
平田オリザは、私とほぼ同年代の劇作家・演出家。最近はテレビのコメンテーターとしても時折登場していますね。
彼は16歳の時、高校を休学して自転車で世界一周の旅を経験しています。その旅を綴ったのが『十六歳のオリザの未だかつてためしのない勇気が到達した最後の点と、到達しえた極限とを明らかにして、上々の首尾にいたった世界一周自転車旅行の冒険をしるす本』。冒険の旅に憧れていた20数年前の私は、彼が世界各地で体験するエピソードに触れ、うらやましさに心を震わせたものでした。
それから、青森の前衛舞踏家・福士正一さんと今は亡き牧良介さんが結成した二人だけの劇団、「オドラデグ道路劇場」とともに、なぜか南太平洋のバヌアツ島に旅をした時の顛末を描いた『道路劇場、バヌアツへ行く』。バヌアツの伝統的な踊りと、福士さんによる、あまりにも独創的な白塗りの正ちゃんダンス。平田オリザは、観光客向けのメラネシアの島々の踊りには「意味」が染みついていて、「見る者を安心はさせるが、決して感動はさせない」と言い、「芸術とは、本来、意味のないものである。主義主張を伝達するということ以前に、美しいと感じる心、楽しいと感じる心が芸術の出発点だ」と書く。
平田オリザは、つくづく「旅」が似合う演劇人だと思う。『地図を創る旅─青年団と私の履歴書─』(白水社、2004年)というこの本は、彼が大学生の時に創設し、今も彼が担う劇団「青年団」の若き日々を描いた本です。それはまさに新しい地図を創ってきた履歴。「地図を創る」ために「旅」をするというよりも、「旅」をしながら「地図」ができてきた過程といった方が適切か。
「青年団」の履歴はそのまま彼自身の履歴とも重なっていくわけで、実に緻密な記録が掘り起こされていく。それにしても、日記や備忘録をマメにつけていたのだと思われますが、大学生の頃のことを、よくあれほどまでに記憶に留めているものです。彼はそれだけ、若い頃から「思い入れの強い」人生を歩んできたのでしょう。そのことが、文章の端々からもうかがわれます。
彼が長い旅を経て、とりあえず今、たどり着いている岸辺が「現代口語演劇」です。青年団の舞台を直接見る機会はこれまでなかったのですが、他の劇団のそれは見たことがあります。彼は「演劇風」を嫌う。「芝居がかったものの言い方」を役者に禁ずる。青年団の役者はセリフを言う時、ふだんの話し方のように話し、だから必然的に、舞台の上では、ふだんの会話のように、複数の役者がそれぞれに別のことを言う光景が繰り広げられる。
「芝居らしい芝居」を見に来ている観客には、それは当然不評を買います。セリフが聞き取れない、筋が追えない、これは不条理劇なのか?…。新しい試みには、常に批判が伴うものです。しかしそれでも平田オリザは、確固たる信念に基づいて、この壮大な実験を続けようとしています。それは、彼にとって、また新たな「地図」を創る旅でもあるのでしょうね。
今、青年団と平田オリザは新たな地図の一コマとして、地方の劇場や劇団と連携して作品を作り上げていくという試みを展開中です。「隣にいても一人」という芝居を、三重、広島、熊本、そして青森の4ヶ所で、地元の市民との協働しながら、上演までをプロデュースするのだそうです。平田氏はそれぞれのまちに長期的に滞在しつつ、オーディション、ワークショップ、講演会、稽古をこなしていく。これも旅ですね。
「青森編」、ぜひ見にいきたいと思っています。
『地図を創る旅』≫Amazon.co.jp
彼は16歳の時、高校を休学して自転車で世界一周の旅を経験しています。その旅を綴ったのが『十六歳のオリザの未だかつてためしのない勇気が到達した最後の点と、到達しえた極限とを明らかにして、上々の首尾にいたった世界一周自転車旅行の冒険をしるす本』。冒険の旅に憧れていた20数年前の私は、彼が世界各地で体験するエピソードに触れ、うらやましさに心を震わせたものでした。
それから、青森の前衛舞踏家・福士正一さんと今は亡き牧良介さんが結成した二人だけの劇団、「オドラデグ道路劇場」とともに、なぜか南太平洋のバヌアツ島に旅をした時の顛末を描いた『道路劇場、バヌアツへ行く』。バヌアツの伝統的な踊りと、福士さんによる、あまりにも独創的な白塗りの正ちゃんダンス。平田オリザは、観光客向けのメラネシアの島々の踊りには「意味」が染みついていて、「見る者を安心はさせるが、決して感動はさせない」と言い、「芸術とは、本来、意味のないものである。主義主張を伝達するということ以前に、美しいと感じる心、楽しいと感じる心が芸術の出発点だ」と書く。
平田オリザは、つくづく「旅」が似合う演劇人だと思う。『地図を創る旅─青年団と私の履歴書─』(白水社、2004年)というこの本は、彼が大学生の時に創設し、今も彼が担う劇団「青年団」の若き日々を描いた本です。それはまさに新しい地図を創ってきた履歴。「地図を創る」ために「旅」をするというよりも、「旅」をしながら「地図」ができてきた過程といった方が適切か。
「青年団」の履歴はそのまま彼自身の履歴とも重なっていくわけで、実に緻密な記録が掘り起こされていく。それにしても、日記や備忘録をマメにつけていたのだと思われますが、大学生の頃のことを、よくあれほどまでに記憶に留めているものです。彼はそれだけ、若い頃から「思い入れの強い」人生を歩んできたのでしょう。そのことが、文章の端々からもうかがわれます。
彼が長い旅を経て、とりあえず今、たどり着いている岸辺が「現代口語演劇」です。青年団の舞台を直接見る機会はこれまでなかったのですが、他の劇団のそれは見たことがあります。彼は「演劇風」を嫌う。「芝居がかったものの言い方」を役者に禁ずる。青年団の役者はセリフを言う時、ふだんの話し方のように話し、だから必然的に、舞台の上では、ふだんの会話のように、複数の役者がそれぞれに別のことを言う光景が繰り広げられる。
「芝居らしい芝居」を見に来ている観客には、それは当然不評を買います。セリフが聞き取れない、筋が追えない、これは不条理劇なのか?…。新しい試みには、常に批判が伴うものです。しかしそれでも平田オリザは、確固たる信念に基づいて、この壮大な実験を続けようとしています。それは、彼にとって、また新たな「地図」を創る旅でもあるのでしょうね。
今、青年団と平田オリザは新たな地図の一コマとして、地方の劇場や劇団と連携して作品を作り上げていくという試みを展開中です。「隣にいても一人」という芝居を、三重、広島、熊本、そして青森の4ヶ所で、地元の市民との協働しながら、上演までをプロデュースするのだそうです。平田氏はそれぞれのまちに長期的に滞在しつつ、オーディション、ワークショップ、講演会、稽古をこなしていく。これも旅ですね。
「青森編」、ぜひ見にいきたいと思っています。
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