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持ち家が損か得か計算してみた

標題の件、計算してみた。

条件:マンション買値¥2,500万(3LDK購入8年前、建設後9年)、市価¥2,000万(三ヶ月前の契約実績:現状は同等とのことby不動産屋)

8年で下落額が¥500万なので、家賃は¥63万/年ということになる。金融コストは頭金が¥800万で、金融初期費用が大体¥100万くらい。頭金¥800万の金利を0.5%とすると¥4万/年、金融初期費用を購入額に乗っけると下落額は¥600万で、トータル家賃は¥80万/年で、¥6.7万円/月となる。あとは購入時の金利分を毎年払っている。

仮に購入費用の全額をローン(年利3%)として、資産下落額を年で割ると、年額¥63万(資産下落分)+¥75万(金利分)でトータル¥118万/年で、¥9.8万/月だ。

家賃相場は¥10万/月を下らないので(該当物件がそう無いのでよく分からん)、現時点では若干の得か。ちなみに一昨年の今頃であれば買った値段で売れていた。出た先での家賃も結局高かったので出なかったのだが仮に売れば7年の家賃は金融コストで賄えたらしい。

ちなみにこの計算には「社宅」という概念は無い。当然私の家も社宅ではない。社宅は会社が家賃補助をしているのでこの計算には不適であろう。

 

借家の多くは3DK以下なので3LDK以上が欲しければ買うしか無いとい現実がある。なので借家と購入を一概に比べるのはナンセンスだとは思う。ある一定以上の面積や間取りが欲しければ買うしか無いというのも現実だ。

それでも買ったら損ということは無いというのが私だけの現実だ。というより売る気満々なのである。

 

結論:得もしないが損もしない。人生のライフスタイルが決定できるのであろう、お金の損得では無しに。

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星を買わなかった朝青龍関

相撲は国技でありスポーツとは違うのであれば、ここは星を買うべきポイントであったろう。天下無敵の白鵬関が年間最多勝更新を決めた後なので、朝青龍関が星を買う準備は整っていた。横審にぐちゃぐちゃ言われないためにも星を買うべきであった。もっとも白鵬関と朝青龍関がどの程度の親密度合いがあるのかは知らない。

私は大相撲に詳しく無く、大相撲をスポーツとして見ている。なので大相撲ファンには違和感を感じるかもしれない。

大相撲は横綱から見ると上位15名の総当たり戦で、とても辛いスポーツだと思う。その上横審という組織が本質とは関係ないことで言い掛かりをつける、勝ち越しとそうでないのは天と地の差があるので星の融通があっても全然不思議ではない。言い方は悪いがスポーツであれば売れる星を稼ぐ実力があるのであれば、星を売ればいい。売れる星を貯金できるほど甘くないという裏返しと言う意味なのだが。だいたいチャンピオンがスランプに陥るのはよくある話で、勝率で9割を課せられているのはもはやスポーツとは呼べないであろう。ありえない事を倫理的に望まれているのだ。だとすれば(横綱としての)倫理を優先して、(勝負としての)倫理を捨てるということは常識的に行われている事は想像できる。

そして白鵬関は最多勝である年間86勝と無敗の優勝という名誉をとるか、余った星を朝青龍関に売るかという選択肢があった。結果は売らなかった。買わなかったのか、売らなかったのかはよく分からない。

こういうと不謹慎かもしれない。しかし、大相撲がスポーツであればそのような不正をしたら損なルール作りをすればいい。倫理に期待する方が間違っている。国技なので倫理に期待しているとすれば不正を認めているようなものだ。逆に言えば倫理に任されているのであれば星の融通は公然の事実となる。だってある倫理と別な倫理は矛盾するんだもん。

横綱審議会はどうも「倫理」に重きを置いているように見える。倫理に頼った組織運営は身内を守ることにしかならないことは過去の事件でも明快なのに。それでも尚、朝青龍関を倫理的に攻撃するというのであれば、倫理を利用した人格攻撃に見える。倫理は論理的でないのでいちゃもんを付けようと思えばなんでも出来るのだから。

なので星を売らなかった白鵬関と買わなかった朝青龍関はどちらがどうかは分からないけど偉いと思う。大相撲がスポーツ以下の何かであることを主張する向きには理解できないと思うけど。

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PBをとりまく悪いデフレ

標題の件、嘘というか誇張です。以前、包材メーカーと飲んでてPB向けとNB向けの包材価格の差を聞いた、同じとのこと。PBの安さの源泉は原材料費のコストダウンと全数買取で、卸しを通さず問屋代をピンはねしてるとのことだとか。以前のエントリーで合ってた訳だ。ということは流通の描くPBは安さではなく利益確保ということで、ブランドイメージを作っているわけだ。デフレ阻止のフラッグシップというわけだ。でもそれでいいのか?

