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『レ・ミゼラブル』覚え書き(その6)

2005-04-03 | └『レ・ミゼラブル』
第一部 ファンティーヌ
第五編 下降(岩波文庫第1巻p.283~p.350)

テナルディエ夫婦にコゼットを預けたファンティーヌは、10年ぶりに生まれ故郷のモントルイュ・スュール・メールに戻り、職につきます。それは、「マドレーヌさん」の工場の女工の職でした。「マドレーヌさん」は、どこかよそからこの町にやってきて「黒い装飾品」を安価に作る技術を考え出し、莫大な富を築いていた人でした。彼の預金額は、事業を始めて5年後の1820年には、63万フランにのぼっていました。しかし、彼がその間町のためや貧しい人々のために使ったお金は「100万フラン以上」である。つまり彼は単なる「成金」ではなく、今で言うところの「社会貢献活動」に熱心な事業家だったということです。彼は「国家の第一の官吏というのは、すなわち保母と教師との二つです」と言い、「当時ほとんどフランスに知られていなかった幼稚園を建て」ています。

そんな彼に対してさえ、陰口をたたく人々がいたことを、ユゴーはこと細かに描写しています。「口善悪(くちさが)ない人々」がマドレーヌ氏についていろいろな噂をたてます。仕事を始めるのを見ては「金もうけをたくらんる豪気な男」。社会貢献に尽くすのを見ては「野心家」。国王が彼に勲章を付与すると聞くと「彼が望んでいたのは勲章だったのか」。マドレーヌ氏がその勲章を辞退したと聞くと「一種の山師だ」。社交界からの誘いを断ると「無学で教養がないからだ」。いかに人が簡単に他人にレッテルを貼ることができるか、偏見に満ちた人物評価をしてしまうかということですね。

そんな「マドレーヌさん」は「マドレーヌ氏」となり、ついには「マドレーヌ市長」となるのです。知事の再三の依頼にもかかわらず市長への就任を辞退してきたマドレーヌ氏がようやく承諾することになったきっかけは、ある婦人の一言でした。

「いい市長さんがあるのは大事なことです。人間は自分のできるよいことをしないでいいものでしょうか」(訳では傍点付き)。

市長(や政治家)に限らず、会社でも家庭でも学校でも地域でも、あらゆる場でみんながそれぞれ「自分のできるよいこと」をしようと努めれば、世の中確かに変わっていくのかもしれません。

マドレーヌ氏の言葉にこんなのもありました。

よく覚えておきなさい、世には悪い草も悪い人間もいるものではない。ただ育てる者が悪いばかりだ。

大人がしっかりしていなければ、子どもを正しく育てることはできない。今こそ私たちに必要な教訓なのかもしれません。

マドレーヌ氏とは、もちろんジャン・ヴァルジャンのことですが、マドレーヌ氏としての生き方は、そっくりそのままミリエル司教のそれを重なるものでした。

全市挙(こぞ)って丁重に彼を尊敬し、1821年ごろには、モントルイュ・スュール・メールにおいて市長どのという言葉は、1815年ディーニュにおいて司教閣下と言われた言葉とまったく同じ調子で口に上せらるるようになった。

ジャンにとって、これほどの喜びはあったでしょうか。ミリエル司教と同格に扱われる! しかし、いくら人が褒め称えてくれても、ミリエル氏の行いを表面的になぞっているだけでは何にもならないことを、彼はきっとよくわかっていたのではないでしょうか。少なくとも私たち読者は知っています。彼のその後の生き方が完全にミリエル氏のそれを「超えた」であろうことを。

そのミリエル氏が1821年に亡くなったことを聞いたマドレーヌ氏ことジャン・ヴァルジャンは、喪服をつけてその死を悼んでいます。また、彼が知らないうちに小銭を盗んでしまった例の「サヴォアの少年」を探し出すことにも余念がありませんでした。ジャンはマドレーヌ氏として生きながら、決して「あの日」を忘れないのです。自分の人生を変えたあの日。

