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『症例A』(多島斗志之)その1

2004-11-02 | └多島斗志夫 『症例A』
私にとって、上野駅構内にある明正堂書店の店員による推薦本にはまずハズレがないと言えます。貫井徳郎の『慟哭』などはその典型。

先日、金沢からの帰りに久々に立ち寄ることができたので、平積みされた1冊の文庫本を迷わず買いました。多島斗志之の『症例A』という作品です。たぶん、オススメ本でなければレジまで持って行くことのないと思われる内容。なにしろ、「あらすじ」を読むと、精神病院を舞台としたいかにも重そうな物語ですから。

とある精神病院に赴任した榊医師は、17歳の入院患者亜左美と出会うところから物語が始まります。「精神病」と一口に言っても、もちろんその症状やつけられる病名は多様です。精神科医・榊に課せられたのは、亜左美が見せる症状を観察し、まずはその病名を明らかにすることでした。それによって施すべき治療も決まってくるからです。精神分裂病(今で言う「統合失調症」)なのか、「境界性人格障害」なのか、それとも…?

私たち素人には、もちろんその区別はつきません。そして区別と言えば、「精神分析」と「精神医学」との違いすら、恥ずかしながらこの小説を読んで初めて合点がいきました。精神科医である榊が、「精神分析」はセラピストの勝手な「解釈」でしかなく、客観的な根拠がないとしてかたくなに拒む理由についても。

要するに、精神病を「心の病気」ととらえるか、「脳の病気」ととらえるかということの違いなのかなとも思いました。もっとも、人間の「心」と「脳」を切り離してとらえることは不可能なのかもしれませんが。

後半部分であからさまに描かれる「解離性同一性障害」(いわゆる「多重人格」)の「異世界」にも思わず引きつけられるものがありました。同じ人間の「中」にいろんな人格が存在し、それらが「外」に出たり入ったりする。その姿自体は、かつて、本や映像でも目にしたことがあります。

私がもっとも驚いたのは、「彼ら」がお互いにそれぞれの人格を認識し合い、憎しみや共感の感情を持っていたり、さらには「彼ら」全体を見守る人格さえ存在するということ。あるいは、「基本人格」つまり本来の自分とは違う人格をあえて通常の人格として「外」に出して生きていくということ─。そんなことが本当にありうるのでしょうか。

人間の「脳」や「心」の深淵をのぞき込むような、得体の知れない恐怖感を感じました。

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