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政界にはイノベーションが起きないらしい

天変地異が起きても永田町は変わらず (gooニュース・JAPANなニュース) - goo ニュース

記事が指摘するまでもないんだけど、日本の政治家は本当に腐っていると思う。津波・原発事故と未曾有の事故が立て続けに起こっても政局ごっこを辞められない。

記事では菅総理を主体に書いてあるが、本質的には政局に持ち込もうとしているのは与党と野党なので菅総理は(自身の人望の無さを除けば)被害者で、小沢氏や谷垣氏が指摘した点は言いがかりの世界だ。平常時であっても許せないほどの政局好きで、全く建設的でない。

「政治家は○○あるべき」という考え方は好きじゃないので、何故そうなのか、どうすれば良いのかを少し論じてみたい。

 

1)政治家は既得権益団体の代弁者である

政治家は選挙で読める票が欲しいので、既得権益者(団体)に有利なコミットをするインセンティブがある。票と引き換えに規制を有利に作成・運用することでお互いの利益は一致するわけだ。規制緩和とは既得権益者の権益を阻害することになるので、政治家は改革を嫌う。
また日本は消費者保護の観点が非常に強く、なにか事故があると規制を望む気風がある、規制大好き国民だ。この気風は政治家が改革を嫌う・業界を保護する体質と非情にマッチしている。国民も規制を望んでいるわけだ。
なので「改革」というのが話題になる度、誰が望んでいるのであろうと不思議に思う。でも全体最適の観点では規制は無い方がいいと僕は考えている。まぁ国民は総論賛成各論反対なのであろう。これこそが政治家が望む「要望の姿」なのであろう。

 

2)国家よりも、自分の票や既得権益団体の利益が優先する

政治家が日本のことを考えていないというのは言い過ぎの面があろうけれど、論理的には日本の全体最適よりは個人の利益や票の利益が優先すると考えるのは自然である。
郵政族・農林族といった族議員は業界を最優先する。下手に日本のあるべき姿なんかを考え出したら規制緩和・改革が必然で、選挙で落ちてしまう。
他にも政治ではよくイデオロギを基にしたと思われる議論が出てくる、例えば原発反対とか自衛隊反対とか。イデオロギは現実的な利得とは合致しないことが多く、イデオロギを基盤とした論理はテクニカルにならざるを得ない。すると論理の応酬は複雑怪奇で、まぁイデオロギを主体とした発言を行う義務がある政治家がある一定数居るということだ。

 

3)論理が精緻すぎる

あと政治家は論理的に精密な傾向がある。揚足を取られないようにするということが行動原理で、自然相手の揚足を取るというのが構図なのであろう。論点が小さいわけだけれども頭が良い人が政治家になる傾向があるのでその論理は精緻すぎる。この点が政局を好む背景にあるのであろう。マスコミも編集は業界のことは分からない上で記事を編集するので、論理の穴を突くという手法に頼ることになる。まぁそれは仕方が無い。仕方がないけれど一緒になって政局ごっこを追っかけるのもどうかと、、、マスコミさんごめんなさい、政局を報じなければ政治を報道しないことと同義ですね多分。

そしてもう一つ気になるのは、歴代の首相は論理の精密さと支持率を気にしているようですけれどこの2点を満たすのは非情に難しいと思います。最近の首相では論理の精緻さを放棄した小泉元総理くらいではないでしょうか。

 

4)野党と与党非主流派が政局に没頭できる理由

自民党の谷垣氏は民主党菅総理に協力をして日本を最速で復興するという理念よりも、自民党や自身の立場を優先した結果が「政局ごっこ」だったと思います。常識的には非情に不味い立ち振る舞いだとは思うのですが、顧客が固定されていれば、その顧客を最優先する必要があります。下手に菅民主党に協力して自分の地位が没落したり、次の選挙で負けたら意味が無いからです。
小沢氏はもっと危機感があると思います。菅総理が上手くいけば自分の影響力は下がり、民主党が失敗すれば手柄は自民党に持ってかれるわけですから。なので露骨なのが小沢氏で不思議はないわけです。

 

 

 

結論じみたもの

政治家職業上の常識である「票を囲う」は顧客の固定化というメリットはあるけれど、「政局」という不安定な寝技に持ち込まれると脆弱になる。党利党略のためには津波・原発事故が起こっても協力は期待できない。その程度に政治家は信用できない。
かつて熱狂的な人気のあった小泉氏は「改革」がスローガンであり、既得権益者(郵政族)に喧嘩を売ってきた、そして彼自身が保護するべき団体は(僕には)見えにくかった。

以上から、イデオロギや既得権益と無関係で経済学を大本とした全体最適を主体とする政党があってもいいのではないか。
例えば「みんなの党」がそういう候補なのかもしれない。けれどへんな経済理論をぶち上げていて識者には不人気だし。細かいところは目をつぶるのか、みんなの党が変わるのかは分からない。しかしその希望は上記に挙げたように皆無である。

明治近代化~太平洋戦争敗退~に次ぐ大事件であると思うんだけど、、、、政治は変わらないらしい。

小泉氏という成功例があるのだから理論で経済政策を動かしていき、改革をモットーとした党があってもいい。

 

提言

以上を踏まえて政治家のイノベーションを提示しよう。

1)イデオロギで論じない
イデオロギは結論が先に決まっていたり、そのため都合の良いデータを持ち込んだりするので、イデオロギフリーの立場で政治を考える。その指標は経済(お金)とする。

2)規制は無くす
規制は消費者の為に存在するのだけれど、それは嘘で、業界の為に存在する。規制は無い方がいい、そのためには国民(マスコミ)と規制による利益・不利益をコスト・リスクで論じる必要がある。ちょっと気をつければ必要が無い規制が多いと思う。そして「ちょっと気をつけなかった際」のリスクが高コストで、どちらを選択するかという視点で論じられる必要があると思う。

3)改革を前提とした政治家を選べるようになってほしい
団体利権確保政党でないことを明示した政党が欲しい

政党は顧客を票としての「団体」と見込んでいると思われるが、その常識を疑って欲しい。過激な文言を述べるのではなく、「日経が淡々と語るような」政党があればいいなぁ。最右翼は「みんなの党」なんだけど

票田を意識しない政党があればそれがイノベーションだと思うんだけどどうかしら。

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給食に地元産食材を拒否する保護者に対する雑感

福島県や茨城県で「地元産食材」を給食に使用する拒否感が保護者に多いということらしい。

子供に対して安心を低コストで追求する方法論としては理解できるのだけれど、そういうことが許される「学校」という異常さをも感じずにはえない。
(給食に供される食材は検査済みで放射線被害が軽微であるという前提で述べていきます。)

