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カクレマショウ

やっぴBLOG

「バベル」─「悪人ではなく愚かなだけ」

2007-05-04 | ■映画
旧約聖書創世記第11章によれば、世界の言語がひとつであった昔、人々は集まって天まで届く塔を造り始めた。神はこれを見て、人間の尊大をこらしめるため、言葉を乱して、お互いに意志が通じ合わないようにした。そのため、塔の建設は中止され、人間は以後各地に分散し、それぞれの地方の言葉を話すようになった─。やっぴらんど「バベルの塔と空中庭園」より

この神話的な逸話に着想を得て、「言葉が通じない」ことによる人種間の断絶、民族間の断絶、家庭内の断絶といった現代の世界の問題をあぶり出そうとするのが映画「バベル」。菊地凛子のアカデミー助演女優賞ノミネート、聴覚障害者の働きかけによって、日本語パートにも字幕がつけられるようになったこと、公開後、クラブシーンでの光の点滅のシーンで光過敏性発作を起こした人がいたことなど、先行する話題が豊富だったこともあって、このゴールデンウィーク、多くの人が劇場に足を運んでいるようですね。

メガホンを取ったのはアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督。舞台は、モロッコ、メキシコ、東京の3ヶ所です。ちょっとした時間差を設けつつ、それぞれの場所で起こる事件や出来事を紡いでいきます。なんとなく私は、「クラッシュ」のようないい映画だろうな、と期待していました。

ところが、映画が始まって終わるまでずっと、これは「気持ちのいい映画」じゃないな、とずっと思っていました。 結局私は、どの登場人物にも一切感情移入ができなかったのです。「クラッシュ」がなぜあんなに「気持ちのいい」映画だったかというと、それはどの人物の立場も行動もよく理解できたからです。ところが、「バベル」の場合、それが一切ないままに幕を閉じてしまいました。エンドクレジットが出ても、気持ちは宙ぶらりん状態。それは、ストーリーの不完全性とかプロットの説明不足とかいう以前の問題でした。

どれもこれも、アメリア(ブラッド・ピットとケイト・ブランシェット演ずる米国人の家庭のメキシコ人家政婦)の言葉を借りれば、「悪い人ではないけど、愚かなだけ」。この映画には「悪人」は一人も出てきません。強いてあげれば、いきなり発砲するモロッコの警察ぐらい。みんなどこかで少し「愚か」で、しなくてもいい行動をしてしまう。

きっと、そういう人物ばかり見せつけられると、自分も含めて、マッタクどーしようもないな、という気持ちにさせられてしまうのですね。そういう人ばかりえんえんと見るために映画見に来てるんじゃないのに、という気持ちもあったのかもしれません。それがいかに「現実」だとしても、です。そんな現実はいくらでも身の回りにあるわけですから。妻の怪我であたふたしてつい自己チューになってしまう夫、自分のアイデンティティをうまく表現できない若者、権力に対する恐怖心から逆に疑われるような行動に出てしまうチョイ悪…。

手持ちカメラを使ったリアリティあふれる映像や、それぞれの場所にマッチした音楽、ブラピに代表されるような演出の確かさ、カットの切り替えの見事さなど、映画の作りとしては確かにすばらしい。しかし、登場人物の「愚かさ」にはとてもついていく気になれないのでした。

それにしても、こうしてみると、「東京」という街の汚さ、猥雑さを改めて思い知らされる映画でもありました。夜景が美しいはずの高層マンションの最上階でさえ。あの高層マンションが「バベルの塔」を象徴している、とは私は思いませんが、確かに、「神」がお怒りになった理由もわかるような気がします。


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (おせっかいおばさん(^_^;))
2007-05-05 23:15:23
  ブラビの妻役は
× ケイト・ウィンスレット
     ↓
○ ケイト・ブランシェット

でした。
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Unknown (やっぴ)
2007-05-06 19:58:20
ありがとうございます。m(_ _)m
さっそく直しておきました!
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