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「日本沈没」(1973)と「日本沈没」(2006)─「何もしない」ということは。

2008-04-25 | ■映画
「日本沈没」
1973年/日本/140分
監督 森谷司郎
原作 小松左京
脚本 橋本忍
特技監督 中野昭慶
出演 藤岡弘/小野寺俊夫 いしだあゆみ/阿部玲子 小林桂樹/田所博士 夏八木勲/結城 丹波哲郎/山本総理

「日本沈没」
2006年/日本/135分
監督 樋口真嗣
原作 小松左京
脚本 加藤正人
出演 草なぎ剛/小野寺俊夫 柴咲コウ/阿部玲子 豊川悦司/田所雄介 大地真央/鷹森沙織 及川光博/結城慎司 石坂浩二/山本尚之

小松左京のSF小説『日本沈没』(1973年)は、東宝がすぐに映画化し、監督に森谷司郎、脚本に橋本忍という黒澤映画のスタッフを起用し、キャストには小林桂樹、丹波哲郎、藤岡弘をはじめとする豪華メンバーを取りそろえ、興行的にも大成功を収めました。

それから30年以上を経て、2006年、再びの映画化。樋口真嗣監督が「リメイクじゃなくてあくまでも再映画化である」と言っているとおり、登場人物やストーリーに大きく変更が加えられています。たとえば、小野寺俊夫と安部玲子の恋愛は、1973年版では2006年版ほどメインとしては描かれていなかった。また、小野寺が深海艇の操縦士という設定は2作品とも同じですが、相手の女性、安部玲子の設定は大きく変わっています。1973年版では原作通り「良家のお嬢様」だったのが、2006年版では東京消防庁のレンジャー隊員になっています。

そういう設定自体はどうでもいいのですが、小野寺はロンドンに脱出することを考えているのに対して、玲子は最後まで残って一人でも多くの命を救いたいと言う。その対比はなかなか面白い。30年前なら、その逆はあるにせよ、女性の方がそういう台詞を言うことは決してなかったでしょう。そもそも、1973年版は「男だらけ」ですから。女性の登場人物は、玲子と、「ワタリ老人」の世話をする姪の女性くらいです。しかも彼女はいつも和服を着ています。それが、2006年版では、首相亡き後、最高責任者となる危機管理担当相が女性という設定です(大地真央)。

そういう設定は、まさに現代版「日本沈没」を期待させるのですが、しかし、映画では小野寺と玲子を中心に追っているため、現代の危機管理体制がどうなっているのか、皆目見えてこない。たとえば1973年版では、対策本部にいる幕僚長が、横須賀の海上自衛隊に対して、東京都下の消火・救助活動への派遣命令を下したところ、なんと、「神奈川県からの要請で既に県下に出動済み」という返答が来るシーンがあります。ことほどさように、危機管理下での命令・指揮系統は難しい。この30年間で、いったいそういうところが改善されたのかといったことも、この映画では描かれてしかるべきだった思います。レスキュー隊のテントの中でいちゃつく男女を追っている場合ではない。

何より、最後の大地真央の演説がダメ。日本は結局、「全部沈没」は免れたという設定(これも前作とは異なります)ですが、あの演説は、生き残った国民を鼓舞するためだけのものでじゅうぶんでしょう。しかしながら、もしやという不安は的中し、最後の最後になって、言わせなくてもいいことを言わせてしまう。「今回、自分の身を犠牲にして日本を救った小野寺、結城の二人に、ここで…」。

…なぜここであえて「個人名」を出す必要があるのか。まるでベタベタな映画的展開。こういう気持ち悪いシーンがまま出てくるのが日本映画のいやなところです。それを言えば、みんなが「感動」するとでも思っているのでしょうか。いや、確かに二人は日本を救ったかもしれない。特に小野寺は、2006年版では非情なまでの自己犠牲の精神をまざまざと見せつけてくれます。でも、これは、「小野寺」を描くための映画ではない。ましてやお相手の安部玲子でもない。日本が「沈没」して国土を失うという危機に際して、政府は、国民はそれをどうやって最小限の被害に食い止めるのか。この原作を映画にするなら、そこをメインテーマにしなければ何の意味もない。

そういう意味では、1973年版の方がずっと優れています。あまり意味のないシーンも多くて、おかげで2時間20分もの長尺になっているのが玉にキズだし、特撮だって今見ればチャチなことは否めません。ただ、少なくとも、「日本沈没」という突拍子もない設定に、真正面から向き合っています。象徴的なのは、科学者の竹内均氏が本人役で登場して、沈没の原理について総理はじめ政界の重鎮たちに説明する場面。いきなり日本が海底に沈むことはないにせよ、地球の地殻変動の有様をわかりやすく説明してくれます。それを聞くと、あり得ない話でもないのだと納得できる。「真正面から」というのは、そういう意味です。

ところで、2006年版でも取り上げられていますが、日本沈没に際して、「何もしない」という選択肢もあるという点には考えさせられました。1973年版で丹波哲郎演ずる山本総理は、政界の顔役、ワタリ老人からそういう選択肢もあると聞かされた時、感嘆とも悲しみともとれる表情を浮かべる。そんな選択肢があること自体、思いもしなかった…とでもいうような。うまいなあ、丹波哲郎!彼は決して「大霊界」の人だけではない。

「何もしない」という選択肢。2006年版では、それは許せないと言わんばかりに、ある奥の手を使って、何とか日本の一部を残すことに成功します。1973年版では、政治家たちが必死になって世界中を回って移民を受け入れてくれるよう頼み込むなど、「何もしない」ことはないまでも、全体を通じてある種の諦念が支配しているように感じられます。天変地異の前では、結局は人間は無力なのだといったような…。だからこそ「命」は尊い。受け入れて、初めて見えてくる命の尊さとでも言おうか。

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