
シャンソンって、もしかしたらフランス語で「歌」を意味する言葉では?とふと思って調べてみたら、まさにそうでした。日本では、シャンソンって歌のジャンルの一つのようにとらえられていますが、もともとは英語のsongと同じ意味なのですね。同じように、イタリア語では「歌」のことをカンツォーネと言うのだそうで。なるほど。
その「シャンソン」(というジャンル)は私自身、ちゃんと聴いたことはこれまでありません。「愛の讃歌」とか「バラ色の人生」は知っていますが、それを歌っていたのがエディット・ピアフという歌手だということもよく知りませんでした。私より一回りくらい年上になると、シャンソンを好きな方が多いようですね。この映画を見に来ていたお客さんも、私より上と思われる人が多かった。
ホンモノのエディット・ピアフを知らないものだから、主役が「似ている」と言われてもあまりピンと来ないのですが、写真を見れば、確かにそっくりです。ピアフを演じたマリオン・コティヤールは、ずいぶん努力してピアフのしゃべり方や歌い方、しぐさを研究したのでしょう。ただ、ピアフは身長が142cmだったそうで、169cmのコティヤールは、そこだけは真似できなかったと思われます。「ピアフ」、La Môme Piaf=小さなスズメという愛称は、そんな小柄な体つきからつけられたのでしょう。
そんな小柄な体から、轟くような歌声が響く。ピアフの「歌」は、やっぱりホンモノの声に吹き替えしてあるのだそうですが、吹き替えであることすら気づかないくらい、マリオンの演技はピアフになりきっています。しかも20歳から47歳の死まで(晩年はどう見ても60代くらいに老けて見えますが)、見事な演じ分けを見せてくれます。
ピアフは1915年生まれ。ちょうど第一次世界大戦の真っ最中で、幼いエディットも戦争の荒波に容赦なく呑み込まれていきます。徴兵された父親の実家である娼家に預けられたエディットが、娼婦たちに我が子のようにかわいがられるシーンがとてもいい。虚弱体質から目が見えなくなったエディットをいたわり、教会に連れて行く娼婦たち。聖テレーズに祈りを捧げた甲斐あって、3年後に目は見えるようになる。エディットは、自分を救ってくれた聖テレーズへの信仰を生涯忘れることなく、常にその十字架を身につけるようになります。ちなみに、「聖テレーズ」とは、19世紀のフランスに生まれた「リジューの聖テレーズ」のことですね。24歳で亡くなったという「小さき花のテレーズ」。マリア・テレサの名前も、彼女の名にちなんでいます。
エディット・ピアフの人生は、もちろん脚色もあるのでしょうが、まさに「映画的」なエピソードに満ちあふれています。10歳の時、大道芸人の父に何か「芸」を見せるよう促されて初めて人前で歌った「ラ・マルセイエーズ」。もともとフランス革命の際に作られた「軍歌」なだけに、その歌詞は国歌とは思えないような過激さ。「我々の畑に敵の血を吸わせるまで戦え」ですから。世界史の授業でフランス革命を扱うとき、映画「カサブランカ」から「ラ・マルセイエーズ」をフランス人が歌うシーンを見せたりしていましたが、この幼いエディットが朗々と歌い上げる「ラ・マルセイエーズ」もすばらしい。エディットの母親も歌手だったようですから、やはり血は争えないんだなと思いました。
エディットは生涯数多くの恋愛をしたようですが、なかでも、マルセルほど深く愛した男はいなかった。出会いからマルセルの不慮の死まで、わずか1年ちょっとの短い恋愛でしたが、名曲「愛の讃歌」は、そのつらい別れの体験から生まれた曲だということを初めて知りました。日本では結婚式でもよく歌われますが、実は悲しい曲だったのですね。マルセルの死の知らせを聞いて、悲しみのあまりホテルの部屋をさまようエディットが、いつのまにか舞台に立ってこの歌を歌っている…という演出には、ちょっとじーんとさせられます。正直、子ども時代はともかく、エディットのあまりのけたたましさ、わがままさにウンザリさせられる部分もあったのですが、このシーンだけで、それも許せるかな、という気分になりました。余韻をじゅうぶん味わわせてくれる幕の閉じ方もとてもいい。
「歌がうまい」人はたくさんいますが、人の心をわしづかみにするような歌を歌える人は滅多にいない。きっと、エディット・ピアフはそんな歌手だったのでしょう。彼女が下町の雑踏から見いだされたのは「運」ですが、その運さえ引き寄せてしまう強さを彼女は持っていたのではないかと思いました。決して聖テレーズの「お導き」だけではなく。
その「シャンソン」(というジャンル)は私自身、ちゃんと聴いたことはこれまでありません。「愛の讃歌」とか「バラ色の人生」は知っていますが、それを歌っていたのがエディット・ピアフという歌手だということもよく知りませんでした。私より一回りくらい年上になると、シャンソンを好きな方が多いようですね。この映画を見に来ていたお客さんも、私より上と思われる人が多かった。