県や市などの自治体が給食に自治体産の食材を使用したいインセンティブは理解できる、放って置いても風評被害で低迷するであろう産業を給食が応援するのは自治体職員として自然の意識だ。風評ではなくてガチで被害を受けているエリアもあるだろうし、「県」という単位で安心・不安を決められたら堪ったもんではないという論理は理解できる。危険なものをごり押しする気は無いが、検査をして安全宣言が出されたモノについては流通させたいというのが生産者・関係団体・関係自治体職員の総意であろう。

先ずは安全面で問題ないとしたら、クレーム内容は不安面の問題であり、納得できない父兄の子弟は弁当を持参することを許可すればいいのではないかと思う。(各家庭の食中毒リスクの方が余程でかいと思うけど、給食を食わなければ安心だというのであればまぁそれもいいと思う。食中毒で当たっても普通は死なないし。)
まぁクレームのお作法とすれば「その負担(弁当を作るという負担)を父兄が負うのはおかしい」というクレームがあると思う。これには非常に悲しいけれどその児童は絶食で対応するしか無いと思う。クレームを入れた側の都合が歩み寄りの観点が無いということがあるらしいんだけど、、、まぁここは非情で。安月給で肌理細やかな対応は無理っす。

 

上記はギャグか僕の創作か分からない。でも本当にこの手の主張があるとすればその逆を論じてみよう。以下妄想というか創造。

 

父「給食に茨城・福島県産の食材を入れるなって申し入れたらしいな?」
母「うん」
父「茨城県・福島県の農業人口がどれくらいか知ってるか?我が社へのボイコットが始まったぞ。その賛同者が俺の嫁だと認定された。俺は良くて左遷だ、悪ければ首だ」
母「えっ、なんで?」
父「わからないのか、、、、、、、、、、、、、、、、、。」
母「差別?」
父「差別をしたのはお前(母)だろ。」
母「」
子供「言わなかったけど私いじめられてる」
父・母「・・・・・・・」

 

というような事態を引き起こさないで欲しいと思う。
いや違うか、地元の雇用を真面目に考えるのであれば不勉強な(というよりは分かっていて安心サイドでなりふり構わない)PTAよりは実業を重視することが大事だと思う。もちろん嘘はいかんよ。自治体は非論理的・非科学的な要求を全部拒まないとならない。ありがちなのは有力者の嫁の強請が、、、、みたいな。

そういう意味では不安をネタに職や雇用を揺さぶる者に対して村八分もあってもいいかも、要は政治の話だけれど。

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理念に現実をあわせる愚行

社会に対して「○○あるべき」というような理念先行型の人がいる。例えば「原発は無くすべき」とか「先祖代々の教えを守るべき」とかまぁいっぱいある。その心情は非常によく理解できる、私も青臭い学生当時はどちらかというと左巻きで、社会党(当時)に親近感を抱いていた。

まぁ僕の経験だと理念で難しい、というのは論者が理念に合致する事態を取捨選択して論じるものだから説得力が全くないのだ。例えば反原発派の論理も「無くてもやっていける」とか能天気な論がほとんどだし、原発を止めなくてはならない論理が堅牢ではないのだ。

また日本人は議論が下手糞だという点もあるのかもしれない。論理ではなくて人格を否定しだす。その被害者は歴代の総理大臣だ。
小沢氏が菅総理のことを批判していたが、僕には何を批判しているかさっぱり理解できなかった。僕の理解では「菅が憎くて」という感情をぶちまけただけである。
例えば菅総理は非常事態という特殊性があったにせよ、民間企業の東電の事故処理の処置に中途半端に介入した、また中部電力の浜岡原発の停止を決めた。法律の根拠が無いので東電・中電は困惑したであろう、どう扱っていいものかと。結果的には政府は混乱を引き起こしただけらしく実務に影響が『なかったらしい』ので実害は無かったけど、法治国家なのに法的根拠が希薄な指導が目立った気がする。だがそういう点を小沢氏は指摘したのではないようなのだ。彼は具体的なことは何一つ語らず菅総理の悪口を並べたので、、、面倒くさいと感じた。

おっさんになってくると理念は理念で必要なんだけど、現実の方が先にあって、現実をどうにかするということが実務の重要課題となる。実務上の問題点を挙げて優先度を決め、その対策を考えるという作業には理念は邪魔になることも多い。また優先度が高い問題でも反対者は居るわけで、そこを論理で口説き落とす作業が必要となる。その作業で【理念】なんかを持ち出すとまぁ議論は拡散する一方で何も決まらない。
例えば原発即時停止という議題には「原発をとめるべき」という理念から入ってしまうと、何故その理念が必要なのかという点ですぐに紛糾する。理念は論理で武装されるので「浜岡を止めてしまうと他を止めない理由が無くなる」となり「じゃぁ止めましょう」→「お前馬鹿か、現実を見ろ」という論理闘争に入ってしまう。論理闘争に入ってしまうと論理のためには現実を犠牲にするだけである。普天間・辺野古がいい例だ。
僕が中電の社長であれば「浜岡でフクシマが起きた際の損害保険を受ける会社はあるか、その掛け金はいくらか」と問うであろう。その保険料が止めるよりも低コストであれば稼動。保険の引き受け先が無ければ、または止めた方が安ければ止める。理念なんかクソクラエだ。

 

話は飛ぶ。福島県・茨城県の給食で地元野菜の使用を保護者が拒否したということらしい。これを産業復興という理念で考えてみれば彼らは「勝手にすればいい」存在で、地元経済よりは根拠の無い風評を信じる非国民ということになると感じている。僕個人は消費者は風評を含めた経済活動は仕方がないと考えている。しかし公教育の場で、出荷検査を行った商品の給食を保護者の反対で換えるというのはどういうロジックなんだろう。JAは「県」ではなくて、教育は「県」なのだろうか。
話は対極的なのだが、税金を投入する給食に理念が無い、産業保護の観点が希薄というのは逆説的に納得いかない。

納得いかないエントリーですね。

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安全を売る人と安心を売る人

僕はメーカーの技術屋でどちらかというと安全サイドの人間だけど、安心屋の方が顧客の需要を捕らえている。というのは安全屋は原理的に物事を捉えようとしている訳で、そのロジックは一般人には非常に分かり難い。その上安全屋は法律を遵守しようとするので、正直に言って「顧客志向」とは言い難い。