悪いデフレってまぁ分かるんだけど、コンピュータや薄型テレビをはじめとした工業製品は基本デフレというかコストダウンの歴史なんだと思うんだよね。で、ざわざわ「悪いデフレ」と銘打つのは総GDPが下がっているからなのであろう。GDPが下がるということはキャッシュの流通量が下がるということであり、経費削減をしても流入するキャッシュが少なく、経費削減の効果は遅れてやってくる、当然FCFに影響を与えるということであろう。

話題のPBであるが、流通の利益率が良くなっても、買取が原則だったりCFには優しくない。おまけにクレームの起き難さのゲートを下げるどころか上げている訳で品質コストはPBの方が高いと言う矛盾まで存在する。

勝ち組と紹介されるカルフールやコストコも浸透の度合いで言えばコンビニに足元にも及ばないわけで、安かろう悪かろうは日本人に受け入れられないということを示唆しているのかもしれない。

ちょっと脱線するがローソンのPBはすごくて100円で冷凍麺やピラフがあり、価格破壊はコンビニまで押し寄せている。コンビニの方がかえって安いと思うのは小口であること。

小口の問題点は資材費が大きいこと、具体的には包材だ。包材の重要な部分は流通段階、販売段階、消費者が実際に使用するまでの間、どのような扱いを受けても問題ないということが前提となる。ところがこれは割りと高コストだ。

先にNBでもPBでも法材単価は変わらないと述べた。実際にはパーツを省いたりしているのでコストダウンは行われているのであるが、「単価」は変わらない。

例えば冷凍食品で考えてみよう。袋に素材が入っているタイプではパーツ数は1で両者変わりない、なので包材費は同じ。箱に入っている餃子の場合、PBでは袋に入っていてコストダウンをされている、しかし同様に袋+トレイの場合、やはり包材費は同等だ。ということは価格差は原材料費=中身が受け持つこととなる。

PBは低価格を原料費コストダウンで実現しているのではないのだ。金融リスクをとって実現している。そこで素朴な疑問なんだけど、NBが手を入れるのに躊躇した分野に手を入れて、原材料費を安くするアプローチは何故無いのか?もちろん「安かろう、悪かろう」のうち悪い部分は何なのかという点を消費者に問えばいいのではないかという基本的な問題だ。

原料費を削って、資材費は変わらず、金融リスクをとって売価を下げる手法は継続できるビジネスモデルなのか不思議。

 

 

追記:財務会計と言うか原料費率の基本

消費財の売上のうち3~4割は流通(販売店+卸)がとり、メーカー出荷価格は6~7割。内、原材料費率(原料+加工費+包材)は3~4割で、残りは販促費(宣伝販促費、営業販促費)、固定費、利益。消費財メーカーの売上高営業利益率は0~20%程度。
NBでもPBでも加工費はほとんど変わらない、包材も変わらないということは原料費をすごく削っていると言うことと、メーカーの販促費をケチったから実現できているということ。

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工場女子が可愛い件2

今回出張した委託工場ではインフル騒ぎ、敷地内はマスク着用ルールができたらしい。

ものすごく下らない話なんだけどこれがエロい。以前、工場女子は服飾というツールを無くしたところなので可愛く見えるというエントリーを挙げたが、それ以上な「何か」があるという感じ。作業着はスタイルの不備を隠すので顔が可愛いとおばさんと気付かずに萌えてしまうのだ。

今回はさらに隠す部分が多く強力、目力勝負の様相だ(いや、彼女らは全然勝負してるつもりは無いと思うけど)。先ず年齢が全然分からない、でも目と顔の輪郭しか分からないのでその中で「仕事を頼む」とかという作業が発生する、あとは暇なときは誰がどういった仕事をしているのかという見物。まぁ生産立会いってそんなもんだ。なので作業着+ネット付き帽子+マスクで女子を見ることとなる、だれが可愛いのかさっぱり分からないわけだ。でも狩人(別に何もしないけど)としてはなんらかの満足はしたいわけで。

そこで相似系を想像する。例えばイスラムの厳しい地域の男性は体型と顔を隠すスタイルの中で好きな人をチョイスする場面とか。彼らはあの雰囲気の中で女性への好意の仕分けをするのかと。それはそれで楽しいのかもしれない。けれど、目しか見えないと年齢不詳で、仕事を仕切っているであろう女性のことを「可愛いな」と思ってしまった、多分リーダーを任されているらしいので年齢はそれなりなのであろう、そして「それなりの年齢」という表現も失礼きわまることであろう。

まぁ私はたまに工場に出張する身分なので工場でマスク着用は妄想をかき上げるに十分な仕掛けだ。ということにしておこう。

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組織の疲弊

私の属している所属長である研究所長は「元気のある研究所にするためにどうしたらいいか」と投げかけている。ちょっと意味を考えてみたい。

彼は自分の仕事は職場環境の管理という点にすごく気を配っていて、模範的なマネージャーだと思う。本社からの外圧から組織を守ったり、研究所の成果を声高にアピールしたり、労務管理にも気を配り。まぁだからこういう発想が生じるのであろう。実際職場環境は良いと思う。実務でも細かい事を言うというより、スケジュールや見通しは気にするけど、事案の方法論など細かい事はごちゃごちゃ言わない。

彼の具体的なアンテナや実行策はそれは高コストで多分他の組織ではまねできないほど。4半期に1回派遣を含めた全員(約60人)と雑談と称する面談を行い(本当に雑談だ)、階層ごとのランチミーティングを最近企画しだした(所内ではなく割りと高級レストランのランチ:会社持ち)。

彼の危機感は「油断すれば組織は硬直化する」ということであろう。そのような原体験があったのかは分からない。また多分彼は組織の「経営者」なのであろう、研究所幹部や下々に原理を常に説いている感じ。

