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カクレマショウ

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『NASAより宇宙に近い町工場』(その1)─「進路評論」に負けない植松少年

2009-12-29 | └キャリア教育
『NASAより宇宙に近い町工場─僕らのロケットが飛んだ』の著者、植松努さん。職場で隣の席の人が彼の講演を聴いたことがあるらしく、以来、植松さんの大ファンだと言う。講演のCDまで持っています。

植松さんは、北海道の赤平市で植松電機という会社を経営しています。社員20人ほどのいわゆる中小企業です。主な業務は、リサイクル用のパワーショベルにつけるマグネットの製造。これは、彼が父親のあとを継いでから始めたそうですが、競争相手がほとんどいないので、けっこう利益をあげているらしい。で、彼はそれを元手に、なんと、宇宙ロケットの開発をしているのです。もちろん、かなりの借金も注ぎ込んでいるようですが、植松さんは、ロケットの開発は利益を得るためにやっているのではない、ときっぱり断言している。ここがまず彼のすごいところ。

この本は、ぜひ中学生や高校生に読んでほしいと思いました。植松さんの(大人向けの)メッセージは、子どもたちにもきっと大きな勇気を与えてくれると思うからです。くたびれた私でさえ、この本読んで、すごく大きな力をもらったような気がするのです。「キャリア教育の教科書」がもしあるとすれば、この本は真っ先に読んでおくべき本でしょうね。

 第1章 僕たちの宇宙開発
 第2章 「よりよく」を求める社会をつくろう
 第3章 「夢」って何だろう?
 第4章 教えてくれる人がいないなら、自分で学べばいい
 第5章 楽をしないで努力を楽しもう
 第6章 他のどこにもない経営方針
 第7章 あきらめないで世界を変えよう
 第8章 未来の社会をつくるために


植松さんの文章は、人柄がほんわかにじみ出てくるような文章。決して大上段に構えることなく、さらりと生き方・働き方の本質をついてくれます。それは、彼のこれまでの半生によるところが大きいのだろうと思います。

子どもの頃から飛行機が大好きで、ペーパークラフトで紙飛行機を作っていたという。もちろん、ただ作るわけじゃない。彼のすごいところは、どうすればもっとよく飛ぶのか、わからないことは本で調べたり、自分で考えて新しいアイデアを生み出すところです。そういう姿勢は、そのまま大人になってからのロケット開発にもつながってきます。

  成功の秘訣は、成功するまでやること。
 「どうせ無理」をこの世からなくす。
 「だったらこうしてみたら」をこれからのキーワードにしよう。


こういう言葉は、すべて、もともと子どもの頃に培われたものから発しているのだと思います。彼は学校の成績は決して良くなかった。でも、そんなことよりも、もっと大事なものが彼の中ですくすくとはぐくまれてきたのでしょうね。

しかし、そういう子どもをいかに大人が「つぶしている」か、植松さん自身も何度もそういう体験をしています。たとえば、小学校6年の時に書いた「ぼくの夢、わたしの夢」という作文で、「自分のつくった潜水艦で世界の海を旅したい」と書いたら、先生に「こんなかなわない夢を書いてていいのか?」と叱られたという。

また、中学生の頃には、進路相談で、「将来、飛行機、ロケットの仕事がしたいです」と言ったら、「芦別に生まれた段階で無理だ」と先生に言われたそうです。

 「飛行機やロケットの仕事をするためには東大に入らなければいけない。おまえの頭では入れるわけがない。芦別という町から東大へ行った人間は一人もいない。そんなバカなことを考えてる暇があったら、芦別高校に行くのか、芦別工業高校に行くのかをよく考えて選べ」と言うんです。そして、「おまえの頭では芦別工業高校しか行けないだろう」というおまけまでつけてくれました。

長々と引用したのは、植松さんがいうように、これは「進路相談」なんかじゃないと私も思うからです。しかし、こういう「進路相談」は別に今でも珍しくないのかもしれません。「多くの人たちが可能性を奪われています」と彼は言う。確かに、「進路相談」という名の、先生による進路「評論」がはびこっていますね。飛行機のことなら、植松少年にかなうわけがないのに、大人ぶって「評論」する先生。挙げ句の果てに、進学する高校まで指定してしまう先生。そういう「進路指導」には夢や志のかけらもありません。

植松さんが進学した高校の「進路指導」でも、同じことが繰り返されます。飛行機の仕事をするために、大学受験をしようと考えた植松少年でしたが、やはり「お前には絶対無理だ」と言われる。「絶対無理」、「どうせ無理」…。子どもたちに決して言ってはいけない言葉が、どうしてこうも繰り返されるのでしょうか。

普通なら、ここまで打ちのめされたら、ほんとに可能性がつぶされてしまうところですが、植松少年はやっぱりどこか違っていました。

中学校の時には、

 僕は、飛行機やロケットの仕事をするには東大に行かなきゃダメなのかなって、ちょっと考えました。でも、考えてみたらライト兄弟は東大に行っていません。だから、関係ないやと思って、その後も自分で飛行機の勉強をしようと思いました。

先生が何言おうが「関係ないや」と思ってしまうたくましさがいいですね。「ライト兄弟は東大に行っていないし」という単純な発想もステキです!

高校の時には、「おまえは10聞いたうち1しか覚えない」と先生に言われて、「いや、そしたら100聞いたら10覚えるかもしれないでしょう」と言い返したという。これもなかなかいいですねー。で、進学コースに入ったはいいものの、成績は伸びることはなく、ただ結果的には、北見工業大学に「奇跡的に」合格する。

彼は大学でようやく自分の好きな勉強ができるようになります。そして、

 大学で出会った学問は、小学校のころからやっていた趣味でした。…自分一人でやっていた研究が全部、大学に行って勉強と結びつきました。だから、僕は、中学高校と赤点の帝王だったのに、大学に行ったら勉強しなくてもほとんど100点がとれるようになっていました。

中学校、高校での「進路指導」がいかに当てにならないものだったのかは、大学時代のこの事実を見ても明らかですが、社会に出てからの彼の仕事ぶりがもっと如実に証明してくれています。そのことはまた改めて紹介したいと思います。

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