報道なんかを見ていると消費者が求めているのは安全ではなく安心であることは明白だと思う。メーカーとしての顧客である流通は「法律は遵守して欲しい」けれども、、というスタンスであるが。安心で売りたいけれども小売業としては根拠の無い「安心」を売るのは倫理に反するといったところか。でも消費者は安全でなくて安心を求めているので「安心の危険さ」を吹聴するわけにもいかない。

また健康食品や化粧品など薬事法上効果効能を謳えない商材で、でも単価の高い商品を売りたい。

 

ということを踏まえると例えば医者は代替医療を嫌うことがよく分かる。論理で安全や効果を語る医師、いわゆるケア系に特化して安心を売る偽科学系(例えばホメオパシとか有機無農薬系とか)の方が顧客満足度が高いことは当然である。小難しい話をする医師よりも身近に話を聞いてくれる安心系の団体の方が顧客満足が高いのは簡単に想像できる。

医師の多くは安全をベースに例えばワクチンとか投薬を考えるであろう、しかし顧客が安心を求めているとしたら風景が変わる。

例えば漢方薬でナチュラルに体質変化を目指すというようなアプローチが出来るのではないか。(漢方でも副作用があります「漢方だから安全・安心」という論理は成立しません)

 

安全は結構複雑な論理思考の結果であり、専門家以外には分かり難い。安心はいろんなアプローチで売り易い、例えば自然・健康・有機・ビタミン・脂肪、切り口は色々ある。科学屋が断言できないことを安心屋は断言できる強みがある。まぁはったりが利くと言うわけだ。

 

誤解を恐れずに言うと安全屋は儲からない。いつでも儲かるのは安心屋だ(誤解を恐れずに言うとリスクがあることをわかっていて断言する商法だ)。健康食品・化粧品・アルコール・タバコ(いわゆる生活必需品でない群)のCMのキャッチコピーがすばらしいこと。安心屋(非科学屋)は安全屋(科学屋)よりは攻撃範囲が広いのでなかなか魅力的なプロモーションを繰り広げている。というより反社会的商品メーカー(例えば酒・煙草)でもキャンペーンで優良企業の地位を得ていたりする。

ぶっちゃけると多くの企業は安心屋のマーケティング部門と安全屋の品質保証部門を持っていて、マーケティング部門の考えた表現が薬事法などに抵触しないか品質保証部門がチェックするシステムとなっている。

医師などマーケティング部門を持たないシステムは安心屋が跋扈する現在を歯噛みすることになる。

安全を売る人は安心を売る人よりも一枚価値が低い。(さすがに言い過ぎですね)
僕を含めた単純な技術屋は「安全が絶対だろ」とか馬鹿なことを言っている、多分。安全の方が価値が高いと誤解している。しかし現実は安心の方が消費者の心に響く、彼らは頭がいいので利益率とクレーム率を考えて値段を設定している、だからこそサプリや化粧品は値段が高くても売れるのであろう。

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経済活動に優劣をつける欺瞞~パチンコ業界でも正々堂々と電気を-15%を遵守すべき

倫理で業種を峻別するのはあまり得策ではないと思う。例えばTOYOTAがいくら生産時の電気削減や燃料削減を訴えたとしても「石油」という有限な資源を移動・輸送に使っている事からは逃れられない。論理を極めてしまうとブラックな企業となってしまう。しかし石油は非常に安いので別にTOYOTAでなくても輸送・移動としての燃料に使われている。そのことは非難することは簡単であるが代替案は当分見つからない。

同様に家電業界も「使う」ことが前提であり、減らしたって使っていることには変わりない。クルマがガソリンという一次的なエネルギーを使用するのと違って家電は必要かどうかはともかくエネルギーを電力に求めている。

家電メーカーは節電を推進する上で非常に重要なプレイヤーであるが、論理で考えると彼らの商品は「電気の使用を前提としている」わけで、、、原理主義者がイラつきそうだ。
では生活必需品を供給しない事業者は節電に貢献しろというスタンスが述べられていて、その究極が「パチンコは必要ない」という主張がある。パチンコという倫理的にちょっと必要悪的な存在への拒否感の表明であり、倫理を背景にその動きを強行しようとする雰囲気がある。

これについてはすごく違和感がある。当然ながら法解釈的には業種の行われてはならないというのが原理的な解釈である、しかしそれを倫理で貶めようとする見解だと思う。

事業者がある日突然「お前の事業は駄目だ」と言われたに等しい、経済の自由主義の拒否である。特定事業(例えば通運)が優遇されるのは仕方がないとしても、とある産業が優遇されてパチンコが否定されているのか分からない。税制の優遇処置をあったのであろうか?外食産業や健食は食育のターゲットであるし、不動産事業は国土の切り売りの根本なので同時に不遇を処置すればいいと思うんだけど。

僕はパチンコはやらないけれど大人のアミューズメントとして認知されているのであれば(そうでなければここまで産業として成長できなかったはずである)、それなりに税も納めている訳で、、。それよりは黒字化する気が無い赤字の個人商店や企業に外形標準課税を課す方が余程合理的だと思うんだけど。共産党さん頼みます。

 

要は企業の業種で尊卑はないということ、個人の出自や業種に尊卑がないことと同じことだ。そういう原理原則が成り立たないとしたら日本(東京)は計画経済の社会主義だと思う。そんなんで法人税が伸びないという悩みはギャグとしか思えないんだけど。

賢者は歴史に学ぶというけれど。東京は旧ソ連のコルホーズで、民間主体の自由経済を認めないブレジネフにそっくりだ。今はまだ裕福だから、でももう。

 

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サプライチェーンの短縮化と停電時間に関する雑感

今までの電気代が国際水準で高いというのにさらに電気代を上げるか?という議論があるのは承知しているけれど、東京と他国の年間停電時間との比較で論じているのは無い気がする。例えばこんな資料がある。

電気代だけを取り出せば日本の電気代が高いのはそうなんだろうけど(資料下調べなし)、停電時間という品質には余り言及されない。もちろん安くて停電する方がお得なのかもしれないし、それはトレードオフの関係で送電・発電を分離したとしても電気代が安くなるとは限らないということだ。

それでも僕は送電・発電の分離をした方がいいと思う。理由の一番は「規制は無いに越したことが無い」ということだ。リスクはあっても原理原則で貫いた方が、今は不幸でも将来は幸せになると信じたい。

 