 

それほどまでに組織管理を行っているのであるが彼の危機感はなくならない。彼が自覚してるかどうかはわからないけれど幾つか理由が考えられる。

仮説:風通しの悪い組織(部課)はその上長に全ての責任がある。

これは単純で、風通しの悪い部課では課員は上へ「言っても無駄」という意識がある。その上長である研究所長が「なにかあれば言ってごらん」と言われて本当の事を言ったら馬鹿を見ること請け合いだ。風通しの悪い部署はその職長が意見具申を聞かないからとか、情報を流さないとか、部下を駒としか管理できないとか、まぁそんなところだ。自分のやり方を押し付けている訳だ。その人とは長く付き合わなくてはならない上、査定を付けるのはその人で、パワーバランスが著しくアンバランスなわけだ。例えば上司と部下の双方向査定というのは理念としてはすばらしいが機能しない、機能する理由が分からない。

そのような状態で上司を批判することを言って、イジメや査定を極端に落とされたらたまった物ではない。なので部下の意見を聞かない上司に「意見を言え」「情報を取りに行け」というのは何も言わない以下(馬鹿を晒してるだけ)なのだ。

この仮説が正しければ組織運営は非常に厄介だ。システムでコントロールすることが難しいから。まぁなので「ビジネス書」とやらがやたらめったら出るのであろう。

ということは「元気な研究所」にするための意見は一般論しか手に入らないことになる。他所の評判などは手に入るであろうから、結局所属長として中間管理職に「どれだけ言えるか」という点に尽きると思う。

 

仮説を肯定した場合の結論

部下(特に中間管理職)にコミュニケーショントラブルが予想されるのであればそれは上長が指揮しなければ(対策を講じなければ)良くはならない。所属長ともなると年齢が上だったり先輩もいると思うが、中間管理職の職分を厳密に査定しないとならないであろう。ちょっと分かりにくいが小さい組織では中間管理職がプレイングマネジャーであることが多い。プレイヤーとして評価してマネージャーの部分で駄目な奴をどう扱うかと言うこと。プレイヤーとしては経験豊富で優秀で、管理職になったがマネージメントは全然出来ない人をきちんと冷遇できるかということになる。年功があり、職人的な知識や経験がある人間を「管理者」でないところに置けるかということになる。

我が社ではそのポストが無い。なので所長は優秀な職人を管理者に上げるしか評価方法が無く、なので心配だと言う構図だ。だって研究員を課長に引き上げるのに管理能力をモノサシに上げてるわけじゃないんだもん。年功や研究実績・経験で決まるんだから。挙げる時点では管理能力は分からないし、その才能が無いことが分かっても職位を落すことが出来ない、組合的にも。

 

なので職場長は限度が無い努力を求められる。自覚がある人ほどそうだ、私の身近な人でも職場について真面目に考えている人ほど大変。一方、自分の経験・センス頼みの上長を抱いた組織は、、、、その人がいい人であっても組織論としては、、、。

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住宅ローンのリスク

「家を(借金をして)買ってはいけない」という論争をよく見る。買う事のメリットデメリットが存在するのはその通りであろうが、なんか捻じ曲げられている報道なのかバラエティを見た。

年が越せない!急増する住宅ローン破綻~噂の東京マガジン(TBS)

この番組の趣旨は収入の無くなった世帯が税の踏み倒しをし、自治体からの呼び出しを無視し、給与(貯金)から税金の分を差し押さえされて首が回らなくなったと言う話。住宅ローンの破綻とは一切関係ないと思う。

1年固定資産税を踏み倒して、窓口に相談にも行かず、その上で給与と貯金を差し押さえられた可哀相な家庭をレポート。本当に可哀相、多分国家や自治体はこの家族にとって搾取する側で守ってもらうという意識が無かったのであろう。搾取する側である自治体からの督促状を無視して、差し押さえられた。無知に泣ける。番組が行政の対応の不備を嘆くのはもうこっけいですらある。最初に行政の窓口に相談に行けばこうはならなかったであろう。それを番組では「忙しくて行けなかった」とさらりと紹介している。ふふん。知識が無いと損だなと思う事例だ。彼らはどう行動しなくてはならないかも紹介しないと片手落ちどころか両手落ちだと思うけど。

 

本題に戻る。家を買うこと自体は悪く無い経済活動であると過去にも論じた。例えばこの記事やこの記事

上記に限らずローン破綻している事例で多いのは年収の5倍以上程度のローンを組んでいることが多いのではないか。頭金ゼロで現在家賃分をローンで家を購入する人がそんな感じ。かつかつのローン返済は収入の変動をもろに被る。収入の変動は賃貸では安い家賃の家に引っ越せるが持ち家はなかなかそうはいかない。
また一軒屋は流動性が低く、上物の価値がマイナス(撤去費用)であることもあるかも。

収入にある程度の変動が見込まれていればボーナス払いは最低にするし、それよりも頭金を確保し、ローンの支払額を現在家賃以下に抑えるのは常識だろうと思う。それが年収3倍ルールだ。年収の3倍程度であれば、賞与の落ち込みはカバーできるし、給与の落ち込みもそれなりに対応できる。というかほとんどの人がそういう対応をしているであろう。記事に載る様な人は言い方は悪いが、馬鹿と言うかリスクに鈍感なのだ。

