
一見、厳しいおっさんがとんでもないことを言っている、ように見えて、実はよく読むと、いたって正論である。こういう類の本は、林道義氏の『父性の復権』、『母性の復権』(いずれも中公新書)以来のような気がします。
この本は、いたるところ騒音だらけの日本社会に果敢に挑む一人の大学教授の物語です。単行本での初版は1996年と相当前ですが、このたびようやく読むことができました。
彼、中島氏の「闘争」にはホントに恐れ入る。バスや電車といった公共の乗物、デパートや駅の構内、海水浴場、観光地といった公共の場所で、彼は耳障りで不必要と思われる音、つまり音楽(BGM)、マイクでの呼びかけや注意、録音テープによる解説といった「雑音」に、徹底して文句をつけ、抗議し、議論する。この本では、「1 言葉の氾濫と空転」、「2 機械音地獄」、「3 轟音を浴びる人々の群れ」の前半3章で、激しくも悲しい「闘争記」がつづられます。
私も、「うるさい日本」には割と敏感に反応する方だと思っていました。たとえば、東北新幹線の車内放送。次の停車駅を告げる録音テープ(その前にその駅ゆかりのメロディが流れる)が聞こえ、そのあと同じ内容で今度は車掌のアナウンスが入る。なぜ同じ内容を2回も流す必要があるのか。車掌が告げるなら録音テープはいらないのではないのか?とずっと思っていました。
それから、混雑する美術館などでの整列アナウンスも、うるさいと感じたことが二度や三度ではないでしょう。みんな長いこと並んでいるのに、何度も同じことを言わなくてもいいのではないかと。もっとも、それは待ち時間の長さにイライラしているという精神状態が多分に影響していたと思われます。もちろん、うるさいと感じたところで、ハンドマイクを持ったお兄さんに面と向かってうるさいからやめてくれなんてとても言えないし、ましてや、責任者を呼びつけて抗議するなんてことは面倒くさくてとてもできたものではありません。
そこいくと、中島氏の手法は徹底しています。とにかく、「うるさい」と感じたら、面と向かって「騒音」の元凶に抗議するだけでなく、責任者や係員のところに乗り込んで筋道立てて抗議する。議論をふっかける。その反応についても冷静に分析しているところが最高に面白い。
面白いと言えば、同じところに何度も抗議しているうちに、「情が移って」しまって、強く抗議できなくなってしまうと告白しているあたりも面白い。「気分が乗らない」時、あるいは「疲れ果てている」時は、抗議しなかった、と打ち明けているところもなかなかかわいげがあるのです(失礼!)。
彼の「正論」を1つだけ紹介しておきましょう。JR新橋駅で「足もとにご注意ください」というテープ音がひっきりなしに入ることに対する抗議です。駅助役は、「新橋駅は酔っぱらいが多くて、毎月何十人もホームから線路に転落しているのだ。そのたびに駅員にかかる負担が大きい云々」という「言い訳」をする。それに対する反論はこんな感じです。
「…しかし、多くの人は酒に酔っても線路に落ちないのです。落ちた人には、むしろ酷になるかもしれないが、当人の不注意をきびしく問いただしていいのではないですか。そういう傲慢な人に「合わせる」ことが、結局は彼らの傲慢さ、怠惰さ、無責任さを助長することになるのですよ。まわりまわって、「放送されなかったから転落した」「言われなかったから忘れ物をした」「注意されなかったから、盗まれた」という馬鹿げた訴えをする人間のはびこる幼稚園国家にしてしまうのですよ。」
中嶋氏は、もちろん、多くの人がこうした「放送による注意の喚起」をうるさいとは思っていないこともよく知っています。むしろ、「管理してくれること」を期待しているのだと言います。それは、「管理する側」にとっても都合のいい話で、放送で注意を促していたという「事実」さえあれば、責任逃れもできるというわけです。こうした「自己防御の姿勢」と客側の自主管理能力のなさが「見事に呼応して」、中嶋氏にとってはまさに「絶望的」な状況を作っている。確かに、そうした呼応関係が成り立っている限り、いくら抗議しても、いくら「正論」を主張しても、根本的には何も変わらないでしょうね。
挙げ句の果ては、「騒音」にあえて抗議する側が、「お前の方こそうるさい」と言われる始末。それを中嶋氏は、「この国の「善良な市民」は公的な権力の発する「音」にはきわめて寛容であるが、私人が発する「音」にはきわめて不寛容なのだ」と分析しています。その証拠に、車内放送には寛容な人たちも、他人の使う携帯電話の声はうるさいと感じる。で、携帯を使わないようにもっと厳しく車内放送で言ってくれ、という要求さえ出てくる。なるほど。中嶋氏でなくても、「やれやれ」という感じですね。
さて、機関銃のように次々と紹介される「闘争記」でこの本が終わるワケではありません。後半の2章「4 「優しさ」という名の暴力」、「5 「察する美学」から「語る」美学へ」で、中嶋氏は、この騒音にまみれた日本社会の原因を探り出していきます。それは次回に触れます。