本題なんだけど、今回の震災で「この企業しか作っていないモノ」が割と多数有って、その企業が被災するとかなりの生産上の影響が出るらしいことが分かった。例えば食品に多く使われるPPフィルムとそのラミネート(接着)する接着剤は代替品を探すので苦労した。商品の上で包材コストは結構高いので、コストダウンにはゲージダウン(膜厚減少)とか商材は多岐にわたることになる。性能としては理論上は「ギリギリ」を目指しているので、代替品の検討は時間を有すことになる。面倒だけどやらざるをえない。

 

自動車業界が主なのか分からないけれど、生産性の低下をサプライチェーンの脆弱さで語られるシーンが多い気がする。結論なんだけど、電力品質と地勢コストは必ずしも比例しているわけではなくて、日本の停電時間の短さが人件費と(まさに)インフラ代を効率で相殺できるかもしれないということだ。

あといくつか。海外移管生産は「量の規模」を前提としていることが多いけど、今の商品開発速度というかリニューアル速度が早いと量の規模は正とは言えない気がする。あと水を米国や欧州から輸入するビジネスが成功しているけれど今後も成り立っていくであろうか?論理としては成り立たないわけだけど。

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周期表を喫煙場に張る件

えーとJTタバコに不自由していまして、僕の愛煙銘柄はロングピースなんだけど供給は7月上旬らしい。他のタバコを吸っても満足できなくてたくさん吸って気持ち悪くなるとかアホな日常である。もう辞めようかな。
ちょっと聞いた話だと例えば「マイルドセブン」は全部同じ葉っぱで、フィルターで調整していると聞いた(根拠希薄)。ならばとピースライトを調達してフィルターに空いている穴をテープで塞いでみたところ少し濃くなった、少し満足した(自己満足ベース)。悩んでいる人は試してみてください。

 

標題の件、半減期や元素名が飛び交う最近の雑談に周期表と世界地図が必要だと思う。セシウムの分子量だとかを直ぐに実感するため。まぁ最近は平成の大合併があったりしたので日本地図もいいかもしれない。喫煙所を知的な場にするとたむろ者が多くなりより迫害されるかもしれないけれど。

 

で、「水兵リーベ僕の船~」でおなじみの元素番号暗記語呂合わせや、「閣下スコッチ博労マン~」とかは割りと誰でも知っているらしいんだけど話題のハロゲンってどうだっけというのが話題になったりする。えーとそれは「ふっくらブラジャー私に当てて」でしょ、とか突っ込むと意外と知られていないことに驚いた。ちなみにハロゲン族は【F(フッ素)・Cl(塩素)・Br(臭素)・I(ヨウ素)・At(アスタチン)】なのだ。僕の知っている限り全てエロで簡単に覚えた記憶がある。まぁこんなサイトがあった。このサイトでランタノイドとアクチノイドを覚えてもぴんとこない、それでは意味が無いので喫煙所には周期表が必須である。

この手の語呂合わせはほとんどがエロくて学校では教えてくれない。でも一回教わると忘れない、歴史系の年号語呂あわせと異なるところだ。

歴史:鳴くよ(794)鶯平安京 平安遷都
化学:へんなネーチャンある暗闇でキスの連続(He Ne Ar Kr Xe Rn)  希ガス  その他元素縦系エロ多数。

と化学語呂は学校教師が積極的に教えないのであろう。化学屋への名誉のために他の語呂を上記サイトから発見したので取り上げよう。

リアカー 無き村 K村 馬力 借りようと 努力 するもくれない(Li赤 Na黄 K紫 Ba緑 Ca橙 Cu緑 Sr紅)
うーん、エロに比べて馬力が無いのが残念だ。

まぁ受験生、がんばってくれ。喫煙者は知性を喫煙所で磨け。

 

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賞与への震災の影響

賞与の記事が載っていたがちょっとした疑問。
東電の支給額は?「夏のボーナス」独占大公開だぁ~zakzak

似たような記事が日経産業でも出ていた気がする。日産なんかは震災で工場が被災したにもかかわらず10%増の100万超えだ。期の区切りが分からないけれど9-3月期は時期ということかしら、そしてきっちりと前期分で計算しているのかしら?今期分の生産計画に対しての遅れは冬のボーナスに反映されるのだろうか?一方で東電は50%down、よくわからん。これは対外的な数字なのかもしれない。また王子製紙・日本製紙は震災企業だよなぁ多分。

疑問なのが保険はどの程度企業の設備に掛けているのかよく知らない。減価償却された設備には損害保険は掛けられないよなぁとか素人の疑問が沸く。そういえばこの表には損保が載ってないなぁ。

当たり前なんだけど、これを見ると規制産業はやらかすとやばい、安定企業とは言えないという事実が浮かび上がる。もちろん非規制産業も経営が失敗したら泥沼に落ちるけど。

 

5/25追記
日経産業を確認したら日産は今期は減益、ソニーは3期連続で赤字だそうだ。うらやま

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環境省のスーパークールビズへの無理解をアパレルは激怒しても許される件

今夏のスーツ&シャツは「スーパークールビズ」傾向 - 環境省も6月から実施(マイコミジャーナル) - goo ニュース

環境省の指針としてジーンズを可とするらしいんだけど、どう考えてもジーンズよりビジネススーツメーカーのスラックスの方が涼しいと思う。Yシャツも半袖を認めてくれたらポロシャツよりも暑いとはいえないと思う。まぁポロシャツは下着がなくていいとか個別の案件はあると思う。下着が要らない涼しいYシャツがポロシャツへの対抗措置だろう。例えば荒い網目で厚めの生地でのYシャツとか。

僕個人の倫理的な意見で言えば、、。その結論は僕の職場である研究所への営業はポロシャツ・綿パンでも可だけど、本社での打ち合わせでは最低でも半袖Yシャツだと思う。個人的にはネクタイは無くてもいいと思う。もっとも上の人であれば中は半袖でも上着が居るだろとかは普通にあると思う。

 

僕の属している企業では政府発表を重んじるので、そのままなんだけど、そもそも政府発表がおかしいという突っ込みは無い。

 

いやジーンズでも上品に着こなせると思います。しかしそれはものすごく暑いと思われます(化繊のダサい薄手のが無いとは言いませんが)。多くのジーンズは綿のスラックスより暑くて、化繊のスーツズボンの方が圧倒的に涼しいと思います。官僚は頭がいいので科学的に間違った情報を流布するとは思えません、一方賄賂には弱いという個人的な感想があります。ということは暑いジーンズをわざわざクールビズに許すということは江戸勝とかの企業群の営業努力=賄賂が、、、、。さすが環境省、痛い腹をさぐられまくりですね。

標題の件、賄賂を貰えば業界の常識なんぞどうでもいいんですよ。でもそれでいいんですかね?

