カクレマショウ

やっぴBLOG

合掌土偶はどんなメッセージを伝えているのか。

2009-03-26 | ■世界史
約20年前の1989年夏、八戸市是川の風張遺跡で、女性作業員が掘り当てた縄文時代後期の土偶は、これまで見たことのない姿をしていました。



手のひらに乗るくらいの大きさ(高さ約20㎝)のその土偶は、両膝を立てた格好で座り、両手を正面で合わせていたのです。その姿から、のちに「合掌土偶」と呼ばれるようになるこの土偶が、先日、国宝に指定されることが内定しました。縄文時代の考古資料としては、全国で4例目となるそうです。

実は、最初に発見された時には左足が欠けていたのだそうですが、それも本体の発掘直後に2mほど離れた場所で見つかったとのことで、完全な形で復元されることになりました。「完全体」であることが、国宝指定の大きな決め手になったようです。実は、同じ風張遺跡からは、2年後にも「ポーズ」をとっている土偶が発見されていて、こちらは「頬杖土偶」と呼ばれています。楽しい考え事でもしているのでしょうか、頬に手を当てて、穏やかな表情をしています。この土偶も、おそらく「合掌土偶」と同じように座っていたと思われます。「おそらく」というのは、残念ながら、頬杖土偶は、脚が欠けているのです。頬杖土偶も、もし「完全体」で出土していたら、国宝級と言われています。

さて、「合掌」のポーズですが、よく見ると、手のひらを「合わせて」いるというよりは、指を「組み合わせて」います。顔をやや上向きにして、まるで天に向かって祈りを捧げているようにも見えます。もしそうだとすれば、天には何がいたのでしょうか。いずれにせよ、天には、彼らが豊作を祈ったり病気の治癒を願ったりしていただろう「何か」が確実に存在していたことだけは確かですね。私たちは、それを「神」と呼ぶこともできます。

で、人間が祈るとき、その象徴としてある「祈りのポーズ」をとる。「合掌」はもちろん仏教の礼拝の仕草ですが、この土偶はどちらかというと、キリスト教の祈りのスタイルに近い。ま、どっちにしても、キリスト教も仏教も成立するはるか以前から、人間は両手を合わせることで、人知を超えた存在に対してひたすら祈りを捧げていたのだということを、この土偶は教えてくれます。

ただ、これが「祈りのポーズ」だと決めつけていいものかなとも思います。私たちの先入観がそう思いこませているだけなのかもしれない。実際、これは座った姿での出産シーンだという説もあるくらいです。あるいは、単に両手を組んで休んでいるだけのポーズなのかもしれないし、喜んで拍手をしている姿なのかもしれない。ことによったら、敵に対する威嚇のポーズなのかもしれません。現代の私たちは、様々な「宗教」の儀式や仕草を知っているゆえに、両手を合わせていたらそれは「祈り」だと早合点してしまっている可能性もありますよね。

それでも、心情的には、やはりこのポーズは祈りであってほしいし、縄文人が、その祈りのポーズをあえて土偶という形に残したのだと思いたい。地球上で、いかにも支配者然としている人間ですが、実は「神」に頼らざるを得ない弱さを持っていることに、気づかせてくれるからです。

それにしても、今回、国宝に指定されることになって、マスコミも含めて、関係者が一様に口をそろえるのは、「これで世界遺産に大きな弾みがついた」ということ。そう、現在、「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」が世界遺産の暫定リストに掲載されているのです。三内丸山遺跡をはじめとする「縄文遺跡群」15の遺跡に、合掌土偶が出土した風張遺跡は含まれてこそいませんが、他の遺跡の出土品には、国宝に値しそうなものも多くあります。そういう意味で「弾み」がつけば…と期待する気持ちもわからなくはありませんが、どうも最近の“世界遺産フィーバー”を見ると、観光客誘致という「下心」が鼻につくもので…。ま、それについてはまた改めて書きたいと思いますが。

さて、この合掌土偶、私もまだ実物を見たことはありません。もともと八戸市博物館で所蔵していたものですが、現在は国宝指定に伴う調査のため、東京国立博物館に保管されているそうです。東博で、4月28日から5月10日まで「特集陳列 平成21年度新指定国宝・重要文化財」展で公開される予定。八戸に戻ってくるのはその後になり、6月13日から7月26日まで八戸市博物館の「特別展 土偶展」で公開されます。


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3 コメント

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Unknown (やっぴ)
2011-10-25 00:04:28
渋谷さん

古代の人々から学ぶべきことはたくさんありますね。とくに危機管理の面では。

もっとも、三内丸山遺跡なんかは、当時はすぐ近くまで海だったらしいですけどね。陸奥湾の奥までは津波は来なかったということでしょうか。
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縄文の長は津波の高さを知っていた (渋谷一夫)
2011-10-23 18:33:05
3・11の大津波でも被害が及ばない高さに点々と縄文土器が落ちている事、海岸べリに点々と存在する貝塚などは、何を語って居るか?、恐らく、暮らしを統括、指導をする立場の長や、古老は、地震の後に沖から襲って来る津波の恐ろしさ、高さ等を知っていて、此処から下には住居は作らない、住まないと決めて居たのでは。科学や知恵では?到底及ばない現在を生きる指導者等に勝るとは思いませんか。銕
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うつ病 (うつ病)
2009-07-21 11:46:26
拝見させていただきました~♪
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