
AMORES PERROS
1999年/メキシコ/153分
監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
製作:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
脚本:ギジェルモ・アリアガ・ホルダン
撮影:ロドリゴ・プリエト
音楽:グスターボ・サンタオラヤ
出演:エミリオ・エチェバリア/エル・チーボ ガエル・ガルシア・ベルナル/オクタビオ
ゴヤ・トレド/バレリア アルバロ・ゲレロ/ダニエル バネッサ・バウチェ/スサナ
「バベル」、「21グラム」のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。彼が母国メキシコを舞台に、交錯するいくつかの物語を巧みに紡いで見せてくれます。その紡ぎ方が、絶妙。2時間半以上の長い映画ですが、それぞれの物語がどこで交錯するのかという点ももちろん見逃せないのですが、同時に、登場人物たちの行く末から終始興味が放せないのです。暗くてざらついた映像とアップを多用したショットの積み重ね。「何か」が起こりそうで、案外何も起こらなかったりするのですが、そのあたりの緊張感が何ともいえず、一気に見せてくれる映画です。
登場する多くの犬たち。こんなに犬だらけなことに気づいて、「アモーレ」ってスペイン語で「愛」だけど、「ペロス」ってもしかして「犬」なのかな?と思っていましたが、見終わった後に調べてみたら、確かにタイトルの意味は「犬のような愛」でした。「犬のような愛」って? いったい何だろう?…
では、「登場犬」の立場でこの物語を見てみましょう。
オレは黒犬のコフィ。ご主人様は、ラミロとオクタビオという兄弟さ。兄のラミロはスーパーに務めているけど、陰で仲間と強盗を繰り返している。妻のスサナのおなかには二人目の子どももいる。弟のオクタビオは、まだ学生でもあるスサナを好きらしい。かなわぬ恋なのに。
街では闘犬場があって、オレたちの仲間が闘わされている。ある日、オクタビオはオレが強い犬だということを知って、闘犬で一稼ぎする。儲けた金は兄に内緒でスサナに渡し、いつか二人でこの家を出ようと誘う。最初は拒んでいたスサナもだんだんその気になってついに二人は結ばれてしまう。オレもがんばった。街の不良のボス、ハロチョの連れてくる犬にも連戦連勝、金はどんどん貯まっていった。クルマも買い、計画は順調に進んでいるように思えた矢先、ある事件が起こる。
ハロチョが、彼の犬と闘っているさなか、いきなり銃を取り出してオレを撃ってきたんだ。腹の虫が収まらないオクタビオはハロチョをナイフで刺す。瀕死のオレを車に乗せて逃げるオクタビオ。追っ手ををかわしたと思ったとたん、交差点で別の車に激突…。
その時、もう1台の車に乗っていたのが、あたし、リッチー。あたしの飼い主は、スペインの売れっ子モデルのバレリアよ。バレリアは、妻子ある演出家のダニエルとようやく二人の生活を始めたばかり。新居で祝杯をあげるためにシャンパンを買いに外に出て惨劇に遭ったの。あたしは無傷だったけど、バレリアは重傷を負って病院に担ぎ込まれたわ。
車いすでマンションに戻ったものの、元の体に戻るまでまだまだ時間はかかる。ダニエルが支えてくれるとはいうものの、彼女はモデルの仕事に戻れるか不安を募らせていたみたい。ある日、あたしは、バレリアと遊んでいるうち、床下に迷い込んでしまったの。バレリアとダニエルは懸命にあたしを探してくれたんだけど…。
ボクたちは、浮浪生活を送るエル・チーボに飼われているんだ。彼はかつて大学教授だったが、政治運動のために家族を捨て、逮捕されて服役。今は浮浪者に身をやつしながら、自分を逮捕した元刑事の斡旋で殺し屋稼業をして暮らしている。彼には自分が死んだと思われている娘がいた。エル・チーボもまた社会の裏でひっそりと生きる男。彼の唯一の慰めは、廃墟に一緒に住むボクたちだったんだ。