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若者が3年で辞めるのは当然だと思う

【仮説】若者の就職難や早期退社の原因/川口 雅裕(INSIGHT NOW!) - goo ニュース

私の経験上では記事は論理的ではあるもののちょっと外していると思う。僕は約20年前バブル直後に社会人になったけど恵まれていると思う。ちなみに僕は転職経験者だけれどもその理由は「給料が上がらない、ポストが上がらない」というのがその理由、いわゆる閉塞感と言う奴だ、多分若い彼らが辞めたのとそうは変わらないと思う。以下は全て僕の個人体験談なので一般化できないことに注意。

1)昔は金があった。
僕が入社した当時はバブルが終わった辺りで、その会社では従業員一人当たりの売上が1億円に達していた。給与は安く押えられていたけれど、手当てで稼ぐ土壌だった。新入社員の僕は生産応援要員で、3直2交代のシフト員になり夜勤・休出・残業で手取りが30万くらいあった、それが5月から9月まで続いた。その企業では3直2交代の現場の係長が一番稼ぐプレイヤーで工場長より給料が良かった。まぁこれは中小企業の事例であるが昔は給料が良かった。

2)余裕があった
僕が入社した当時はグループというか先輩に付いていたり、スキルとして学びたい事項(例えば設備のオペレーティングとか、研究設備の習得とか)に好き勝手させてもらえた。本当の新人は何を勉強したらいいか分からないものだけど先輩が「アレをマスターしてみたら」的なサジェスチョンもあった。そこで客先の設備の研修やテストに積極的に参加して、従前はテスト依頼をしなくてはならないことも自分でできるスキルをつけた。これが後々役に立った。
他にも上司はクレームにはギスギスしていたけれど、研究所員ペイペイへの仕事の振りは部門長の直接統治というよりは先輩を含めたグループでの報告がメインであった。上司によって対応は様々なので「こう」という正解は無いのだけれど今よりは緩かった気がする。緩いことが生産性と直接関係ないことに注意。その分残業をすることが多かったと思える、しかし役割を自然に身に着けるだけの時間軸があったと思う。何度も言うけどその分残業は多かった。

3)成果主義がチーム主義を崩壊させた
ポストの有無と密接すると思うけど、経済が膨張しているときはヒエラルキーがピラミッド型であった。ところが経済が停滞してくると新人採用を抑えるわけでともすれば逆ピラミッドになる。それだけでも組織は停滞する。例えば大卒・院卒が配属される研究所みたいな組織でも茶筒型の人員構成になり、経営が芳しくなければ無理やりもとの三角錐型を志向する事になる。大卒で研究所に配属された新人は「課長ぐらいにはなれるよね」と思っているわけであるが、実際そうだし、それが成果主義でふるいに分けられるようになる。成果主義の根拠は個人の成績なので年初に「これこれやります」と宣言しているわけで、組織への忠信は持ってはいても根本の部分で納得行かなくなる。

多分、その研究員(まぁ僕のことだけど)はチームへの帰属心は多々あるのだけれど、それよりは半期に1回出す書類に何て書こうかとやきもきすることになる。上司は自分のことを悪く書けないことも知っている、それでも「成果主義の上申書」に傷をつけたくない。個人主義が少なくとも幅を利かすことになる。上司が一体感を醸成するのが上手ければ問題ないと思うけど、逆に言えば個人主義的な上司は困ると思う。
「成果主義の自己申告」の意味不明さが混乱の大本だと思う。上司が数字や成果を明示して「それが達成できれば昇給、できなければ減給」と勝手に言い渡されたほうが余程楽だ。もっともできそうも無い成果を言い渡されれば次に日から半年以内に転職活動が必須だろう。

4)論理主義が部下を萎縮させる
ロジカルシンキングとか大人気だけれど、部下を論理で追い詰めるのは上司として最低だと思う。しかし社会に放り出された羊に上司は論理でやっつける。経験豊かな上司・先輩が論理で新人をやっつけたら、新人は勝てるわけが無い。ビジネスシーンで誰かを論理でやっつけることは可能だと思う。しかしやっつけられた方は汚名挽回のチャンスがあるかどうか分からず、途方にくれるだけだ。馬鹿みたいに「俺って頭いいよね」的に弱者(部下とか取引先の若い営業マン)をやっつけて誰が得するんだろう?個人の見栄を満たすために部下や若い営業マンが凹んで何かいいことがあるのかしら。多分やりすぎると誰も相手をしなくなって、、、カウンターパンチだと思う。

 

というようにバブル期は膨張の時代なので現金が廻っていて、それなりにいい時代だったのかと思われる。しかし、閉塞してくると個人の醜さというか主義主張を徹底する勘違いさんとかいろいろ出てくる。

結論じみたもの。Link記事は僕の属する企業ではありえない。まぁそれでも今の若者は僕よりはすごく大変だと思う。若者よ、腐らないでね。

 

5/25追記
中堅が上司やお偉方に論理でやっつけるというのは余り聞いたことが無い。というのは「いいからやれ」という伝家の宝刀を抜くからだ。
しかし実情は伝家の宝刀は抜けないから宝刀なのに抜いちゃうと偉いことになる。まぁ左遷が待っていた気がする、割と高確率で。喧嘩を売った部下が優遇されることもないのであろうけれど、喧嘩を売られた上司も落っこちる。

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儀典における国歌への対応(主催者側と参加者側の観点)

橋本知事「国歌斉唱で起立しない教員は免職」~YOMIURIONLINE

イメージとして社歌の斉唱を拒否したら罷免されるというのに近いのかしら。このニュアンスで違和感がある人は府教委側の人間であるのかな?僕は理念的な組織のルールを守れない人間は組織になじめないとして、「この程度」のことができないのは理念の共有で組織の成長を目指すという行為ができない人間で、彼は罷免に値すると思う。そもそも本人が苦痛じゃないかと思うんだけど。いやらしく権利がとか言ってんのかしら。