なので家を買うリスクがあるのではなく、自分の収入をリスク管理できないはおろか行政から踏み倒そうとして失敗した人のことを「可哀相」とは思えないし、不動産ビジネスが健全で無いとは思えない。TBSはその報道姿勢を猛省する必要があると思う。

 

だいたい年収の5倍の借金は、年収500万の人が2500万借りると言うことで、その利払いだけで金利3%として75万円。金利だけで月6万円超なんだけど、どれだけ異常かわかるであろう。2500万円の家の家賃が仮に10万円とすると元本は月に4万円しか返せないわけで、、、。単に返済計画が異常な人を取り上げてローン地獄だと報じるのは犯罪的であると思うんだけど。

 

よく言う投資効率はマンションしか当てはまらない。そもそも自分が住みたい家、庭があるとか間取りとか、に拘るということは市場性が無い=売る気がないということなので、投資効率の観点から述べるのはそもそも間違いなのだ。極論すると採算を度外視してローンを払えるかどうかだけの問題なのだ。経済性を追求するのであれば注文住宅は「絶対的に損だ」、誰も望まない商品を注文住宅に求めるのだからそれは当たり前だ。建った瞬間に土地代から撤去費用を差っぴいた分しか資産価値はない。でも資産価値は関係ないから注文住宅を買うのだ。

マンションにしても自分を大家と店子に分けて考えればすっきりする。とにかく得か損かを論じるには「失敗を拒否する」のであれば家は買わない方がいいであろう。生活パターンの変動に応じて家を借りた方がリスクは少ない。

費用と負債と資産を見える化というか、可視化できれば問題はぐっと小さくなる。ただそれだけだと思うんだけど。

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リーマンショックで学んだこと

100年に一度の大不景気らしいが、対策は規制だのとかなんかピンとこない。

私が理解したのは利息はそれを払う人が居ると言う事実だ。その金利でなければ借りられない人が高金利で借りたと言うこと。当然安全性は疑わしい。利息は安全性と比例関係にあり、金利=リスクの度合いということだ。それは国債でも同じ。

一時、豪州やNZで金利が高かった。しかし通貨の流通量が少ないので為替変動が大きい。なので高金利でも貸す人が少ないため高金利になった。投資バブルを抑制する意味合いもあるであろう。もっとアレであればトルコ政府債ではもっとすごい金利もあった。もちろん為替で損する可能性は金利分だけあると言うことだ。

とまぁテクニカルな仕組みはちょっと置いておいて、金利=リスクなのだ。高金利は高リスクと言う単純明快だということを再認識した。テクニカルで薄まるのは説明責任だけでリスクは薄まらないという事実だ。「サブプライムローンで証券化」とか典型でその金利でしか借りられない人が借りてるわけで、金利だけ見ても危険であるのは当然だったのだ。不動産バブルで、、、みたいなのは説明の部分であって安全性が高まることとは一切関係ないということだ。誰も損して高い金利を払わない事を考えれば自明といえる。

なのでテクニカルな説明は「引き際」を判断する材料になっても、その債権が安全とは限らない。逆に複雑なので引き際が分かり辛く、逃げ時がよく分からない。

そう金利=リスクなのだ。なのでテクニカルな部分で規制をすれば安全と言う論理が分からない。SWAPも先物もCDSも手形割引も必要だから出来た商品である、輸出した商品が先方に届くまで現金が手に入らないのは経営的に苦しい場面もあるであろうし、為替リスクを負いたくないこともあるであろう。テクニカルを否定しても不便なだけだと思うんだよね。そうではなく金融商品は必要だから生まれたわけで、未来の値段を確定したいというのがいわゆる正しい使い方。それを否定しても経済が収縮するだけでなんか得なことがあるのかしら。

リーマンショックの問題はテクニカルな話ではなくて、サブプライムローンという高金利商品が「安全に見えた」ことがそもそもの間違いであろう。そうではなく、「金融商品は金利=リスクであるということを再認識した」で何故いけないのであろう。本来高金利はその説明責任が求められる。それをブラックボックス化して格付け会社にリスク説明を丸投げしたのだという事実しかない。

なので証券化はリスクの説明責任を格付け会社に丸投げし、その判断を誰も出来ないのに購入したという点に尽きる。ハイリスク商品のリスク評価ぐらい自分でしろと言うことだ、それが出来なければ買わなければいいのだ。

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PB商品のコストはまだ下がる

ASEAN向けの商品設計を担当させられそうなので当地の商品を取り寄せたり出張したりして勉強している、驚くほど安い。どうやったらこの値段で作れるのか頭の痛いところだ。しかし加工費を除いた原材料費は全世界での相場と相関するのでできないはずは無い。加工費も海外で発注すればその品質でその値段と言うのは実現可能である事を証明している。

例えばトイレタリー商品を考えてみる。その品質、中身にしろ、容器にしろ最低だ。しかしその最低で困るかといえば全然困らない。東南アジアから取り寄せた商品の多くはは当地では中間層向けで、当地の貧乏人は昭和30年代と思しき生活をしている。洗剤やシャンプーはおろか化粧すらしない。

