「大分事件」を機に、「議員の口利き」の事例が他県でも明らかになっています。支持者や知り合いから、採用をめぐる「口利き」を頼まれて「口を利いてやる」、合否を正式な発表前に教えてもらうなど、モラルに欠けた議員が何人もいた。
読売新聞が全国の都道府県議計100人に取材した結果、少なくとも22都道県の議員がそのような事実を認めたと言います(2008年7月30日付け読売新聞)。彼らの回答を読むと、げんなりしてしまうものばかり。
・市長村議と違って、県議にはガードレールを作ったなどの目に見える成果がない。断ると「あいつは何もやってくれない」となる。
・「優秀なのでよろしく頼みます」と推薦する。不合格の場合も多く、「ダメでした」と支持者に伝えるたびに票が減ったなと感じる。
・同僚議員と口利きをした人が何勝何敗だったかを言い合うことがあるが、全勝だった議員はいない。合否への影響はないのではないか。
当たり前のように(たぶん)そんなことを語る議員たち。いったい、議員の役割を何と心得ているのか。口利きで票がもらいたいなら、もっと大っぴらに、「口利き専門議員」にでもなればいい。困ったことがあれば何でも口を利いてあげますよ…。その代わり、選挙の時はよろしく。
もちろん、そういう議員にたかる市民の側にも問題があることは言うまでもありません。詰まるところ、自分さえよければいいという体質が、こういう「たかり風土」を育むのですね。これでは「住民と行政の協働」などあり得ない。議員は住民の代表として、つまり、「公」の代表として議会で発言し、行政を動かしていくべき存在のはずであり、まさに「協働」の橋渡しをするのが一番の役割ではないのか。
そんな「きれいごと」ばかり言っていても…とか、杓子定規ばかりじゃ世の中回らない…とか言う人は必ずいますが、「きれいごと」を叫んでいかなければ子どもたちに示しがつかないし、杓子や定規できちっと測ってみせることも時には大切です。「きれいごとじゃないこと」をこそこそやっているくせに、いったん明るみに出ると、とたんに開き直る態度にも見識を疑ってしまう。
もちろん、権力を笠に着た口利きには一切関わることなく、住民目線で仕事をしている議員もいるでしょう。目立たないかもしれませんが、そういうところを住民はちゃんと見ているということ、そして、そういう住民が確実に増えているということを、「口利き議員」はもっと認識するべきです。
読売新聞が全国の都道府県議計100人に取材した結果、少なくとも22都道県の議員がそのような事実を認めたと言います(2008年7月30日付け読売新聞)。彼らの回答を読むと、げんなりしてしまうものばかり。
・市長村議と違って、県議にはガードレールを作ったなどの目に見える成果がない。断ると「あいつは何もやってくれない」となる。
・「優秀なのでよろしく頼みます」と推薦する。不合格の場合も多く、「ダメでした」と支持者に伝えるたびに票が減ったなと感じる。
・同僚議員と口利きをした人が何勝何敗だったかを言い合うことがあるが、全勝だった議員はいない。合否への影響はないのではないか。
当たり前のように(たぶん)そんなことを語る議員たち。いったい、議員の役割を何と心得ているのか。口利きで票がもらいたいなら、もっと大っぴらに、「口利き専門議員」にでもなればいい。困ったことがあれば何でも口を利いてあげますよ…。その代わり、選挙の時はよろしく。
もちろん、そういう議員にたかる市民の側にも問題があることは言うまでもありません。詰まるところ、自分さえよければいいという体質が、こういう「たかり風土」を育むのですね。これでは「住民と行政の協働」などあり得ない。議員は住民の代表として、つまり、「公」の代表として議会で発言し、行政を動かしていくべき存在のはずであり、まさに「協働」の橋渡しをするのが一番の役割ではないのか。
そんな「きれいごと」ばかり言っていても…とか、杓子定規ばかりじゃ世の中回らない…とか言う人は必ずいますが、「きれいごと」を叫んでいかなければ子どもたちに示しがつかないし、杓子や定規できちっと測ってみせることも時には大切です。「きれいごとじゃないこと」をこそこそやっているくせに、いったん明るみに出ると、とたんに開き直る態度にも見識を疑ってしまう。
もちろん、権力を笠に着た口利きには一切関わることなく、住民目線で仕事をしている議員もいるでしょう。目立たないかもしれませんが、そういうところを住民はちゃんと見ているということ、そして、そういう住民が確実に増えているということを、「口利き議員」はもっと認識するべきです。
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