カクレマショウ

やっぴBLOG

「公的」には取り消したとしても…

2007-02-02 | ■社会/政治
昔からとても違和感を感じていたのが、「今言ったこと取り消してー」という言葉。

一度言ってしまったことを「取り消す」とはどういうことなのか。子どもの頃、大人たちが使うこの言い方が不思議でたまりませんでした。言ってしまったことは言ってしまったこと、聞いてしまったことは聞いてしまったことなんだから、いくら取り消しても言った方も聞いた方も心には残っているわけですよね。それは絶対に消すことができない。

大人というものは、「いったん聞いたこと」も「聞かなかったこと」にできるんだ!ということに気がついたのはいつ頃のことだったでしょうか。言わなかったこと、聞かなかったことにして、心の奥のどこかにしまい込んで、表面上は何事もなかったかのようにつきあっていけるのが大人なんだな…。

それは、特に「公式」の場で使われる離れ業でもあります。たしかに、公的な発言のうち、「取り消」された言葉は記録上は残らない。でも、だからといって、言ったこと・聞いたことの「記憶」が消えるわけではありません。人々の心には、不信、疑惑、嫌悪、そんな感情のしこりだけが残ります。

今回の柳沢厚労相の「女性は産む機械」発言に対する多くの国民の反応も、それと同じです。結局、いくら取り消しても、謝罪しても、いったん言ってしまったことを記憶から消し去ることはできないのです。

それにしても、この発言。「時代錯誤」的な発言と断ずる人も多い。朝日新聞の天声人語子は、マリー・アントワネットが子どもを産むことを期待されていたことを引き合いに出して、「…アントワネットが断頭台に消えて200余年がたつ。女性を「産む機械」と見るような時代は去ったはず」とその「時代錯誤」を批判しています(2007年2月1日付け)が、実はそんな時代は決して「去って」はいないのかもしれません。何百年たとうが、まるでDNAにこびりついたシミのように、私たちの心や体から完全に消し去ることはできないのかもしれません。言葉にこそ出さなくても、柳沢発言に心の中でうなずいた男性も決して少なくないと思うのですが…。

むしろ、いろんなコメントの中で、天野祐吉さんが「政治家」の発言としてとらえているのが面白いと思いました。「ひとたび政治家の目になれば、人を人として見られなくなる。偉くなればなるほどふつうの言葉が話せなくなる。ふつうの物の見方を失っていく。政治家や官僚は、独特の文法やボキャブラリーを使っているうちに、頭の中までそうなってしまう」…。

ほんと、その「言葉」が大変な重みを持つ政治家こそ、言葉の使い方には責任を持ってもらわないと困りますね。内閣から2人も辞任することになるのはみっともないなんていう妙な体裁は捨てて、ここは政治家が放つ言葉の重みと責任を示してほしいものです。記憶を消すことはできないのですから。

 

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