当地の中間層は日本の最低レベルの生活といった感じ。インドネシアでは高卒の初任給が1.2~1.6万円で、大卒の初任給が2~3万円とのこと。タイやインドネシアの給与水準は日本と比べ10~20%程度。日本人にとって恐ろしく安く見えても現地人から見ればそこそこ高級品。逆に家電やクルマなど耐久消費財は日本の方が安い。量が刷けないので流通コストが高いのであろう、バイクは当地は安く12万円程度とのこと。通常の労働者の賃金が2~3万円程度なので給料の半年分でバイクを買うわけだ。日本人が給与の半年分でクルマを買うような物であろう。基本的に収入面から眺めれば同様の行動をしている。

話が逸れた。彼の地での商品はドンキよりも安い。フレグランスや整髪料が¥30~¥100なのだ。その品質は決して高くない。しかし用途は十分に満たせる。小学生が洒落っ気を出し、色々工夫するには最適な感じなのだ。また洗剤や柔軟材も安い(値段は忘れた)、細かい事を気にしなければ、メーカーの策略に乗らなければ必要最低限のコストはとても下げられるのだ。
話はよれる。日本品質を実現するコストは現状のPB(プライベートブランド)商品なのであろう。過去の実績を引っ張ってきて商品化するという手法。最低限の使用感を持ちつつ、品質は日本品質だ。

でだ、日本品質は本当に必要なのであろうか?10回落としても壊れない外装容器、ずれが無く、発色のいい印刷、持った感じが安っぽくないパッケージ、どれも中身の本質とは関係ない。中身でも精製度はNB(ナショナルブランド)と同じものを使う。

海外商品は品質が悪いというイメージがあるが本質とは関係ないことが多い。例えば輸入雑貨であれば許容できるパッケージの安さっぽさは中身の品質とは一切関係ないし、使用感の違い(例えば石鹸・洗剤はぎしぎしするとか、ジャンク菓子の味は大雑把とか)は商品設計の問題でコストの問題では無い。

逆の見方をすると日本製品のPB商品はオーバークォリティなのだ。無駄に分厚いパッケージを使い、印刷の白度や発色も拘る、とにかくなにかに拘ったらその分コストに跳ね返る。クレームを意識しコストを下げられないわけだ。そこを割り切ればまだまだコストは下がる。ASEANの中間層向けの商品が日本の1/10~1/2だということを見るとPBはNBの半値以下で無いとおかしい。そしてそのコスト構造はNBが気にしなければならない部分をいかにぶった切るかと言うことになる。

PBへの流通段階での品質要求はNBと同じと述べた。NBであれば仕様説明書を読まない顧客にも満足していただける商品を作ることがNBのブランド価値を上げる。しかしPBは頭のいい顧客(クオリティの無限大を求めない分安さを求める)に無駄なコストを省いた商品を届けるという価値がある。

現時点のPBはブランド化を志向している。トップバリューやセブンアイはそうであろう。そこそこの品質をより安くといった指向だ。ブランド化する価値は大きく値崩れはしないし、ある一定の量は見込める。しかし所詮PBを買う人は満足しないわけだ、NBを買えない人がPBを買っているわけだ。これは消費者のこだわりが無い部分はべつに「何でもいい」からPBを選択するのであって、拘っている部分ではNBを買うのであろう。食品PBで服はデパートでみたいな。PBはNBと比べるとちょっと不味いし、ちょっと安っぽい。この「ちょっと」はべつに「すごく」でもいいんじゃないの?

商品単価が安くなってしまうと売上が落ちて困ると言う事情があるのは分かるが、経済原則として東南アジアで売っている商品をそのまま持ってくれば当地の倍以内の価格で売れる気がする。少しずつの価格の改定では利益率の変動はなかなか難しい。しかし一気に調達コストが下がれば粗利を高く設定できる気がする。

 

要は多くの人にとって日本品質=想定外の使い方をされても安全を担保できるとか(付加価値は別)は本来必要ではなく邪魔なものではないのか。0.1%のクレームのために原価を下げられず、商品の値段が下げられないのははたして正義なのか。極一部のクレーマー(本来の使い方ではない使用法でのクレームや、損したことを大げさに述べて利益を確保しようとする輩)を気にしてコストを消費者に負担させるのは正しいのか疑問がある。

そこから脱却できれば、拘りの無い人に拘りのない商品を届ける事は、さらにコストを下げることが出来る。PBがNBと遜色ない何かを必要とするからコストが下がらないわけで、まだまだコストは下がる。

 

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科学者がスパコンの予算を声明したけど、、、な件

またまた事業仕分け関連のウォッチングです。

次世代スーパーコンピュータ開発に関する緊急声明~計算基礎科学コンソーシアム

なんか意味の分からない声明と感じる、もっとも私が斜めから見ているからであろうが。スパコン「開発自体」に意味があると取れるし、でも何をするかは述べられていない。巷ではゼネコン3社のうちNECと日立が撤退して富士通が担当すると噂されている(まぁ噂ではなく事実なのだが)。費用効果のない事業から民間が離脱するのは収益性が無いからであろう。まぁそれでもいいとしても抽象論だ。

前からのエントリーでLinkをさせていただいている某氏は自身のHPで京速はダメだと論じている、しかしまぁ仕方が無いのであろうがこの声明に署名している。まぁ組織の立場で自身の意見を述べるのは無理があるのは分かる。

