goo blog サービス終了のお知らせ 

カクレマショウ

やっぴBLOG

死に直面して生き方を選ぶ─「硫黄島からの手紙」

2006-12-18 | └歴史映画
戦争とは人が無差別に殺し合い、人が尋常でない死に方をするもの。

そういうことを伝えるには映像の力を借りるしかないと思い、世界史の授業では、戦争を描いたドキュメンタリーや映画の映像を時間の許す限り教材として使っていました。しかし、そういう意味では、「硫黄島からの手紙」は、戦場の悲惨さとかむごさを伝える反戦映画というよりはむしろ、戦争の持つもの悲しさやはかなさを伝えてくれる映画だと思います。

クリント・イーストウッド監督による「父親たちの星条旗」に次ぐ硫黄島第2作。どちらの作品でも、硫黄島を舞台とした壮絶な戦闘シーンを描きつつ、同じ時にあの島にいた日米双方の兵士たちが、結局のところ「国家」という得体の知れないものに翻弄される姿が描き出されます。

クリント・イーストウッドって、反リベラルでタカ派で愛国者というイメージがなんとなく強かったのですが、この2部作を見て、彼がいかに戦争を嫌っているかということがよくわかりました。彼は、「星条旗」製作のためのリサーチをしているさなかに、硫黄島の総指揮官だった栗林忠道陸軍中将という日本人のことを知り、興味を覚える。そして、「硫黄島」を舞台として、日本と米国と双方の視点から映画を作ることを決めたのだという。イーストウッドにとっては、そうしなければ伝えたいことが伝わらないだろうという思いがあったのでしょう。そして、その目論見は見事に成功していると思います。

タイトル通り、今回の映画ではいろんな「硫黄島からの手紙」が出てきます。栗林中将(渡辺謙)が家族に宛てた絵手紙、西郷(二宮和也)が妻に宛てた半ば泣き言入りの手紙、そして、捕えられた米国人兵士への母親からの手紙。「手紙」は、電子メールの便利さと引き替えに私たちがどこかに置いてきてしまったメディアですが、メールと比べると、「手紙」は感情が入りやすく、しかもそれが伝わりやすい。「心を打つ手紙」は数多く存在しても、「心を打つメール」はそれほどでもない。「手紙」は、ゆえに映画で取り上げられる時にも、多くは涙腺を緩めるツールとして使われることが多いような気がします。

この映画は日本人が作るべきだった、という声もよく耳にしますが、確かにそうなのかもしれません。しかし、もし日本人の作品だったら、BGMにあれほど静かなピアノ・ソロは使わなかっただろうし、全体としてもっとウェットな作品になっていたことでしょう。イーストウッドのドライで冷徹な視点があるからこそ、扱われる「手紙」も「涙で文字が見えない」ほどにはウェットではない。

そして、この映画を見てつくづく考えたのは、戦争の中の「死に方」と「生き方」のことでした。

追いつめられて玉砕=集団自決する兵士、そんな「無駄死に」はしたくないと、生き残って最後まで戦おうとする兵士、「自らの正義をまっとうする」ために戦線を離脱し投降する兵士。いずれにしても、選んだ先には「死」が待っているわけですが、極限状況にあって、どんな死に方を選ぶかによって、その人の「生き方」もまた象徴されるんだなと思いました。いえ、どの死に方がいいとか悪いとかではなく、すべての「死」にはその人なりの生き方が象徴されているということです。

投降を決意した元憲兵の清水(加瀬亮)を見て、かつて加川良というフォークシンガーが歌った「教訓Ⅰ」という歌を思い出しました。

命は一つ 人生は一回だから
命を捨てないようにね
あわてると つい ふらふらと
お国のためなどと 言われるとね
青くなって尻込みなさい
逃げなさい かくれなさい

清水は、決して「尻込み」したわけではありませんが、「お国」のために死ぬことを拒否する生き方を選んだ。それは彼なりの生き方の選択だったのです。栗林中将も、西郷も、そして米国の兵士たちも、みんな硫黄島で「生き方」を選ばざるを得なかった。戦争は、人が尋常でない死に方をするもの、ですが、生き方をさらけ出さなければならないものでもあるのですね。否応なく。

イーストウッドが描きたかったのは、硫黄島でどんなに多くの兵士が「お国」のために死んでいったかということではなく、むしろ、当時の軍人としてはちょっと「外れた」栗林中将の生き方であり、しがないパン屋の生き方であり、非国民の烙印を押された元憲兵の生き方、だったのかもしれません。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。