ある日、彼が新しい犬を連れて帰ってきたんだ。黒犬で、怪我をしているらしい。なんでも、交通事故に遭った車に乗っていたみたいで、事故処理のドサクサに紛れて、彼が拾って連れ帰ったんだって。エル・チーボの必死の介抱で、傷も癒え、黒犬はどんどん元気になっていった。ところが、彼が新しい依頼を受けて外出している時、突然、黒犬がボクたちに襲いかかってきたんだ。そう、彼は「闘う犬」だったんだ。帰ってきたエル・チーボは、噛み殺されたボクたちを見て唖然とし、次の瞬間、怒りのあまり黒犬に銃を向けていた。
でも、彼には撃てなかった。黒犬を闘犬に仕立て上げたのは人間なんだ。悪いのは、犬じゃない…。
「犬のような愛」って、「愚かな愛」ってことなのでしょうか。でも、この映画を見ていると、犬の方がよっぽど「賢い愛」を知っているような気がしてきます。エル・チーボが黒犬の目を見たとたんに、撃てなくなってしまったように、そして、彼の中で何かが変わったように、犬が人生を変えることだってある。
どうしようもない愚かな人間の多い中、エル・チーボは唯一マトモっぽい行動をとります。殺しの依頼を受けて、ある男を隠れ家に拉致するのですが、依頼してきた男が彼の義弟だということを知って、依頼人の方も連れてきて二人を置き去りにする。よく話し合え、と言い残して。もっとも、憎しみ合う二人は、彼が去った後、罵り合いながら、真ん中に置かれた銃の取り合いを始める。どこまでも愚かしい人間の性ですな。
しかし、そんな粋な計らいができるエル・チーボもまた、その直後に娘の家に忍び込んで、留守番電話に「お父さんだよ」と伝言を残すという「異常な」行為をとるわけです。
彼にとってはそれは新たな旅立ちのしるしだったのかもしれませんが、新たな旅立ちと言っても、彼が向かう先はやっぱり荒廃した街なのです。荒廃した街は、どこまで歩いても救いようがない。やっぱり彼を救えるのは、そばに寄り添う黒犬だけなのか。
「アモーレス・ペロス」≫Amazon.co.jp
1999年/メキシコ/153分
監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
製作:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
脚本:ギジェルモ・アリアガ・ホルダン
撮影:ロドリゴ・プリエト
音楽:グスターボ・サンタオラヤ
出演:エミリオ・エチェバリア/エル・チーボ ガエル・ガルシア・ベルナル/オクタビオ
ゴヤ・トレド/バレリア アルバロ・ゲレロ/ダニエル バネッサ・バウチェ/スサナ
「バベル」、「21グラム」のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。彼が母国メキシコを舞台に、交錯するいくつかの物語を巧みに紡いで見せてくれます。その紡ぎ方が、絶妙。2時間半以上の長い映画ですが、それぞれの物語がどこで交錯するのかという点ももちろん見逃せないのですが、同時に、登場人物たちの行く末から終始興味が放せないのです。暗くてざらついた映像とアップを多用したショットの積み重ね。「何か」が起こりそうで、案外何も起こらなかったりするのですが、そのあたりの緊張感が何ともいえず、一気に見せてくれる映画です。
登場する多くの犬たち。こんなに犬だらけなことに気づいて、「アモーレ」ってスペイン語で「愛」だけど、「ペロス」ってもしかして「犬」なのかな?と思っていましたが、見終わった後に調べてみたら、確かにタイトルの意味は「犬のような愛」でした。「犬のような愛」って? いったい何だろう?…
では、「登場犬」の立場でこの物語を見てみましょう。
オレは黒犬のコフィ。ご主人様は、ラミロとオクタビオという兄弟さ。兄のラミロはスーパーに務めているけど、陰で仲間と強盗を繰り返している。妻のスサナのおなかには二人目の子どももいる。弟のオクタビオは、まだ学生でもあるスサナを好きらしい。かなわぬ恋なのに。
