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カクレマショウ

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「体験以外の実感」─寺山修司

2008-05-29 | ■社会/政治
寺山修司は、「体験と実感は違うよ。実感というのは体験から来る実感もあればそうでない実感もあるんだよ」というようなことを友人に話していたらしい。「体験以外の実感」とはどんなものか。浦山というその友人の問いに寺山はこんなふうに答えたという。

「浦ちゃんはまだ19歳で19回しか夏の体験がないだろう。だけど、ボクの体験は、たとえば映画の『太陽がいっぱい』の夏もあるし、何かの本で読んだ夏もある。だからボクはもう何千種類もの夏を体験している。これを実感というんだよ」

この話は、田澤拓也『虚人 寺山修司伝』(文藝春秋社、1996年)という本に載っています。寺山修司という男の本質を、鮮やかに、かつ容赦なく暴き出しているこの評伝は、数ある寺山評伝の中でもピカイチものです。

本や映画など、他人が創り出したものでも、「自分のもの」として受け止められれば、それはもう実感なのだ。こうした考え方も、いかにも寺山らしい側面です。それはチガうだろう、自分で実際に「体験」してみて初めて感じるのが「実感」というものでしょう─。そういう反論はもっともです。たとえば、飛行機に初めて乗った時の「体験」と、ほかの人が飛行機に乗ったことを文字や映像で表現しているのを読んだり見たりするのとは、感じ方が全然違う。「実感」というのは、自分自身が飛行機に乗ってみて、離陸する時の体がふわっと持ち上げる感覚とか、上空で耳の奥がつーんとする感じ、窓から雲の上を眺めてなんて美しいんだろうと思う気持ち、そういうことでしょう。活字や映像を追うだけでは、そんな感覚は到底味わえない。

しかし、寺山はそういうことをわかった上で、あえて「体験以外の実感」を大事にしたいと言う。

もしかしたら、「体験以外の実感」というのはとても大事なことなのかもしれません。「体験」することはもちろん大切ですが、「体験」は「体験」すればそれでおしまいです。なんでもすぐに「体験」できてしまうと、実際に手は届かないけれど、そこに到達するまでのプロセスや手順を「想像」するということができなくなってしまう。要は「想像力」の問題で、イメージする力を体験は奪ってしまうのではないか。

摩訶不思議な「寺山ワールド」は、寺山の持つ「想像力」、「イメージ力」のたまものです。とっかかりは確かに他人の創作物かもしれませんが、彼はそれを何百倍にもふくらませる力を持っていました。そういう力は、「創造力」より得がたい能力かもしれません。

でも、昨今の「あまりにもリアルなバーチャル」というのも逆に考えもので、それはとても中途半端な分、子どもたちの想像する力をますます奪い取っているような気もします。現実に限りなく近い仮想空間なんて、何の意味があるのでしょうか。。もし現代に寺山が生きていたら、インターネット上の仮想空間で得られる「実感」に、寺山はいったい驚喜したでしょうか? 「創作」につながるアイディアがいっぱいだと言って…。

どうもそうではないような気がしますね。「実感以外の体験」という独特の「実感の理論」を持つ寺山修司。体験なのか、実感なのか、ほとんど区別がつかない世界なんて、寺山を戸惑わせるだけですね。きっと。


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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初めてブログを拝見して・・ (神奈川の世界史教員)
2008-06-08 07:47:57
「インドへの道」をアメリカ人に勧められて見たのですが、良さがさっぱり理解できず、納得のいく解釈をしている人がいないか、と探していたら、このHPにたどり着きました。神奈川で私立世界史教員をしています。ブログやHPの充実度、世界史教師だった頃に生徒に配られていたプリント、シルクロードを歩かれたことなど、その熱意と行動力に頭が下がりました。私は今31歳ですが、これからもっともっと力を惜しまず、生きていこうと思いました。直接ブログのコメントではなく、すみません。ブログも読ませていただいています。長くなりました。
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ありがとうございます。 (やっぴ)
2008-06-12 00:11:58
うれしい励ましのお便りありがとうございました。

31歳ですか~。まだまだこれからですね。うらやましい。私はそのころ、ひたすら世界史の授業づくりに時間を費やしていました。懐かしいです。

「力を惜しまず生きていこう」。こちらこそ頭が下がります。そういう意欲を忘れかけていました。
ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
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