いや、そもそも教員が儀典で国歌斉唱や日の丸掲揚が行われるのは周知の事実で、それを知っていてできないのは十分に罷免の理由となりうると感じる。ましてや「教育の問題でもある」。個人のくだらない理念で国歌斉唱をできないのは個人の問題であり、僕には理解できないけれどそこまで嫌であればそもそも教員を目指すのが間違っている。職務で嫌々でもできない輩は職務や組織の問題と個人的な信念を理解できないか混同している人間であり、メンドクサイ。
さらに当たり前なのだが教員が主催者側という点が重要であろう。主催者側が(卒業式などの)儀典に荘厳さを演出するのは理解できる、個人的には賛同しないけど。その趣旨から言えば国歌斉唱で起立できないのは組織としては欠陥だということ。ましてや保護者として参加して起立をしなくてもその点を非難しているわけではないこと。

僕が何かのイメージを感じたとしたらそれは「こんな条例を作る必要があったのか」ということに驚きの念を感じる。公務員の行動規定は法律や条令によるのであろう、一般の会社員であればうやむやにしたり苛め抜いて追い出したりという事が考えられるが、「公務員は法律で規定していなかったら何をしてもいい」という事実が明らかになって、その対策として条例が提出されたのであろう。非常識な主張に対して条例で対応したということであろう。府が条例を作る必要がある程度に無茶苦茶な人材が存在するのであろう。そして組合やその起立しない教員を応援する寄り合いが調停機能を有していないという事実にびっくりする。

府立高関係者は「大阪だけ厳しい処分基準を設けるのはおかしい。処分権の乱用だ」とのことだけど、まぁこの人は罷免していいと思う。論理がおかしい。

ここからは揶揄というかネタだが、この調子だと「労働とは道具を持ってものを作ることで筆で書類を作るのは労働でない」という宗教に入信していたらそれが通る世界なのであろう。また雇用以来ずーっと病気でサボっている公務員は割りと多いのかもしれない。

 

同記事のはてなブックマーク

で現時点での人気ブックマーク上位7コメントは賛同が4で否定が3であった。組織人が業務を行う際に個人的理念が優先されるべきという前提はちょっと理解しがたい。その上、理念屋は「北朝鮮」とかまた頭が悪い(賛同者には理解できない)表現を使っている。なんだかなぁ。

 

個人的な雑感

僕は小中高学校の儀典を荘厳に演出するそもそもの意味がよく分かっていない、だから荘厳でなくてもいいと思っている。国歌斉唱も国旗掲揚も必要ないと思っている。根拠の無いナショナリズムは差別の温床になるし、冷静な政治判断もできないと思う。過去政治的熱狂はろくでもない結果をもたらしてきた。ある程度完成された今の社会組織には熱狂的な革命機運は必要ない。なので義務教育に求められるのはあくまで冷静に判断できる論理力や科学力で、政治的熱狂に流される必要は無い。そのためには「国家への忠誠」を煽る必要性を感じないのだ。これっていわゆる左翼屋さんの考え方なのかしら?だとしたら国歌斉唱で起立できない教員は革命主義なのだと思う、そんなのは国家で雇用する必要は害悪である、解雇してもなんの問題も無いであろう。

儀典を荘厳に行いたいのは主催者(卒業式であれば校長)が自身の威厳を醸成して天下り先で「人格者であります」的な評判を作り上げたいからだと思う。要は儀典は主催者(校長)が主役ということ、荘厳な式典は主役である生徒では無く、主催者側に必要な理由があるのだと邪推する。不世出の創業者が自身の苦労や成功を従業員に魅せしめるのと同じ構図か。創業者はカリスマになりたいし、カリスマであることを部下に疑われたくはないし、、、、という結果「唐様で書く3代目」となる。まぁ公立学校の校長は世襲ではないので自身の魅力度向上にいろいろな工作を図ることになるのであろう。

と妄想している。

とはいえ、スポーツの国別対抗試合では君が代に素直に感動できる。まぁ雇用を掛けて反対する価値は無いと思う。表現方法が稚拙なので誰も応援しないし。

 

えっ、何が言いたいかって?「公務員は信念ではなく仕事をしろよ」ってことで。まぁ式典の如何わしさは十分感じるのですが。左翼(って括りが不適当だとは認識しています)は論理の掘り下げ度が著しく低く他者に伝えるだけの論理堅牢性が全く無いですね。はてぶの「北朝鮮」とか意味不明ですし。本人的には論理を純化したと思っているのでしょうが、他人に理解させるのが論理で、ある意味議論に勝つツールという側面はあります。しかし自分の論理で自分が酔っていてもさすがに他人には理解できません。アホに見えるだけです。

 

5/23追記
橋下知事も理念で君が代斉唱を強いているのではないと思う。儀典の荘厳さが必要だと思っているのだと思う(その理念には懐疑的であることは述べた)。そして表の顔と裏の顔を使い分けられない理念屋教師にルールの厳正を期したということであろう。君が代斉唱を出来ない人は理念に値段をつければいいと思う。自分に嘘をつくことが全く以って出来ないのであれば教職から去ればいいと思う。僕だって会社の理念や社歌に100%同意しているわけではないがそのことを吹聴する気はないし、外見的には守っている。それが出来ない人は給料よりも理念の値段が高いのだからさっさと辞めればいい。
大本の根本の儀典の荘厳が必要かどうか、儀典の荘厳さに君が代・国旗掲揚が必要かどうかは、橋下知事が言うとおり政治的な問題であるので政治で決めればいい。従業員が決めることではない。
面倒臭いことを引き起こして組織維持コストを増大している、そんな奴は解雇に値する。だから条例を作った。

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電力革命を起こす際のメモ

いわゆる消極的原発賛成派、現実的には「原発はなきゃ困るもんね、一斉に止めるとか無理」というのが日本人の大多数だと思う。一方で福島産の農漁業品は無理して買わないというのも大多数だと思う。これらは矛盾を内包しているわけで、マジキチな原発反対派はこの矛盾が許せなくてあらゆる論理を駆使して原発を止めようと論じている。

この風景を幕末期の吉田松陰の尊皇攘夷から高杉の倒幕、大久保・木戸の開国維新に至る滅茶苦茶さと重ねて見てしまう。長州藩は論理で尊皇攘夷を突き進んで、薩長の開明派が土壇場で開国洋式化でひっくり返した。原発反対派が論理で世論を動かせば、東電を潰して電力自由化に邁進する、さらに交流周波数の統一という妄想を思いついてしまった。

 