でもその計算基礎科学コンソーシアムのHPに氏の主張の一部は載せられていて、現在のトレンド(地球シュミレータ)の延長線上ではスパコンの未来はないと論じていることだ、また誰が何をしたいのかが抜けていると。(参照)(氏のスパコン批判

 

で、緊急声明の確かさがぐらついたと感じている。もちろんここでLinkを貼った氏に説明責任が生じるとは思わないし、国へ梯子を外したとも思わない。1つの意見としてだ。でもコンソーシアムの座長(事務局)と先のコンソーシアムで行われたセッションのメンバーが結構異なるのも気になる(筆者妄想:多分セッションではシミュレーションの実務家が参加したのであろう、一方声明はコンソーシアム事務局が担当したのであろう)。

プロジェクトの進め方に問題があるという指摘が多い「京速」であるが、科学団体として予算凍結に対して非難の声明を発した、しかし当事者である理化学研究所のWebトップページにはそのような記載は何も無い。

非常に胡散臭い、と感じた。

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事業仕分けって目新しく無いんだ、というのが分かった件

続・仕分け事業~http://d.hatena.ne.jp/bewaad/20091118/p1

なぁんだ、事業仕分けって別に目新しいわけじゃないんだ。今までは財政支出の発散を抑えるために財務省主計局が行っていたのを、仕分け人を民主党議員で「公開」で行ったと言うだけなのか。シナリオは当然主計局が担当したのであろう。bewaad氏は省庁間でのやり取りがオープンにされることによって面子の貸し借りが出来なくなったと嘆く。しかしさすが中の人、というより中の人には当たり前の前提が共有できていないことにびっくりしたのであろう。

まぁ普通に考えればどこの組織でも予算申請者は(1)絶対通したい案件、(2)できれば通って欲しい案件、(3)ダメもとで申請した案件 があるはずで、(3)はぶった切られて、(2)は予算削減を大臣からお達しが来て、(1)を折衝に持込(bewaad氏の言う面子を立てる方策を考え)、というか通すことに専念するであろう。そこで甘い案件がぶった切られたと理解するということであろう。

そうか気が付かなかった。bewaad氏によれば、通常の折衝は一回こっきりということは無いので本当に通したい案件は何回も折衝できるとのこと。今回はそれが一回こっきりだと言うこと。なのであらかじめ選出したのは(3)だと言うことであろう。
そう考えれば軒並み予算が付かないのは当然だ。

 

事業仕分けという人民裁判~池田信夫blog

この記事を読んでもピンとこない理由がやっと分かった、何故池田氏が人民裁判という言葉を使った理由が。池田氏の記事はbewaad氏の解説する前提があっての記事だったのか。そうかそうか。池田氏が批判する財務省主導や民主党の戦略不在がやっと分かった。池田氏も中の人の事情通なのであろう、それを前提に書いているので分かりにくかったのだ。

 

であれば通そうと言う方はダメもとで押し込んだ案件もあるであろう。科学費にもメスが入ったことに脊髄反射する人が多いようだが、それは全くもって間違っている風景に見える。

少し疑問なのはそれを現仕分け人は知っていたのか?私も事業仕分けが初めてだと誤解していた、ニュースも「初めて」の感じでの報道。netでも、例えばはてなとかは「日本の科学没落」といった論調だ。

少し考えさせられる案件だ。

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ロケットとスパコンについての雑感

そういえば過去にH2ロケット発射の成功が報じられていた、その後の商業的な打ち上げは無いようだ。

ロケットに全然詳しくはないがロケットをトランスポーターとして考えてみよう。宇宙に荷物を運ぶ手段としてのロケットの輸送費用は指数関数的な従量制であろう。仮に従来のロケットが\10億/100kgとすると(桁は間違っているかもしれません、指摘があれば修正します)、1tのモノを運ぶには\100億円では運べない。100kg×10ヶに分解して運べ、彼の地で組み立てられれば別であろうが。

仮に現在のロケットの輸送能力の限界と費用が1t\100億だとすると、2tのモノを運ぶ必要があれば\1,000億でも安いかもしれない。限界的な技術はそのようなものなのが常識だ。逆に言えばこの場合では100kgのモノは\10億円以下で運べるであろう。

さらにモノを運ぶには保険が必要であり、確立された技術には保険は安く済む。一方確立されて無い技術には保険が高いか、保険が掛けられない。これは発注主か荷受主のコストに反映される。

 

なにが言いたいかというと、ロケットの試作機が飛んでも、商業的に成功したことにならない。先の論理で言えば商業限界輸送重量が1tで、2tのモノを運びたい国家プロジェクトにはべらぼうに金がかかるということだ。逆に言えば「2tのモノを運ぶプロジェクト」というのは存在できない。需要があっての輸送システムであり、そのもの自体は目的に無い得ないプロジェクトだからだ。

H2ロケットが商業的に成功するためには「より重いモノを的確に運ぶ」ことが確立され、「輸送依頼が来る」ことである。別に試作機が飛んでも成功の第一ステップで成功には程遠い。商業的に成功する必要が無いと言うのであれば、その事業の必要性の一部に過ぎない。事業のためには重いモノを運ぶ必要があり、その為に重いモノを運ぶロケットが必要だと言う論理だ。であればH2ロケットの成功は輸送機の実験が成功したに過ぎない、しかも実験である。