『うるさい日本の私』≫Amazon.co.jp
この本は、いたるところ騒音だらけの日本社会に果敢に挑む一人の大学教授の物語です。単行本での初版は1996年と相当前ですが、このたびようやく読むことができました。
彼、中島氏の「闘争」にはホントに恐れ入る。バスや電車といった公共の乗物、デパートや駅の構内、海水浴場、観光地といった公共の場所で、彼は耳障りで不必要と思われる音、つまり音楽(BGM)、マイクでの呼びかけや注意、録音テープによる解説といった「雑音」に、徹底して文句をつけ、抗議し、議論する。この本では、「1 言葉の氾濫と空転」、「2 機械音地獄」、「3 轟音を浴びる人々の群れ」の前半3章で、激しくも悲しい「闘争記」がつづられます。
私も、「うるさい日本」には割と敏感に反応する方だと思っていました。たとえば、東北新幹線の車内放送。次の停車駅を告げる録音テープ(その前にその駅ゆかりのメロディが流れる)が聞こえ、そのあと同じ内容で今度は車掌のアナウンスが入る。なぜ同じ内容を2回も流す必要があるのか。車掌が告げるなら録音テープはいらないのではないのか?とずっと思っていました。
それから、混雑する美術館などでの整列アナウンスも、うるさいと感じたことが二度や三度ではないでしょう。みんな長いこと並んでいるのに、何度も同じことを言わなくてもいいのではないかと。もっとも、それは待ち時間の長さにイライラしているという精神状態が多分に影響していたと思われます。もちろん、うるさいと感じたところで、ハンドマイクを持ったお兄さんに面と向かってうるさいからやめてくれなんてとても言えないし、ましてや、責任者を呼びつけて抗議するなんてことは面倒くさくてとてもできたものではありません。
そこいくと、中島氏の手法は徹底しています。とにかく、「うるさい」と感じたら、面と向かって「騒音」の元凶に抗議するだけでなく、責任者や係員のところに乗り込んで筋道立てて抗議する。議論をふっかける。その反応についても冷静に分析しているところが最高に面白い。
面白いと言えば、同じところに何度も抗議しているうちに、「情が移って」しまって、強く抗議できなくなってしまうと告白しているあたりも面白い。「気分が乗らない」時、あるいは「疲れ果てている」時は、抗議しなかった、と打ち明けているところもなかなかかわいげがあるのです(失礼!)。
彼の「正論」を1つだけ紹介しておきましょう。JR新橋駅で「足もとにご注意ください」というテープ音がひっきりなしに入ることに対する抗議です。駅助役は、「新橋駅は酔っぱらいが多くて、毎月何十人もホームから線路に転落しているのだ。そのたびに駅員にかかる負担が大きい云々」という「言い訳」をする。それに対する反論はこんな感じです。
「…しかし、多くの人は酒に酔っても線路に落ちないのです。落ちた人には、むしろ酷になるかもしれないが、当人の不注意をきびしく問いただしていいのではないですか。そういう傲慢な人に「合わせる」ことが、結局は彼らの傲慢さ、怠惰さ、無責任さを助長することになるのですよ。まわりまわって、「放送されなかったから転落した」「言われなかったから忘れ物をした」「注意されなかったから、盗まれた」という馬鹿げた訴えをする人間のはびこる幼稚園国家にしてしまうのですよ。」
中嶋氏は、もちろん、多くの人がこうした「放送による注意の喚起」をうるさいとは思っていないこともよく知っています。むしろ、「管理してくれること」を期待しているのだと言います。それは、「管理する側」にとっても都合のいい話で、放送で注意を促していたという「事実」さえあれば、責任逃れもできるというわけです。こうした「自己防御の姿勢」と客側の自主管理能力のなさが「見事に呼応して」、中嶋氏にとってはまさに「絶望的」な状況を作っている。確かに、そうした呼応関係が成り立っている限り、いくら抗議しても、いくら「正論」を主張しても、根本的には何も変わらないでしょうね。
挙げ句の果ては、「騒音」にあえて抗議する側が、「お前の方こそうるさい」と言われる始末。それを中嶋氏は、「この国の「善良な市民」は公的な権力の発する「音」にはきわめて寛容であるが、私人が発する「音」にはきわめて不寛容なのだ」と分析しています。その証拠に、車内放送には寛容な人たちも、他人の使う携帯電話の声はうるさいと感じる。で、携帯を使わないようにもっと厳しく車内放送で言ってくれ、という要求さえ出てくる。なるほど。中嶋氏でなくても、「やれやれ」という感じですね。
さて、機関銃のように次々と紹介される「闘争記」でこの本が終わるワケではありません。後半の2章「4 「優しさ」という名の暴力」、「5 「察する美学」から「語る」美学へ」で、中嶋氏は、この騒音にまみれた日本社会の原因を探り出していきます。それは次回に触れます。
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