共、Vietnamese communistの略で、共産主義ゲリラと一般にはとらえられていますが、実は彼らの中には、アジア人の白色人種(フランスや米国)に対する民族独立・解放闘争という思想もありました。「地獄の黙示録」は、まさにそうした側面をも描き出している、「ベトナム戦争もの」ではほとんど唯一の映画ではないかと思います。ベトナム戦争の狂気にむしばまれていく米国人を描いた映画は数多くありますが、この映画はそれだけにとどまっていないところに「賛否両論」があるのだと解釈しています。

ところで、この「特別版」(2000年)は、「オリジナル版」(1979年)の153分に53分のカットが追加され、3分がカットされています。追加された部分については、「空腹海岸」のサイトに詳しい解説が載っています。それにしても、「特別版」を見て初めてわかることですが、一般公開用とはいえ、ずいぶん大事なシーンがカットされていたのですね。たとえば、フランス人のプランテーションのシーンなんか、とても重要だと思うのですが。ベトナム戦争の前段としてのフランスとの戦争があったこと、そして、ベトコンからプランテーションを守りつつ、彼らもまたカーツ大佐と同じように「帰れない」立場にあることがよくわかります。そして、戦争で夫を失った未亡人がウィラードを誘惑する時に言う「あなたの中にも、“憎むあなた”と“愛するあなた”がいる…」というセリフ…。

また、プレイメイトとの「後日談」も、前線の兵士たちを慰安する彼女たち自身もまた病んでいたことが浮き彫りにされています。戦争って、人間を「まともじゃなく」するのですね。男も女も…。

あまりにもエピソードを詰め込みすぎ、という批判はあるでしょうが、私は「特別版」の方が、エンディングにすんなり入っていけるのでは?という印象を受けました。エンディング。これも大きく変えられています。「オリジナル版」では、エンディングロールの背景で、カーツの王国が爆破されるシーンがかぶるのですが、「特別版」ではそれがなかった。コッポラ監督がそのシーンを削ったことを、私は、当然!と思います。爆破する必要はないのです。カーツが死に、ウィラードがその後継者にならなかった、それだけで十分です。

よく知られているように、「地獄の黙示録」はコンラッドの『闇の奥』を下敷きに、ジョン・ミリアスが脚本を書いたとされています。ところが、「空腹海岸」によると、その脚本自体、映画のストーリーとは全く違っていたというのにはびっくりしました。コッポラは、撮影開始の時点でエンディングさえ決めていなかったと言います。「脚本」を大幅に変更しつつ、それは完全に「コッポラの映画」になっていったのでしょう。大したものだ、と言えば大したもの。ただそれが共感を得られたかといえば、必ずしもそうではなかったようですが…。

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