飛ばすのが目的なのはもう40年前に終わっていて、重いモノを的確に運ぶ商売がロケット産業なのだ。

 

こういった論争はスパコンでも垣間見える。計算スピードの最速にはなんの意味も無くて、実際に必要とされる部分はあるのかと言う点だ。何を作ったかではなく、何に遣ったかということ。またコンピュータは技術速度が速くて、ソフトの習熟の方が追いつかないので開発が遅れるということ自体が罪だという指摘もある。
http://grape.mtk.nao.ac.jp/~makino/articles/future_sc/note050.html#rdocsect55
(スパコンの歴史とか、間違いが多い池田氏に引用されて迷惑だけど大筋で合ってるとかLink記事以外にも参考になります)

ロケットもスパコンも基本的にはツールであると思う。そのツールの開発が目的であることもあるであろう。しかしそのツールに必要な性能が議論されないプロジェクトはなんだかなぁと思う。

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水素は分子よりも小さい~事業仕分けウォッチング

ネタです。ニュースゼロを見ていて、事業仕分けのロケット用の水素エンジンのやり取りで

文科省「水素は分子よりも小さいので、、、、」

仕分け人「技術論はいいですから」

文科省の方も文系であることはわかるけど、そんな回答で説得しようと考えたの?省内のポーズですか?
あと仕分け人はあのタイミングで「トンデモ論はいいですから」と言えば、「へぇ~かっこいい」ってとこだったんだけど惜しい。

 

本質は別のところにあるのだろうけれど、「科学の予算を削るのはまかりならん」とか「若い科学者は希望を失った」という論はかなり突っ込みどころを間違っていると思う。財務省も何が何でも予算を削ると言うよりは、「これはおかしい」という事業を挙げているように感じた。全ての事業は色々な人の思惑もあるであろうし、汚い部分もあるであろう、利権もだ。そのなかでも不適当な事業を指摘していて、その指摘に事務方は満足いく答えを発せられない。

標記はネタだが水素エンジンへのビジョンを伝えられない、トンデモ論を開陳しなくてはならない程度の予算、又は「何が何でも通す」という気がさらさら無いことだと言う事を明らかにした。

科学→技術→日本の伸ばさなくてはならない部分→絶対必要だ→削るのは罷りならん。こんな図式が頭に浮かぶ。スパコンに至っては道具であり、なにを計算するためには必要だという点がほとんど論じられない。科学への好意的なレッテル貼りだろう。野依教授が減額に反対したそうだが、分子分析にはスカラー型のスパコンでも良いそうなので、それが本当ならなんか場違いな感じ。

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仕分け作業員のジレンマ

事業仕分けに批判続々 そのココロは…(産経新聞) - goo ニュース

標題の件、いやぁ本当に仕分け作業人は大変だと思います。目標の3兆円にはどう考えてもおっつかないわけで、だからといって意味が無いわけでも無いし。お金的には意味がなさそうだけど、理念的には意味があるという、よくわかんないスタンスですね。
この仕分け作業は概ね好印象です。自民党が利権やらでシガラミを潰せなかった以上、新政権がシガラミを超えて「要らんモンは要らん」という姿勢は潔いです。政権交代のメリットの大きな1つでしょう。というより担当者が可哀相、異動前の事案に対して心の中でどう思ってるか分からないけど前任者の悪口は言えない訳で。

事業仕分けの論点~タケルンバ卿日記

に概ね賛成、やらないよりやった方がいい。拙速だとかいろいろ批判はあるけど(仕方ない部分があるにせよ)出来なかった自民党にはやはりできなかったであろう。スパコンや女性なんちゃら施設などは面子や聖域や利権があったのであろう。あの女性理事長を見ると今回仕分けに漏れた事案も相当疑うに足る。郵政が事案で無いのは残念だ。亀井氏代理人に仕分け人が突っ込むという構図が無いのは残念。

 

本題。私は原理主義というか「その仕事に意味があるのか?」というのを割りと気にする方だ。「その仕事に意味あるの?」と聞く嫌な奴だ。まぁその依頼者の上司が求めているのであれば理解できる、そうなると「本当のこと」より説得材料を積み上げた方がお互い楽なんじゃないの的な提案をする。昨今の真面目君にはなかなかそれが通じないので困る。調整部門(というかペイペイ)は自分の主張を貫くのは疲れるので上司の言う事を納得がいかなくても「はいはい」と聞くのが無難だ。その上司の意向を先回りして関係部署と調整することもあるであろう。しかしその関係部署がその提案に乗るとは限らないのだ。

これは技術屋として「費用効果」を考えるから。彼(女)の上司がそう言っていて、その上司に言わされてるのは分かるんだけど、納得いく説明が欲しい。彼(女)が言わされてるとしても理不尽だと思った瞬間に対応部署はサボタージュになる。「どうせ儲からない仕事か」という判断をされる。気紛れにそうなったんだよね、その気紛れは明日かもしれない、とか。

 

先の仕分け作業員に戻る。やらなくてはならないのはその通りだ。理念として前政権がなぁなぁで済ましてきた部分をぶった切る必要は確かにある。理念としては拙速(時間は無料ではないのでどこかで妥協するのは当然)であろうが必要だ。

