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カクレマショウ

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マットはいったいどこにいるの?

2011-02-10 | ■社会/政治
数年前、YOUTUBEで話題になったマット・ハーディングのダンス。なぜか今頃になって、今朝の朝日新聞の「ひと」欄で紹介されていました。現在、4本目のビデオを撮影中とのことで、また世界中を旅しているらしい。で、私が一番好きな3本目の”Where the Hell is Matt? (2008)”を久しぶりに見る。



わー、やっぱり久々に見ても、この動画はいい。自然に笑顔がこぼれてしまう。あのシンプルで、でも一度見たら忘れられない「マット踊り」、それを彼は世界のいろんな場所で踊りまくる。エジプトのピラミッドの前でも、メキシコの太陽のピラミッドの前でも、オーストラリアの砂漠でも、エッフェル塔の前でも、パプア・ニューギニアのジャングルでも、ネバダの無重力空間でも、板門店の警備兵の前でも、果てはトンガの海中でも…。楽しいのは、途中から、踊っているのが彼一人ではなくなるところ。マットを中心に、若者はもちろん、子どもたちもお年寄りも、現地の人も、踊り子たちも、犬も、みんなマット踊り。楽しすぎる。マットも笑顔、みんなもはじけるような笑顔。

この3本目のビデオは、何と言っても音楽がいい。この歌”Praan”(プラーナ)をベンガル語で詩情豊かに歌い上げているのは、バングラデシュ生まれで米国に住む18歳のパルバシャ・シッディク(Palbasha Siddique)です。”Praan”とは、ヒンディー語で「いのち、エネルギー」という意味だそうです。マット自身がインドの生んだ偉大なる詩人タゴール(アジア初のノーベル文学賞受賞者)の詩集「ギタンジャリ」に含まれる“Stream of Life”(いのちの流れ)から発想を得て英語で作詞し、それをベンガル語に訳したものだという。元の「いのちの流れ」はこんな詩です(高良とみ訳)。

 ひるとなく 夜となく わたしの血管を流れる 同じいのちの流れが
 世界をつらぬいて流れ 旋律にあわせて踊っている。
 そのいのちが 喜びとなってほとばしり
 大地の塵から 無数の草の葉を 萌え出させ
 木の葉や 花々の騒がしい波を 立たせる。
 そのいのちが 生と死の海の 揺りかごのなかに
 満ちたり引いたりしながら揺られている。
 このいのちの世界にふれて 私の四肢は 栄光に充たされる
 そして私の誇りは いまこの瞬間に私の血のなかに踊っている
 幾世代のいのちの 鼓動からくるのだ


で、「プラーナ」の歌詞の日本語訳。

 「プラーナ」

 忘れられないだろう
 わたしの魂のなかでざわめくいのちを
 死のうちに隠されている
 無限のいのちを

 雷のなかであなたを聴く
 ひとつのシンプルな音色を
 その音色に向かってわたしは高まっていく

 あの歓喜の嵐のなかで
 あなたの心のなかであなたの音楽が演奏されるさなか
 世界中のありとあらゆる存在が
 あなたのリズムに合わせてダンスを踊る

 雷のなかであなたを聴く
 ひとつのシンプルな音色を
 その音色に向かってわたしは高まっていく


ベンガル語は全く分からなくても、聴いていると、なんとなくそんな感じの意味なんだろうなと分かってしまうところがこの歌の不思議なところです。そして、そこにマットを中心としたダンスシーンをかぶせると、なんだかそれこそ「いのち」のエネルギーが湧き上がってくるような感覚に襲われる。

朝日の記事によると、これまで「95カ国を訪れ、千ヶ所以上で踊った」マットは、4本目のビデオで最後にするかもしれないとのこと。「ハイチやアフガニスタンといった悲惨なニュースが伝えられる地で『普通の人たちの普通の生活を映像に記録したい』」ということらしい。ま、それも見てみたい気もしますが、マットにはもっともっといろんな場所で踊って欲しい。「悲惨な」場所であればあるほど、あの珍妙な踊りが大きな意味を持つと思うから。歌と踊りは、国境なんか超えちゃって、人間が深いところでつながり合うことができる一番のツールだと思うから。

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