ホンモノのエディット・ピアフを知らないものだから、主役が「似ている」と言われてもあまりピンと来ないのですが、写真を見れば、確かにそっくりです。ピアフを演じたマリオン・コティヤールは、ずいぶん努力してピアフのしゃべり方や歌い方、しぐさを研究したのでしょう。ただ、ピアフは身長が142cmだったそうで、169cmのコティヤールは、そこだけは真似できなかったと思われます。「ピアフ」、La Môme Piaf=小さなスズメという愛称は、そんな小柄な体つきからつけられたのでしょう。
そんな小柄な体から、轟くような歌声が響く。ピアフの「歌」は、やっぱりホンモノの声に吹き替えしてあるのだそうですが、吹き替えであることすら気づかないくらい、マリオンの演技はピアフになりきっています。しかも20歳から47歳の死まで(晩年はどう見ても60代くらいに老けて見えますが)、見事な演じ分けを見せてくれます。
ピアフは1915年生まれ。ちょうど第一次世界大戦の真っ最中で、幼いエディットも戦争の荒波に容赦なく呑み込まれていきます。徴兵された父親の実家である娼家に預けられたエディットが、娼婦たちに我が子のようにかわいがられるシーンがとてもいい。虚弱体質から目が見えなくなったエディットをいたわり、教会に連れて行く娼婦たち。聖テレーズに祈りを捧げた甲斐あって、3年後に目は見えるようになる。エディットは、自分を救ってくれた聖テレーズへの信仰を生涯忘れることなく、常にその十字架を身につけるようになります。ちなみに、「聖テレーズ」とは、19世紀のフランスに生まれた「リジューの聖テレーズ」のことですね。24歳で亡くなったという「小さき花のテレーズ」。マリア・テレサの名前も、彼女の名にちなんでいます。
エディット・ピアフの人生は、もちろん脚色もあるのでしょうが、まさに「映画的」なエピソードに満ちあふれています。10歳の時、大道芸人の父に何か「芸」を見せるよう促されて初めて人前で歌った「ラ・マルセイエーズ」。もともとフランス革命の際に作られた「軍歌」なだけに、その歌詞は国歌とは思えないような過激さ。「我々の畑に敵の血を吸わせるまで戦え」ですから。世界史の授業でフランス革命を扱うとき、映画「カサブランカ」から「ラ・マルセイエーズ」をフランス人が歌うシーンを見せたりしていましたが、この幼いエディットが朗々と歌い上げる「ラ・マルセイエーズ」もすばらしい。エディットの母親も歌手だったようですから、やはり血は争えないんだなと思いました。
エディットは生涯数多くの恋愛をしたようですが、なかでも、マルセルほど深く愛した男はいなかった。出会いからマルセルの不慮の死まで、わずか1年ちょっとの短い恋愛でしたが、名曲「愛の讃歌」は、そのつらい別れの体験から生まれた曲だということを初めて知りました。日本では結婚式でもよく歌われますが、実は悲しい曲だったのですね。マルセルの死の知らせを聞いて、悲しみのあまりホテルの部屋をさまようエディットが、いつのまにか舞台に立ってこの歌を歌っている…という演出には、ちょっとじーんとさせられます。正直、子ども時代はともかく、エディットのあまりのけたたましさ、わがままさにウンザリさせられる部分もあったのですが、このシーンだけで、それも許せるかな、という気分になりました。余韻をじゅうぶん味わわせてくれる幕の閉じ方もとてもいい。
「歌がうまい」人はたくさんいますが、人の心をわしづかみにするような歌を歌える人は滅多にいない。きっと、エディット・ピアフはそんな歌手だったのでしょう。彼女が下町の雑踏から見いだされたのは「運」ですが、その運さえ引き寄せてしまう強さを彼女は持っていたのではないかと思いました。決して聖テレーズの「お導き」だけではなく。
第二次世界大戦以後パリの交通が完全に麻痺したのはピアフの葬式だけと言われる彼女の「すごさ」をあまり感じませんでした。
確かに映画にするには人の人生を2時間に圧縮するのだから削れるものは削らないといけないと思うけど、戦争のことやナチス・ドイツ占領下のパリでレジスタンスに貢献したことも少し盛り込んでほしかったなぁと思いました。
おっしゃるとおり、確かに「伝記」映画って、その人の人生すべてを描ききれるものではなく、取捨選択をしなけりゃいけないですからね。「マルコムX」とか「マイケル・コリンズ」とか「Ray」あたりを見た時も、語られていないエピソードがたくさんあるなと思いました。
戦争やレジスタンスに生きたピアフ、という視点でも別の映画が作れるのかもしれません。今回は歌と恋に生きたピアフの人生を描いた映画と考えればいいのかな…。