カクレマショウ

やっぴBLOG

「教育再生」はゆとり教育の否定から始まるのか?

2007-01-27 | ■教育
教育再生会議第一次報告「社会総がかりで教育再生を ~公教育再生への第一歩~」が1月24日付けで発表されました。

大人のやる気を見せよう、という問いかけには大賛成です。「社会総がかりで」というのは、学校あるいは学校の先生だけに子どもたちの教育を任せるのではなく、親も地域の人も企業も、すべての大人が子どもたちに関わっていこうということです。

そのために、地域のコーディネーターとなるべきなのが社会教育だと思うのですが、今回の報告ではまだ社会教育にまで踏み込んだ内容とはなっていません。第一次報告は、主として初等中等教育に内容をしぼっています。

なかでも注目されるのは、「脱・ゆとり教育」を、政府の有識者会議として初めて打ち出したという点です。「ゆとり」なんかやめて、公教育の中でちゃんと学力が向上するようにする。そのために、授業時数を1割増やし、「基本的教科」(国語、英語、算数・数学、理科、社会・歴史等)をしっかり教える。全国学力調査を継続的に実施して「結果の不振な学校」にはきちんと手当てする。少人数指導や習熟度別指導によって、伸びる子は伸ばし、そうでない子にも丁寧にきめ細かな指導を行う。

しかし、今回の報告には、そもそもなぜ「ゆとり教育」が「ダメ」だったのかということには一言も触れられていません。いきなり、「ゆとり教育」をやめてこれからは子どもたちをちゃんと(?)勉強させます、では説得力がありません。順序として、「ゆとり教育」がどういう弊害をもたらしたのかをきちんと検証し、ゆとり教育のせいで学力が低下したのであればそれはなぜなのか、本当に「ゆとり教育」は失敗だったのかということを示してくれなければ、一番戸惑うのは現場の先生かもしれません。

というより、「ゆとり教育」と「基礎学力の向上」って、そもそも相反するものなのでしょうか? 「ゆとり」をもった学校教育の中で必要な学力もキチンとつけますよ、という教育はありえないのでしょうか? いや、フィンランドの教育制度あたりをみると、もちろん国の規模が違うとはいえ、そんな仕組みもできるのではないでしょうか。

現に、この報告では、「すべての子どもに規範を教え、社会人としての基本を徹底する」という提言もあります。「規範」はもちろん学校だけで教えるものではなく、家庭や地域社会の役割も重要だと言っています。また、愛や友情、正義感などを育むために、「体験活動の充実」にも改めて触れています。こういうのはまさに「ゆとり教育」の中でこそ育まれるものです。

「ゆとり教育」だって、本来の基礎基本をおろそかにしてまで体験活動や「教科以外の学習活動」(つまり「総合的な学習の時間」)をやれと言っていたわけではありません。ただ、学習内容を大幅に削ったことが、批判のやり玉に挙げられることが多かった。「ゆとり教育」の「弊害」をあえて挙げろと言われれば、その点だけだと思います。

「ゆとり教育」は数年後には「そんなのもあったような…」という感じで片付けられてしまうだけのものなのでしょうか? ゆとり教育を全否定しながら、一方では規範や体験活動、社会人としての基本の徹底を叫ぶ今回の報告は、なんだか根本において「矛盾」しているような気がします。


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