この第五編は、あの「ジャヴェル」が登場する箇所でもあります。マドレーヌ氏に対する「尊敬の感染を絶対に受けない」たった一人の人物として。ジャヴェル警視は、マドレーヌ氏を最初から胡散臭い目で見ています。彼はたぶん他人を全面的には信じることができないタイプの人間なのです。それは警察官であるという職業柄というよりも、彼自身の生い立ちによるところが大きいことをうかがわせる記述があります。

ジャヴェルは骨牌(カルタ)占いの女から牢獄で生まれた。女の夫は徒刑場にはいっていた。ジャヴェルは大きくなるに従って、自分が社会の外にいることを考え、社会のうちに帰ってゆくことを絶望した。社会は二種類の人間をその外に厳重に追い出していることを彼は認めた。すなわち社会を攻撃する人々と、社会を護る人々とを。彼はその二つのいずれかを選ぶほかはなかった。

生涯にわたってジャン・ヴァルジャンの影を追い続けることになるジャヴェルは、実はジャンと同類項だったのかもしれません。ジャンはミリエル司教と運命的な出会いをしましたが、ジャヴェルにはそんな出会いがなかっただけなのかもしれません。ユゴーはそんな二人を時には近く、時には遠くにおいて交錯させ、最後は対照的な二人の死までを描いていくのです。

さて、ここでは一つの有名なエピソードも描かれています。荷馬車の下敷きとなった「フォーシュルヴァンじいさん」をマドレーヌ市長が助ける話です。助けを求めるフォーシュルヴァンじいさんを前に、ジャヴェルはマドレーヌに言い放つ。「起重機の代わりをつとめる者はただ一人きり私は知りません。あの囚人です」と。マドレーヌは、「一言も発しないで、膝を屈(かが)」め、人々があッと叫ぶ間もなく車の下にはいってしまった」。──かくして命を救われたフォーシュルヴァンじいさんは、その後、パリの修道院の庭番として雇われることになりますが、そこでジャンと偶然の再会をすることになります。

ファンティーヌに話を戻しましょう。マドレーヌの工場に働き口を見つけた彼女は、テナルディエにせっせと送金を続けていましたが、そのことが悪い噂を呼び、ファンティーヌにいわれのない敵意を持った「ヴィクチュルニヤン夫人」の告げ口によって、突如解雇されてしまうのです。ファンティーヌは途方にくれました。ようやくありついた縫い物の仕事ではテナルディエへの送金はおろか、生活さえままなりません。彼女は、髪を切って売り、「前歯2枚」さえ売って金を作るしかありませんでした。彼女はみじめな自分の姿を見なくてすむよう鏡を窓から投げ捨てます。

「いいわ!」と彼女は言った。「身に残ってる一つのものを売ることにしよう。」
不幸な彼女は売笑婦となった。


街角でからかってきた男に対して暴行を働いたかどでジャヴェルのもとに引き出されたファンティーヌは、6ヶ月の禁固を言い渡されます。半狂乱になるファンティーヌ。そこに現れた男がマドレーヌ市長だと知ると、彼の顔に唾をはきかけるファンティーヌ。彼女にとって、自分を解雇した市長こそがすべての元凶だったのです。ところがマドレーヌは、彼女を釈放するようにジャヴェルに求めるのです。悪いのはからかってきた男の方だと。火花が散るような二人のやりとりののち、市長の厳然とした態度に気圧されたかのように、ジャヴェルは退出していきます。

ファンティーヌは、そのあとマドレーヌ市長が言った言葉を信じられない思いで聞きます。あなたを解雇したことを私は何も知らなかった。あなたの借金を払ってあげよう、子どもも呼んであげよう、あなたは再び仕合わせになるのです…。

あなたは決して堕落したのでもなければ、また神様の前に対して汚れた身になったのでもありません。まことに気の毒な方です!

第五編は物語全体の中でも、大きなポイントとなる部分だと思います。そのタイトルが「下降」となっているのは、どうしてなのでしょうか。ジャンの人生のうち、「社会的名声」を得た時期という点ではこの「マドレーヌ市長」時代をおいてほかにありません。その意味で、ここを頂点として、これ以後「下降」が始まるという意味なのかもしれません。

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