小浜線電化と三松駅と電源立地地域対策交付金~とれいん工房汽車の旅12ヶ月

では福島県または福島県双葉町にどんだけ金が落ちていたか想像する。悪魔的な発想だと「仕方なくネ」的な邪推がよぎる。記事は費用効果薄いなぁと思いつつも現実的にお金が落ちてきた実証である。賄賂として住民に現生を配るのがいいか、箱物がいいかは知らないけれど。言い方は悪いけど「被害者面はすんなよ、風評被害の前倒しを貰ってたんでしょ」的な意見がくすぶっていたとしても仕方が無い面があると思う。

では何故このようなお金がばら撒かれていたかというと原発リスクを引き受けた結果ということであろう。しかし、事故が起きたことを想定してでの行為ではないので今更ながら補償問題が後を引いている。電力各社が設置地域に「今までこんだけばら撒いたから何かあっても許してね」という契約を今更ながら結ぶのは困難であろう。

 

なので標題の件であるが、原発反対派は理念で突き進み世論を巻き込めば違った社会が見えてくるかもしれない。例えば5年で全原発を止めるロードマップを作成するとか、その結果温暖化対策は原因系であるCO2の削減はせずに温暖化対策で対応するとか。現時点で原発を止めて省電力やグリーン発電で対応するというのはちょっと理念的過ぎる。しかし5年程度のロードマップを考えると非現実的ではない。もっとドラスティックな方法もあるかもしれない。昨年米国が海底油田でやらかしたけど原発による放射性物質の拡散と油田事故による海洋汚染の優先度が真剣に議論されるとか。

とにかく残念なのはイノベーションが語られないこと。しかしイノベーションの変革は現時点で可視化できないであろうからだったら原発反対派が世論を動かして見えてきてからひっくり返してもいい。そのことで言ってはいけないNGワードは「節約」である。経済が発展するためには消費の膨張が不可欠で、電力供給の低レベル化は受け入れてはいけない。まぁ論理のためのキーワードであれば仕方ない面もあるであろうが。要は常識的に「原発って必要だよね」という市民の意識を革命できるかどうかだと思う。

 

なので原発反対が「尊皇攘夷」に邁進すると面白いと思う。もちろん一部政治家は見えるのかもしれない、その後全然違う世の中が出現するのがイノベーションだと思う。

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風俗(キャバクラ)ビルで就活生を見た件

横浜駅近辺を歩いていた。標題の件に行くか、目的について語るか悩む。自分の頭の中がうざいので感じたままに述べる。

横浜駅繁華街近傍に横浜平沼高校という偏差値64の高校が有る。ここの女学生が上品で、可愛くて割と贔屓にしている(見るだけですよ)。横浜駅には多数の女子高生が居るのであるが清潔さ・上品さは平沼高校が鉄壁であると思う。保土ヶ谷駅も使用するんだけど近隣学生はかなりダサい。横浜駅でも女子高生は多数居て、それなりにいけてる娘も多い。それはおしゃれでいけてる娘であり、上品さとは無縁な場合が多い。そういえば僕は根岸線としての京浜東北線を使用しているんだけど、山手には美少女が多数居るという噂はもうなくなってしまったのであろうか。

女子高生ウオッチングとしては横浜駅は都心までは満足行かないと思いますが、わりかし優秀だと思います。若者が集まるCIALもあるし、なんたって小職お勧めの横浜平沼高校が控えてますから。僕は全く好みではないのですが都心に比べダサいヤンキーも居ます。

 

標題の件。用事も無く横浜駅近辺を歩くことは少なくないんだけれど、先日キャバクラビルに細くてスタイルのいい就活ファッションの女性が入るのをみて感慨深い感情を得た。

純粋にキャバクラ経験がある女子大生が部下になる可能性は相当数あるのだということにえも言われない感情が走った。いやなんとも言えない感情なんですよ、彼女達を否定したいわけでもなく、(僕はキャバクラには行かないけれど)飲み屋のねーちゃんに対して思う僕の感情の経験(回りくどい表現は僕がほとんどそういう店に行かないからです)と、隙あれば触ってやろうというスケベ心とか。一方で弊社に勤める子女は健全であるべきというどうでもいい妄想が逡巡します。

現実逃避というか見たくなかったなぁ。

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原発を危険だという人々

標題の件、前記事の補足。

原発を危険だと述べている人が少なくない人数居るようである。僕も原発は放射性物質を撒き散らすようなことになれば「原発は危険」という認識でいたのだけれど、どうもそうでもないことが分かってきた。結論を述べる。「原発は危険ではない」、なので「原発を危険だ」というのは間違っている。そもそも論が間違っているから原発反対論のほとんど全てが胡散臭く見える。

まず安全・危険の定義であるが、疫病・放射線・危険物質の摂取などで身体に影響を与えるリスクの多少であると定義する。例えば肉魚介野菜の生食は食中毒リスクを高めるし、管理された食材は生食しても問題ないとも言える。喫煙は寿命を3年程度縮めるし、アルコール摂取も概して毒物を体内に入れており健康リスクは大きい。

日本で原発関連で亡くなった人数は東海村の2人で、現在福島第一原発の作業員の危険性はよく分からないけれど、それ以外の一般人は放射線リスクに晒されていない。チェルノブイリでは原発事故で亡くなったのは33人、あれだけの規模で放射性物質をばら撒いたにしては被害が大きくない。福島第一原発の事故を俯瞰するに「思ったほど危険ではない」ということが分かった。

 

こういう風に述べると反論が予想される。1つは避難民は何のために避難しているのか考えろといった論調であろう。これは危険な区域から安全な区域へ避難しているのであって、危険を避けられている。健康リスクを避けることができているのであればそれは危険な状態ではない。放射性物質を撒き散らすのは環境破壊だと論理のすり替えをおこす方もおられるであろう。若い方は知らないかもしれないが、昔の石炭火発の排ガスには硫黄酸化物がたっぷり入っており、水に溶けた硫酸の雨を降らせ北欧の森林を壊滅的な状況に追い込んだ歴史がある。原発が放射性物質を撒き散らしていい理由にはならないが火発なら安全で環境に優しいというのは詭弁というに近い。CO2が地球温暖化の犯人でその主原因が化石燃料を燃やすことによると大騒ぎしていたのはつい最近の話である。

少なくとも現時点では原発は危険ではないのである。

 