街では闘犬場があって、オレたちの仲間が闘わされている。ある日、オクタビオはオレが強い犬だということを知って、闘犬で一稼ぎする。儲けた金は兄に内緒でスサナに渡し、いつか二人でこの家を出ようと誘う。最初は拒んでいたスサナもだんだんその気になってついに二人は結ばれてしまう。オレもがんばった。街の不良のボス、ハロチョの連れてくる犬にも連戦連勝、金はどんどん貯まっていった。クルマも買い、計画は順調に進んでいるように思えた矢先、ある事件が起こる。
ハロチョが、彼の犬と闘っているさなか、いきなり銃を取り出してオレを撃ってきたんだ。腹の虫が収まらないオクタビオはハロチョをナイフで刺す。瀕死のオレを車に乗せて逃げるオクタビオ。追っ手ををかわしたと思ったとたん、交差点で別の車に激突…。
その時、もう1台の車に乗っていたのが、あたし、リッチー。あたしの飼い主は、スペインの売れっ子モデルのバレリアよ。バレリアは、妻子ある演出家のダニエルとようやく二人の生活を始めたばかり。新居で祝杯をあげるためにシャンパンを買いに外に出て惨劇に遭ったの。あたしは無傷だったけど、バレリアは重傷を負って病院に担ぎ込まれたわ。
車いすでマンションに戻ったものの、元の体に戻るまでまだまだ時間はかかる。ダニエルが支えてくれるとはいうものの、彼女はモデルの仕事に戻れるか不安を募らせていたみたい。ある日、あたしは、バレリアと遊んでいるうち、床下に迷い込んでしまったの。バレリアとダニエルは懸命にあたしを探してくれたんだけど…。
ボクたちは、浮浪生活を送るエル・チーボに飼われているんだ。彼はかつて大学教授だったが、政治運動のために家族を捨て、逮捕されて服役。今は浮浪者に身をやつしながら、自分を逮捕した元刑事の斡旋で殺し屋稼業をして暮らしている。彼には自分が死んだと思われている娘がいた。エル・チーボもまた社会の裏でひっそりと生きる男。彼の唯一の慰めは、廃墟に一緒に住むボクたちだったんだ。
ある日、彼が新しい犬を連れて帰ってきたんだ。黒犬で、怪我をしているらしい。なんでも、交通事故に遭った車に乗っていたみたいで、事故処理のドサクサに紛れて、彼が拾って連れ帰ったんだって。エル・チーボの必死の介抱で、傷も癒え、黒犬はどんどん元気になっていった。ところが、彼が新しい依頼を受けて外出している時、突然、黒犬がボクたちに襲いかかってきたんだ。そう、彼は「闘う犬」だったんだ。帰ってきたエル・チーボは、噛み殺されたボクたちを見て唖然とし、次の瞬間、怒りのあまり黒犬に銃を向けていた。
でも、彼には撃てなかった。黒犬を闘犬に仕立て上げたのは人間なんだ。悪いのは、犬じゃない…。
「犬のような愛」って、「愚かな愛」ってことなのでしょうか。でも、この映画を見ていると、犬の方がよっぽど「賢い愛」を知っているような気がしてきます。エル・チーボが黒犬の目を見たとたんに、撃てなくなってしまったように、そして、彼の中で何かが変わったように、犬が人生を変えることだってある。
どうしようもない愚かな人間の多い中、エル・チーボは唯一マトモっぽい行動をとります。殺しの依頼を受けて、ある男を隠れ家に拉致するのですが、依頼してきた男が彼の義弟だということを知って、依頼人の方も連れてきて二人を置き去りにする。よく話し合え、と言い残して。もっとも、憎しみ合う二人は、彼が去った後、罵り合いながら、真ん中に置かれた銃の取り合いを始める。どこまでも愚かしい人間の性ですな。
しかし、そんな粋な計らいができるエル・チーボもまた、その直後に娘の家に忍び込んで、留守番電話に「お父さんだよ」と伝言を残すという「異常な」行為をとるわけです。
彼にとってはそれは新たな旅立ちのしるしだったのかもしれませんが、新たな旅立ちと言っても、彼が向かう先はやっぱり荒廃した街なのです。荒廃した街は、どこまで歩いても救いようがない。やっぱり彼を救えるのは、そばに寄り添う黒犬だけなのか。
「アモーレス・ペロス」≫Amazon.co.jp
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