で、思う。その必要なのは理解した。その理念的な効果には???なのだ。本来は民主党政権が実現できる財政を掘り起こすのが目的であろう。ところがその額には遠く及ばないことが自明なのだ。もちろん遠く及ばないからやらなくていいとはならない。う~ん、微妙な扱いだ。

まぁ仕分け作業人はそのような大きな視点で論理を構築してはいけないのであろう。きちんと無駄を炙り出すのが仕事であろう。額が足りようが足らなかろうが。足りない場合の高等判断は閣僚がやるのでいいのであろう。個別の案件で、しかもオープンにされているので仕分け人さんには心置きなく仕事をしてもらいたい。数字の辻褄合わせは最終的には必要であろうけれでも。

と仕分け人ベースの理想論を述べたがそのツケは首相に乗っかる。公約に拘る首相は「やる」と言ったことに「できない」のが許せないと感じるように見えるからだ。

まぁでももう少し見守る気にはなる。従来のやり方を否定してるのであるから、その方法論は効率的であるはずがないから。でもあれほどネタが出るのは拙いね、自民党。

 

 

そういえば女性なんちゃら施設のあれはTVの陰謀なのか?まぁ陰謀とは思わないけどそれにしても酷かった。「一旦全ての事業を停止しろ」という意見が罷り通るくらいのインパクトがあった。あの女性理事長は女優じゃないよね?

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レッテルを貼る行為

例えば新聞の論調も紙面に限りはあるし、ややこしいと読んでもらえなくなるので手っ取り早く説明するために説明を端折ったり、断言したり。文章が上手いのでさらっと流せるが得意なジャンルではレトリックに流されないので「うむっ?」となる。官僚に対する言及の多くは「官僚とはこんな人種だ」というレトリックと共にレッテルが貼られていく。

例えば「昔ながら」が好きな人は「化学物質」というごく一般的な概念が(化学工業製品という意味なのかしら)なんかレッテルの対象になり、農薬やBPAなどの工業製品を敵視することになる。

まぁこの手の思想にはなんらかしらの突飛な部分が必要であり、論理で説明できないからこそ思想なのであろう。例えば未知の物質を怖いと感じ、その感覚に正直なのであろう。そこには論理も説明も必要ない。

レッテル貼りを行って無い人は居ないであろう。私が考えるにレッテルを貼るという行為は「説明の省略」だからだ。そして思考の省略の結果であることも多い。全てのことを論理的に考え、理論的に確認するのは骨が折れる、というかできない。

 

ところで醜いレッテル貼りというのは、ネットの言論なんかでよく見る。みんなが叩くから叩くといった具合で思考を省略している。いじめは相手に非がないので悪いと思っている人でも、相手のことを悪い(間違っている)と思っているから正々堂々と叩ける。しかしその叩いている人は「どこがどう間違っているか」をクリアに説明できないことが多い。その典型的な被害者が池田信夫氏であろう。

疑似科学や怪しげな民間伝承、怪しげな商品もそのレッテル貼りの対象となる。こちらは「叩く方法論が間違っている場合が多い」というもの。その背景を知ってて攻撃している人と、怪しげな事を言う御仁を馬鹿にしている人と、それらに同調する人と。これらもレッテル臭がする。基本的には疑似科学は商売のネタであるということだ。そこを読み間違えるとなんか見当違いと言うか、だれかに乗っかって叩く行為は頭の弱さを感じると言うか。

先にも述べたようにレッテル貼りから逃れられる事はできない。全ての思考・説明をだらだらと書いても誰も読まないし、そもそも面倒くさい。

ネットでは手軽に誰かの意見を覗ける、ということは発言は誰かが覗いている。尻馬に乗って大勢に乗っかってるのは独自性がなくなんだかなぁと感じる。

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オバマ大統領は何しに日本に来たんだろ

「同盟深化」一致、普天間「早期に解決」 日米首脳会談(朝日新聞) - goo ニュース

世界一忙しい人達の1人であるオバマ大統領が日本に来た、もちろんこれだけが会談のネタで無いのは分かるけど(まぁ報道でもいろいろある)、でも具体的なことはなんにも言質がない感じがする。アメリカの報道はどうなんでしょう。

日本もホストとしてもてなしたかわりに主張を認めてもらうというのは当然で、それは「鳩山氏」としては達成できたのであろう。アフガンに金だけ払うのか丸腰の人間を派遣するのかは分からないがまぁ認めてもらったようだ。

一方、オバマ大統領は、、、。可哀相過ぎる。土産も約束も何も無い。

そういえば小泉氏がキャンプデービッドに行ったときは「ブッシュ氏の辛い立場を全面的に協力する(インド洋給油とか)」という土産を持っていった、そのかわり中国との小さな軋轢は中国が何かを言っても放っておいてね、という果実を得た。外交に自分だけの主張を認めさせるという論理はなかなか無い。

で、オバマ氏は何しに来たんだろ?不思議だ。国連費用とかアフガン費用とか人命・人権に関わる部分では出し惜しみしないでねとかいう密約でも結んだのかしら。核解体や原発に関する技術供与は日本担当ねてなかんじかしら。はたまた温暖化ガス削減はアメリカと中国・インドは乗れないけどEUと突っ走ってねということか。どれも密約であろうから妄想するしか手は無いが。アメリカが手土産無しにわざわざ極東には来ないことは事実であろう、そしてそのうち明らかになるであろう。

 

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