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『錦繍』(宮本輝)─「手紙」で伝えたいこと

2011-03-01 | ■本
手紙形式の小説といえば、私にとっては井上ひさしの『十二人の手紙』です。高校時代に読んでからというものの、何度も読み返し、ことあるごとに人にも勧めてきました。この本の中に「人生のすべて」がある!と思ったものでした。正確には、「十二人」ではなく、数多くの手紙や公式書類で構成される「十二個」の物語。で、最後の1編で、それまでの11の物語に出てきた手紙の書き手がすべて登場するという巧みさにも、参った!って感じです。全く、井上ひさしという人はすごい才能の持ち主でしたね。

そして、この『錦繍(きんしゅう)』もまた手紙形式の珠玉の一編として、私の心に深く刻まれることになりそうです。『十二人の手紙』の「手紙」の書き手は様々ですが、こちらは元夫婦の二人の男女の間に交わされる14通の手紙で構成されています。離婚してから10年後。別れるきっかけとなったある「事件」について、そして、その後の10年間の二人の人生が、手紙という形で丹念に美しく語られていきます。

前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした。私は驚きのあまり、ドッコ沼の降り口に辿り着くまでの二十分間、言葉を忘れてしまったような状態になったくらいでございます。

元・妻のこんな書き出しの手紙から物語は始まる。「あなた」という呼びかけ方。二人の「再会」が偶然だったらしいこと。しかし、「二十分間」も呆然とするほど、この女性にとっては、単なる偶然の邂逅に驚いただけではない何か深い思いがあるのではないかということ。書き出しのほんの数行で、いろいろなことが頭をよぎります。

手紙って、ほとんどの場合、たった一人の相手に対して綴られるものだから、送る人、もらう人の二人の当事者にしか読むことはできないものです。だから、実際にやりとりされた「書簡集」というのはちょっと覗き趣味的な面白さが味わえるもの。書いた人も読む人も、その手紙が「公開」されることを前提として書いたり読んだりしているわけじゃないので。この場合はあくまでも「小説」であり、作為性があるとわかっていても、それでも人の手紙を盗み見るというタブーを犯しているような後ろめたさを、読んでいる間ずっと感じていました。そんな、なんとなく落ち着かない気分は、「男」のほうの生き方のアヤうさや「女」のほうのはかなさ・頼りなさによるものだろうと思っていたのですが、読み終わってからそんなことに気づきました。そういう点では『十二人の手紙』とは同じ手紙形式でもずいぶん違うのかもしれない。

この小説が書かれたのは、今からおよそ30年前の1982年。ちなみに『十二人の手紙』はもっと古くて1978年。まだ携帯電話の「け」の字もメールの「メ」の字もない時代ですね。会って直接伝えることができない時、あるいは電話も使いにくい状況の時、私たちは手紙で伝えるしかなかった。ワープロもパソコンもなかったから、もちろん手書きしかなかった。私にとっては、相手がどんな「字」を書くのかというのは、とても重要なポイントでした(…どんなポイントだ(^_^;))。手紙をやりとりした人を思い出すと、「字」も一緒に思い出されたりします。あるいは、相手の顔は忘れても、字だけは妙に覚えていたりもする。それも不思議な感覚です。それほど手紙には「手書き」という底知れぬパワーがあった…。

『錦繍』の二人がどんな「字」を書いていたかは、もちろん知る由もありませんが、それを想像して読むのも一興。そういえば、こんなくだりがありました。男のほうの手紙です。

前略 いつもは達筆なあなたの字が、細かく震えて、最後に行くに従って奇妙に崩れたり歪んだりしているのを見て、私は長い間足を向けなかった駅裏の安酒場のカウンターに坐り、閉店の時間までひとりで酒を飲みつづけました。

相手の「字」の変化を見て心が激しく揺さぶられる、なんて、手紙じゃなきゃ無理な芸当ですよね。

いずれにしても、今では会って話すことができないこの二人は、手紙という媒体で、過去と今の自分についてお互いに伝え合う。そういう状況だけでも、既にノスタルジーの世界。たまにはそんな世界に浸るのもいい。

宮本輝という作家も、偉大なるストーリーテラーの一人ですね。この手紙形式の小説の中でも、劇中劇のような形で登場する「祖母」の物語が非常に印象深い。戦争に駆り出された4人の息子を相次いで失った「祖母」。でも、彼女は、死んだ息子のうち3人にはいつかどこかでまた会えると信じていた。でも、どうして「3人」なのか。

祖母は、自殺した賢介という息子とだけは、決して逢えないと思っていたのだ。なぜなら祖母は、賢介は自分で自分の命を絶ったのだから、二度と人間に生まれて来ることはないと信じていたからだ。

このくだりは、「男」の手紙の中で、今一緒に暮らしている「令子」の話として語られるのですが、「男」はなぜこの話を「女」に伝えたのか。そのあたりがこの小説の底辺にねっとりと流れる「生と死」のテーマにつながってくるのではないでしょうか。

やっぱり「手紙」でしか、自分の「字」でしか伝えられないこともある。そういうことを大事にしていきたいと思う。

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