私は原発推進者である。CO2削減を考えたとき、どうしても原発の力が必要だと考えるからだ。

しかし、原発の問題点は事故が起きたときのコストが膨大であることだ。例えば風評被害や避難民の移動の自由を奪うのは経済の話で説明できる。危険安全が問題なのではなくて事故が起きてしまったときのコストの問題である。避難民の移動の自由を奪う対価はあまり話題にならないけれど、皆が納得できるまで補償していたら10兆円では済まないであろう。今回は国が助け舟を出すようであるがそれもおかしな話だ。また東電だからどうにかやっていけるかもしれないがもう少し小さい東北電力であればどうなったであろうかと思う。実際に余震で女川原発の予備電源に不具合が出たので福島第一のような悪夢が起きていたとしても不思議ではない。

原発は事故を起こした際の補償が膨大なので一企業が運営するのは非常にリスクが高い。原発操業40年で千年に1度の事故が起きたというのはちょっと有り得ない発想だ。素直に40年に一度くらい起こると覚悟したほうがいい。現在50基が稼働中なので事故を起こす確率は0.05%。これを多いと感じるか少ないと感じるか。

 

今後は事故は起きると想定して、危険・安全論に拘泥することなく、コストで議論をして欲しいと思う。もちろん、避難所生活の報道を見て「いくらもらってもあれは嫌だ」という判断があってもおかしくは無い。しかしそれは自治体が決めてはならないであろう。

ちょっと脱線。大熊町と双葉町への補助金と被害を受けた近隣自治体への補助金はどうなっているのであろう。福島県の市町村別世帯収入をみればなんとなく分かるかなと思ったけど有料の資料しかなかったので断念。だれかが町だから地元には金は落ちないと述べた御仁が居るようだけど、日本一有名な静岡県可美村は鈴木自動車の工場があるため浜松市との合併を断った歴史があるし、広島県府中町はマツダの本社があるため広島市に囲まれていながら独立している。町だから貧乏というのはちょっと青臭い意見だ。パイは分けたら薄まってしまう、独占するなら狭い地域で居るほうが良い。

 

菅総理が浜岡原発を止めるよう要請した。30年間で86%の確率で大地震が起きるという。この仮定を正しいとすると1年での地震発生率は6.6%。地震が直撃して事故を起こす確率を1/3とする(直近設備に影響を与える大地震は福島第一、柏崎、女川があった、そのうち放射能漏れは1箇所。なので1/3とした)、被害額を20兆円とすると期待値は年4,400億円になる。年4,400億円の掛け金を払って運転を続けるか(保険の引き受け先があるかどうかは別であるが)、止めるかだ。中部電力は浜岡を止めた時の燃料コストが2,500億円らしい。

 

やはりコストの問題である。危険安全の問題ではない。

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イデオロギの醜さ

原発でも普天間にしても、イデオロギ主体による意見の気持ち悪さは私だけの感想なのであろうか。

僕は原発推進派でその根拠は経済的な根拠であったり環境的な根拠だったので、事故が起こった際の費用負担が電力会社では賄いきれないことが証明されたので経済的に無理だと証明されたと考えている。イデオロギではなく財布と相談するということだ。原発が危険でないという自説は覆らないが、経済的に存立できないと認識している。

そもそも僕は全てのことについて「○○あるべき」というべき論が大嫌いで、多くは根拠を説明できない倫理観であったり、政治的な立ち位置だったりする。まぁそういうのをざっくりくくると、僕の認識では「イデオロギ主体」という事になる。このイデオロギはとても気持ち悪く、宗教のように「ある嘘を前提」としている。べつにべきで語らなければ議論もできると思うんだけどべきが宗教の原義と同じような立ち位置で語られても困るんだよね。例えば石原都知事が「パチンコは自粛しろ」と述べてもその「パチンコ」らしき企業とそれ以外の企業との健全さというか正当性は論理で説明されないし、その証明も難しいであろう。同様にイデオロギを主体に「原発憎し」の感情は感情以上ではなくてその感情を共有することは難しい。例えていえばムスリム原理主義が「欧米反対」というのに違和感を覚えるのと同等である。イデオロギ主体の原発反対には醜さを感じても共感は全くできない、いくら論理で武装しても透けて見えるのが馬鹿というか悲しい。

左翼というかイデオロギを源泉としての語り部はだから馬鹿にされる。外野から見れば説得できrないことに気が付いているうえでのマスターベーションと感じる。説得できる気でいるとすれば、僕にとっては馬鹿この上ないのでまぁ放って置く。知性がある人がイデオロギ主体で論じることに意味が見えないのだ。なんでああまで大上段で語れるのかなぁと不思議なんだよね。そして牽強付会に論理をイデオロギに収束させようとする様は本当に醜い。

 

具体的に例を挙げる。イデオロギ屋は今回の福島第1原発の事故で「原発は危険であった」と宣伝したいようであるが、死人はいないし、どう考えても危険ではない。避難民とかその補償とか全て経済的な問題である。要は便乗危険屋と言える。危険でないことがイデオロギというメガネを通して見ると危険に見えるということだ。危険屋は馬鹿でうざい。それよりは原発が「放射性物質漏れを起こす事故が起きる」かもという前提に立てば経済的になり行かない可能性が示唆された。菅総理が30年で浜岡原発地域に87%確率で大地震が起きるということを根拠に挙げたが、それが正しいとすれば数字で検証できる。

30年で大地震がおきる可能性が87%であるということを信用する。この論で各年で地震が起きる確率をpとして、30年で地震が起きないという式は (1-p)^30=(1-87%)=13% である。エクセルで計算するとp=0.07=7%である。仮に放射性物質漏れを起こした際の被害額を10兆円と見積もると、被害額の各年期待値は10兆×7%=7千億円となる。この額×原発基という保険が設定できれば、電力会社が払えれば原発と保険は有効である。しかし保険料はとても払えないと思う。もっともこの式は地震が起きる確率を浜岡に設定して、かつ地震が起きれば放射性物質漏れを起こすという前提である。なのでもう少し保険料は安く設定できるかもしれないし、いやそもそも保険が設定できないかもしれない。保険が存在できなければ経済保証を電力会社が請け負うわけで、、、ならば原発は存続できないと原発推進派の僕は感じる。

 

イデオロギ屋は結論が決まっていて例えば「原発反対」で、後付で論理を構築する。そしてその胡散臭さを隠そうとしない。彼らは世論が「やっぱり原発が必要だ」という材料になってしまう程度に頭が悪い論理を述べていること、主張に腐臭がすることを理解したほうがいい。別に「理解すべきだ」とかまでは思わない。僕は腐臭は腐臭で葬り去れればいいと考える。

 

今現在の日本人はイデオロギに訴えかけても反応は少ないと思う。宗教の嘘ですら許容できない民族なのだから。

 

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